音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

高校時代の恩師

きのうの朝のことです。

私の生まれ故郷である神戸市に住む友人から連絡がありました。

高校時代の恩師が急逝したということでした。

 

神戸の某進学高校へ入れさせられた私は、

そのころから「将来は音楽の道へ進みたい」と漠然と思うようになっていました。

ただ、周りの生徒たちはそういう夢を持った人はほとんどいなくて、

末は博士か大臣か、キャリア志向の人たち、いや、変態たちがわんさといたんです。

そんな中、少ないながらも私の夢に共感してくれた先生がいました。

 

そのお一人が、おとといの夜に亡くなったんです。

あわてて、昨日の朝、急いで神戸に向かいました。

 

特に寂しいというわけでもなく、泣いたというわけでもないのですが、

ぽっかりと穴があいたような、そんな心持ちでお通夜に参加しました。

当時の高校の同級生と久しぶりにあって、

今の状況を語り合った夜は、不謹慎ながら楽しいひとときでした。

 

すでに省庁のお偉いさんになっている人もいれば、

近所の八百屋で威勢よく声を張り上げているやつもいます。

高校時代から四半世紀以上経っているわけですから、

いろんな人生がそこにはあるわけでして、

そんな同級生たちとの会合は興味と驚きの連続でした。

 

亡くなった恩師の近況を語ってくれたのはそんな中の一人です。

「今年の初めに会った時もおまえのこと心配しとったで」

そうなんです。

その恩師は、私がアメリカ留学を決めたときも、

留学中に病気で1年早く帰国した時も、

私が音楽の道を半ばあきらめたときにも、

何でもないような口調で諭し、励ましてくれました。

どちらかというと問題児だった私のことをかわいがってくれたのは、

当時はとても嫌だったんですけど、

今にして思うと、相当気にかけてくれていたんだなと思います。

 

アメリカ留学中にもお手紙をもらいました。

「ホームシックにかかってないか」

「英語はちゃんと通じてるのか」

「音楽の勉強は楽しいか」

他愛もない文章の中にも、さりげない心配と期待が込められていて、

当時いろいろと落ち込んでいた私を勇気づけてくれました。

 

私が帰国して、本格的に編曲家の道を歩みだしたころには、

すでに教職を辞して、私塾を開いていました。

その私塾もだいぶ前にやめて、隠居状態になっていたんですけど

同級生の話では、年に一度くらいは集まって話をしてたんだそうです。

私はそういう場がどうにも苦手だったので、

結局数回程度参加しただけで、ここ数十年はご無沙汰だったんですが、

今更ですが、もう少し交流を深めていればなぁ、と思います。

 

 

今日、早々に自宅へ戻ってきてブログを書いているのですが、

よくわからないんですが、帰宅して泣きたい気持ちになってます。

いや、泣いてます。

 

先生へ

音楽の夢は細々と継続していますが、今は普通に働く身になりました。

やはり、自由業で食べていくのは大変です・・・

でも、死ぬまで音楽と向き合う覚悟です。

あともう少ししたらそっちに行くと思うので、

遠慮なく私を叱ってやってください。

今まで本当にありがとうございました。