音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

オニオン弦楽合奏団 第六回演奏会のこと

出だしからネガティブなこと書きます。

実はこの公演(FF3の演奏会)があることは知っていたんですけど、
最初は行くつもりはありませんでした。

Melodies of Crystalという音楽団体の公演は以前よく行っていました。
オニオン弦楽合奏団という弦楽合奏主体の演奏と、
シュデンゲンアンサンブルという室内楽の演奏の二つの柱で公演をされている、
稀有、というと失礼かもしれませんが、あまり他にはない形の演奏団体です。
フルオーケストラや吹奏楽での演奏を主体とする団体が多い中、
こうした室内楽弦楽合奏という特殊な形態での演奏をするというのは、
代表の強い意志があるのか、ほかに裏面の事情があるのか定かではないですが、
代表やコンサートミストレスの方がプロの方であるということもあるのでしょうけれど、
特に室内楽(シュデンゲンアンサンブル)の演奏の質は高く、
演目のニッチさも手伝って、以前はしばしばその演奏会にお邪魔しておりました。

ここ数年、ゲーム音楽の演奏会に思うところがあって少し敬遠をしていたのですが、
今年になってようやくいろいろと落ち着いてきたので、
今回のオニオンに行ってみようという気になった、というわけではないんです(笑)

実は今回の公演前に、いろいろと相談をしていた方がいらっしゃいまして、
その方が今回の公演に裏方として参加されているということを、
本人の口からきいたから、というのがその大きな理由になっています。
たぶんそれを聞かなかったら、今回は参加を見送っていただろうと思います。

第六回演奏会ということで、今回はファイナルファンタジーIIIを取り上げていました。
1990年にファミコンで発売され、その後何度かリメイクもされている名作です。
私は当時ファミコンでプレイして以来一切触ってないゲームでしたが、
ファミコン後期の名作RPGというだけあって、いろいろと憶えていました。


オニオン弦楽合奏団 第六回演奏会
2018年12月2日(日)
開場:13:30 開演:14:00
小松川さくらホール


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演目:『ファイナルファンタジーIII』より(編曲:大澤 久)
演奏:オニオン弦楽合奏

(以上、敬称略)


第一楽章 光の四戦士
プレリュード
クリスタルのある洞窟
バトル1
ファンファーレ
クリスタルルーム
オープニング・テーマ
故郷の街ウル
悠久の風

第二楽章 サラ姫とジン
ジンの呪い
ダンジョン
バトル2
勇者の帰還

第三楽章 トーザス
山頂への道
小人の村トーザス
ネプト神殿

第四楽章 古代人
エンタープライズ海を行く
古代人の村

第五楽章 チョコボ
ギザールの野菜
チョコボのテーマ
でぶチョコボあらわる

第六楽章 デッシュ
オーエンの塔
レクイエム

第七楽章 ハイン
生きている森
ハインの城

第八楽章 シド~エリア
エンタープライズ空を飛ぶ
果てしなき大海原
水の巫女エリア

休憩

第九楽章 地上世界にて
アムルの街
4人組じいさんのテーマ
隠れ村ファルガバード

第十楽章 アルス王子とガルーダ
巨大都市サロニア
バトル2
勇者の帰還

第十一楽章 ドーガとウネ
ドーガとウネの館
潜水艦ノーチラス
海底神殿
ノアのリュート
ウネの体操

第十二楽章 インビンシブル
巨大戦艦インビンシブル

第十三楽章 ラストダンジョン
クリスタルのある洞窟
クリスタルタワー
禁断の地エウレカ
闇のクリスタル

第十四楽章 ラストバトル
最後の死闘

第十五楽章 エンディング
エンディング・テーマ


アンコールはこちら


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※ここから徐々に辛口モードになります。ご注意ください。


ファイナルファンタジーIII(以下、FF3)です。
当時ドラクエIVにドハマりしていた私は、発売日には購入せず、
ドラクエIVを遊びつくした後にようやく重い腰を上げた形でプレイし始めました。

どちらのゲームにも共通するのですが、
ゲーム中にプレイヤーを取り巻くキャラが死んでしまうことが多いんです。
特にFF3は、ディレクターである坂口さんの意向(死生観)が強く反映されていて、
死に別れるシーンが強烈に印象に残っています。
水の神殿でのエリア、サロニア国王ゴーン、ドーガ、ウネあたりでしょうか。
全体的に暗いトーンを感じられるのは、そうしたイベントも影響している気がします。

そんな印象のFF3ですが、
今回の演奏会ではサントラ準拠の曲をすべて演奏するというものでした。
弦楽合奏とピアノのアンサンブルですべての曲をやるということですね。
あんなシーンやこんなシーンを、音楽を使って文字通り「語る」演奏会です。


個人的に代表の編曲は好きな部類に入るんですけど、
せっかく一つのゲームに主眼を置いて演奏会を企画しているのに、
別のタイトルの楽曲などを織り交ぜて編曲することもごく稀にあって、
それはそれでどうなんだろう、と思ったりすることがあるんですけど(笑)
その曲のフレーズが必要であると判断されたのであれば仕方ないですが、
私の個人的な感情でいうと「ほんとにいります?」って言いたくなります。


ライトモティーフという言葉があります。
特定の登場人物に焦点を当てて繰り返し使われるフレーズ、という意味なんですけど、
要するに「~のテーマ」ってことですね。
ワグナーのオペラとか聞いていると、
そのテーマを使うことで、その人物の心情やその時の状況を表します。
今回の演奏会でいうと、ウルという街のテーマが至る所で出てくるんですが、
それは主人公の郷愁の感情や戦いを前に走馬灯のように駆け巡る思い出、
といった意味合いで使われている、というわけですね。
今回の編曲は、このライトモティーフを巧みに使ってストーリーを語っています。
奏でると同時にストーリーを語っているわけですね。
その技術は感嘆するほど洗練されていて、驚いてしまうくらいでした。

たとえば、水の神殿で巫女エリアがクラーケンの呪いの矢をうけ倒れるシーン。
エリアの優美なテーマから一転し不穏なメロディが登場します。
音楽で状況を説明している、ということですね。

あとはアンコールの演出は良かったです。
「ピアノのおけいこ」の再現ということで、
代表がチェロを置いて、舞台後方にあるピアノへ。
そして演奏をするのですが、楽団員からはブーイングの嵐。
その後、ピアノ担当の方が「ねこふんじゃった」を華麗に演奏した後、
そのまま3曲目の「スイフト・ツイスト」へ。
「悠久の風」や「故郷の街ウル」のアレンジも入って濃厚なツイスト演奏となってました。


そうなんです。この楽曲構成は本当に見事というほかはありませんでした。


ただ、演奏それ自体に問題があったんです。


ここで少し関係のない話をします。
いや、関係はあるんですけど(笑)

古楽、というのはバロック以前の音楽を指す意味で使われることが多いです。
そして古楽を演奏する場合には、調律ピッチを下げて演奏することが多いんですね。
現在は「A(ラ)=440Hz(ヘルツ)」とする場合が多く、
コンサート前にオーボエコンマスコンミス)がA音を鳴らして、
楽団全体の調律を調整しているシーンは、
コンサートなどに行ったことがある方ならばおなじみの光景です。
古楽を奏する場合、そのAの音を415Hz(半音程度)に下げることがあるんです。
絶対音感を持っている方が、古楽を敬遠しがちになるのは実はそこでして、
音感を持つ方が持っているAの音と、実際奏されるAの音に乖離があるわけです。

私は絶対音感ではなく、相対音感持ちだと思ってるんですけど、
古楽を聞いても特に違和感めいたものをあまり感じない人なんですよ。
それは相対音感がはたらいてAの音が自動的に下げられることで、
調和した音楽としてそのまま聞き流すことが出来る、ということみたいです。

ただそれは「全体が統一してピッチを調律された場合」に心地よく聞こえるのであって、
そのピッチがバラバラになっている場合はその限りではありません。

※ピッチ(音高)とは音の高さを表す言葉で、現在では基準となる音高がそれぞれ決められています。

で、ようやく本題になるんですけど、
今回の演奏会で「音の濁り」のようなものを常に感じてたんです。
それはごく微細なものではあるのですが、とても気になりました。

そうなんです。ピッチがずれているんです。
主にヴィオラ、あと第二Vnでしょうか。全員ではなく一部の方だと思います。
パートリーダーの方の音はしっかり聴こえてたので、別の方々なのでしょう)
そのピッチのずれがわずかな音の濁りを生んでいた、ということになります。
そこを気にし始めると、もはや楽曲の構成どころの騒ぎではなくなります。
それはエンディングが奏される段階になっても直る気配すらありませんでした。

相対音感持ちにとって、この状況は苦痛以外の何ものでもありません。
絶対音感持ちも同じ気持ちだとは思いますけど・・・)
構成も編曲も素晴らしいことは頭で分かっていて、そちらに集中したいんですけど、
ピッチのずれ、音の濁りが頭から離れず、私の頭の中は混乱していました。
ガルーダ戦の竜騎士のジャンプやヒット音、
最終決戦でのあの走馬灯のようにメドレーが流れてくる構成、
前半最後のコントラバスとピアノの二重奏による街の音楽、
第一楽章でのヴァイオリンソロ、ピアノ、チェロソロによる「悠久の風」など、
聞きどころはたくさんあり、ソロ部分は本当に素晴らしいの一言でしたが、
ピッチのずれた音色が入ってくると、その感動は薄れてしまいました。
それが奏者の緊張によるものなのか、楽器の特性によるものなのか、
その両方なのか、原因はこちらからは判然とはしないのですが、
ヴィオラが主旋律を弾くたびに、気持ちが少し硬化してしまうのを自覚しました。


周りでは感動の涙を流している方も多く、
こういう気分で演奏会を聞いているのは自分だけなのかと暗澹たる気持ちになりました。

演奏鑑賞マナーの悪い人も一部でいましたし、
「1曲終わるたびに拍手をせず、全体が終わってから拍手しろよ」と、
個人的感情を内々で爆発させていたこともありましたけど(笑)
演奏前に「拍手は曲ごとではなく云々」っていう説明があってもよかったように思いました。
特に後半は連続して演奏される緊迫した場面が続いていたので、
そこでパラパラと拍手をされる人がいると、緊張が一気に解けてしまいます。

確か1曲目と2曲目の間では拍手が無かったんですけど、
たぶん途中から会場に遅れて入られた方がいて、
その人が率先して曲ごとに拍手をしていたと思うんですよ。
(舞台に向かって右手後方あたりにいた方だったと思います)
あれ、少し興ざめしました。
今回のオニオンは、曲間でMCなどが挟まれるようなタイプの演奏会ではなく、
連続して一気に演奏されるスタイルでしたので、拍手は前半の始めと終わり、
あとは後半の始めと終わり、アンコールの始めと終わりくらいで良いかと。

とまあ、ほとんどが愚痴という文章になってしまいましたが、
ま、こういうのもたまには、ということで。

本当ならこのブログは書かないつもりでした。
感動している人が大半で、私のような感想を持っている人はほとんどいないみたいでしたし、
なんだか「同調圧力」めいた印象を持ってしまったのも事実です。
「こんだけ良い演奏会だったんだから、不満なんてあるはずがない」
という感情をTwitterを通して見せつけられて、それにあてられたんです。
でも、頑張って正直に書いてみました。


奏者の皆さま、会場スタッフの皆さま、本当にお疲れ様でした。