先月末にこのようなブログを書きました。
それで、さっきクラシック音楽館を見てたら、
ドキュメントαというコーナーで、
コロナ禍で舞台上での演奏が困難な状況を変えるために、
楽器ごとの飛沫を分析し、ガイドラインを作ろうという動きがある、
ということを特集していて、
かなり専門的に、楽器ごとの飛沫(微粒子)の動きを分析されていました。
感染者、という言葉はあまり適切ではないので、
PCR検査の「陽性者」といわせていただきますが、
陽性者が増加しつつある状況で、音楽なんて必要ないだろう、
という人が一定数いることは当然のことだと思います。
音楽が無くても、日常生活の上でなんら支障がない人もいらっしゃいます。
ただ、私を含めた多くの人にとって、
音楽というものが文化的という意味だけではなく必要不可欠なものである、
と思う人も多くいるのだということはご理解いただければと思います。
人の口から出てくる飛沫でウイルスに感染するんだそうです。
だから、密集・密接・密閉された空間を避けることが必要なんだそうです。
楽器を使った演奏ならばまだしも、
人の口を使う、例えば合唱などの類は上記の理由で行えないということになります。
なので、社会的距離(ソーシャルディスタンス)を設けて、
オーケストラなどの演奏は行うことが可能である、ということみたいです。
で、その距離が具体的にどの程度なのか、ちゃんと調べようじゃないか、
という特集が、今日のクラシック音楽館内の一コーナーで紹介されていたわけです。
とはいえ、私も毎日のように電車に乗ってますが、人がかなり多いです。
しゃべってる人はほとんどいないですけど、
主婦らしきおばさまたちがマスク越しながら大声でしゃべってたり、
バスの車内で女性学生がマスクを顎までおろして大声でしゃべってたり、
駅前のカフェでコーヒーを飲みながらおじさま2人が向かい合わせでけんかしてたり、
そういった人たちもいらっしゃいますけど、おおむねマナーは守られているようです。
電車のアナウンスでも「換気」という言葉がよく出てきますし、
飲食店などでも、玄関先のドアを開けっぱなしにしている光景はよく見かけます。
換気がこのウイルスに有効であるかどうかの議論はさておき、
「飛沫」が滞留するのを防ぐために「換気」が必要で、
この二つはセットになっている感もあります。
で、飛沫を防ぎ、換気を定期的に行うことと、
音楽を演奏することが密接にかかわってくるのは、
もちろんホールやライブでの生演奏、ということになります。
自宅やスタジオなどでの録音なども含まれますか。
観客も距離を開け、もちろん舞台上の演奏者同士も適切な距離を保ち、
「飛沫」を防ぎ、なおかつ、「換気」も定期的に行う必要がある。
急に話は変わりますが、7月の上旬に都内へ映画を見に行きました。
およそ2時間の映画だったのですが、
その間どのように換気をしていたのかは謎です(笑)
おそらくは空調による換気を実施していたんだと思いますけど。
あと、座席も隣と前後を一つ開けて座るようなシステムになってました。
ただ、斜め前にいる人との距離が目測で1m程度しかなかったように思うんですけど、
あれはあれで大丈夫なんでしょうかね。
まあ、そんなに笑える映画ではなかったので、飛沫は大丈夫だと思いますが。
個人的には過剰な気がしなくもないんですけど、
「命あっての物種」とも言いますし「明日は我が身」とも言いますから、
過剰すぎるくらいがちょうどいいのかもしれませんけどね。
演奏、合唱ができない、というのはその方面の人たちにとっては大打撃でしょうし、
リモートで個別にやるのも少し味気ないと感じるのもまた事実です。
演奏あるいは合唱団体の方々はいろいろとご苦労をされているのだろうと推察いたします。
陽性者が増加する以前の状態になるためにはどうしたらいいんでしょうね。
このまま陽性者が増えていくのかどうかは定かではないですし、
(一部の人は爆発的に増える、と妄想めいた予言をされてますが)
かといって、何もしないで演奏活動をするとやり玉に挙げられます。
ウイルスがおさまるまでじっと我慢するしかないんでしょうかね。
ただ、音楽を生業とされている方からするとそういうわけにはいかず、
この環境に適した演奏手法を模索していくしかないのでしょう。
私も今ちょっとしたプロジェクトで音楽に携わらせていただいてますが、
いろいろとご苦労されているというお話をよく耳にします。
「当たり前のようにライブハウスにいって好きなバンドの演奏を聴ける日が、きっといつか、必ず来ると信じて・・・」
なんてきれいごとを言うのは簡単ですけど(笑)
なんてことを思いながら、さっきのドキュメントを見ていました。
ちゃんと環境が整ったら、たくさん生演奏を聴きたいです。
(自分が感染しない保証はまったくありませんけど・・・)