業界人ぽい言葉をなるべく使わないように心がけています。
このブログでもそうです。
でも、プロとして音楽で飯を食べていた時代もあったので、
そのころ口癖のように使っていた言葉ってなかなか抜けないものです。
たとえばハ長調って日本語だと3文字で済むのに、
C major(英語)だったりC-dur(ドイツ語)だったり使うことが多いです。
私自身が滑舌悪くて、サ行とタ行が多くなるのが嫌なこともあって、
長調、という言葉ではなくC-dur(ツェードゥア)って言いやすい方を使うんです。
Articulationという言葉があります。
カタカナで書くと「アーティキュレーション」。
音楽用語で「音色の強弱や抑揚をつけたり長さを変えること」などを指します。
この言葉って説明するのが難しいんですよね。
なので深く考えずにアーティキュレーションって言ってしまうことが多いんです。
また、音楽用語としてではなく発声法でも同じ言葉が使われます。
そちらの意味では、
アーティキュレーション=はっきりとした発音あるいは発声、となります。
声を仕事にされている方などは、
この言葉を「滑舌」と同種の意味で使われている人も多いみたいですね。
そういう意味でいうと、私のアーティキュレーションは最悪ってことで(笑)
こんな話を始めたのは、たまたまピアノ演奏動画を見てた時に、
ちょっと気になることがあったからなんです。
例えば、人気のあるポップスやロックの曲をピアノで演奏するとします。
ピアノを演奏されている方の多くは子供のころからピアノをやっていて、
バイエルやらブルグミュラーやらツェルニーやら教則本で練習して、
子供のころからクラシックなどの演奏に長けてる方が多い印象です。
ですが、そういう人がポップスとか演奏しているのを見ると、
なんとなく思うんですけど、演奏がつまらないんですね。
楽譜通りに演奏しているだけ、というと語弊があるかもしれないんですが、
遊びが少ない、あるいは無い場合がほとんどなんです。
たぶんその理由というのがアーティキュレーションなんでしょうね。
クラシックの演奏というのは基本的には楽譜通りに演奏します。
速度や音の長さなど違いはあるにせよ、そこに遊びが入る余地はありません。
そうした演奏になれている人が演奏するジャズやポップスは、
一部の例外を除くと、なんとも言えないつまらなさが付きまといます。
アーティキュレーションが通り一遍の演奏だと出せないアドリブ的な音色がほとんどなくて、
ただ上手い演奏を弾き流しているという印象がぬぐい切れません。
私も幼いころからピアノを習ってましたけど、
ピアノ教室では異端児というか不良生徒だったこともあって、
ジャズのスタンダードや歌謡曲なんかを自己流で演奏していたんですね。
そういう演奏を寛容な心で見てくれるような先生ではなかったので、
何度も手を叩かれたりおしかりを受けたりしていました。
だから小学校中学年でピアノを一度やめてしまったんですよ。
学校でも、クラシック音楽なんて古臭いから、
ジャズとかロックとかばっかり音楽室で弾いてたもんです。
当時からヒネクレ者だったんですね、わたしは(笑)
そんな私が今ではクラシック音楽をたくさん聴いたりしているんだから、
人生ってのは不思議なものです。
現代音楽にも興味津々だった音楽院時代もそうですけど、
母親がもともとクラシック大好きだったってのも大きいんでしょうね。
何とはなしに幼少期からクラシックを聞き慣れていたのかもしれないです。
あれ?
アーティキュレーションの話をしてたのに、
いつの間にか自分の昔話になってた(笑)