以前、このブログでも書いたんですが、
正式に8月のスペインでのお仕事が中止勧告されました。
去年あたりからずっと準備していて、結構な枚数を書き上げていたんですけど、
それもすべておじゃんになりました。
向こうからは「ぜひ来年以降にやりましょう!」とうれしい言葉も頂いたんですが、
それがかなり困難なことであることは、当事者も私も理解しています。
きっとこういうことが連鎖的に続いているんでしょうね。
最近このブログが暗いお話ばかりで申し訳ないです。
今後はなるだけそういう話題は控えるようにしますので。
というわけで、恥ずかしい話をいろいろと。
毎日ではないんですが、近所のスーパーへ行ってます。
武士は食わねど高楊枝、とはよく言いますが、
やはり毎日一定量の食べ物を摂取しないと、いろいろと問題です。
とはいえ、食べる量が大分減ったんですけどね、歳のせいです(笑)
で、スーパーで良く音楽がかかってるじゃないですか。
人気のJ-POPとかアニメソングをややチープにアレンジしてる、アレです。
昔、私もそういうアレンジ仕事をしていたことがあるんですけど、
たまたま先日そのスーパーにいったら、結構前に私が編曲したものが流れていたんです。
かなりこっぱずかしい思いをしました・・・
テレビ番組でよくある、昔の自分の映像や写真を公開された時のような、
あの何とも言えない恥ずかしさとよく似てます。
まだミニディスクやDAT、あるいはポータブルな録音機器が無かったころ、
家にあったラジカセにカセットテープを入れて、
マイク機能を使ってテレビの音声とか録音していた時代がありました。
母親の声とか外の雑音などが入って、けして録音状態は良くなかったんですけど、
録音している時に、たまたま自分の声が入ってしまって、
あとでテープを巻き戻して聞いてみたら、
「あれ、僕の声ってこんなだったんだ」と驚愕した記憶があります。
自分の頭の中で響いている声と、口から発せられる声が違うというのは、
当たり前ではあるんですけど、当時小学校低学年だった私には衝撃的でした。
ちょうどそんなときの恥ずかしさを思い出します。
あと、ものまね番組とかで「ご本人登場」ってのがあるじゃないですか。
あれでものまねしている方が慌てふためく姿を見てると、
見ているこっちまでが恥ずかしくなってくることってありませんか?
「共感性羞恥」っていうそうなんですけど、私にはそれがあるみたいです。
だから、そういう恥ずかしさを感じるシーンがくると、
チャンネルを変えたり、テレビを消してしまったりしてしまいます。
「モニタリング」などに代表されるドッキリ番組とか、
面白いとは思うんですが、恥をかいている人を見るとそれが発動してしまって、
チャンネルを即座に変えてしまって、最後まで見られず後悔することも・・・
中学生時代に合唱コンクールってのがあったんですが、
そこで私がピアノを担当し、伴奏を弾くことが多かったんです。
大勢の人たち(1年生から3年生、教師の方々)に見られていると、
あがり症の私は演奏に集中できなくなってしまうんですね。
何とか気力を振り絞って乗り越えるんですけど、
審査されている、あるいは単にみられて注目されていることに羞恥心をおぼえて、
手がかたくなっていくのが実感できるんです。
演奏が大失敗したってことは無かったとは思うんですけど、
そういう性格だったので、ピアノの道は早々に諦めましたね。
こう見えて実は、学生時代はピアニストを目指していたことは内緒です(笑)
さすがに家にピアノが無くなって、ピアノに触れることが皆無になり、
かなり、いや相当ピアノの腕は落ち込んでしまってますけど、
年に幾度か、ピアノ触りたいと思うことがあります。
大人のためのピアノ教室とか行ってみようかとも考えたこともありますが、
編曲はピアノなどの楽器が無くても、五線紙と鉛筆さえあれば出来ますし、
このご時世ですから、今ではそういう欲望も鳴りを潜めてしまいました。
自分で弾くよりも、上手い人の演奏を聞くほうが恍惚感が得られます。
なんとなく書き始めてみると、いろいろと思い出してきました。
好評ならまたやってみようかと思います。