音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

藝大ゲームサウンドアンサンブルによせて

藝大ゲームサウンドアンサンブル(藝大GSE)を聴いてきました。


楽しかったです。

私自身、ポケモン世代よりちょっと古い人間なので、
ポケモンサウンドにはあまり反応できなかったんですけど、
カエルの為に鐘は鳴る、であったり、
ニーア・レプリカントであったり、
ファイナルファンタジーメドレーであったり、
プレイ経験のあるゲームが多めで少し嬉しかったです。

入場整理券の配布でちょっと説明不足だったり私の認識不足があったりもしましたけど、
演奏会自体はとても楽しく拝見出来ました。


実は昨年の藝祭でのゲーム音楽公演も行ったんですね。
そのことについてはブログも書いています。(リンクはこちら
規模が縮小したのでなにか問題でもあったのかと心配したんですが、
逆に規模が小さくなって、音がよりクリアになった印象です。
曲目もバラエティにとんでいて、アレンジもちょっと工夫が凝らされて、
とても実のある演奏会でした。


藝祭2016演奏企画
藝大ゲームサウンドアンサンブル

1.ポケットモンスター ルビー・サファイア・エメラルド<金管6重奏とピアノ>


3.NeiR Replicant<弦楽6重奏とピアノ>

4.ポケットモンスター ブラック・ホワイト<全体合奏>

5.FINAL FANTASY<全体合奏>


演目としては70分強といったところでしょうか。
前回よりも規模が縮小したとはいえ、これだけのラインナップですから、
聴くがわとしてはとても楽しめた演奏会だったのではないでしょうか。

ここで普通であれば各曲の感想をずらずらっと書いていくんですけど、
今回はちょっと趣向を変えてみようと思います。


音楽のセオリーってことを、実は今回の藝大GSEを聞いていて考えていました。


音楽学は感性の学問と思われているフシもありますけど、
実はガチガチに理論で固められた、思った以上に不自由な学問です。
その中で、プロと言われる人たちはもがきながら音を紡いでいくわけですね。

私の尊敬する作曲家の一人がこんなことを言ってます。
「仕事って人間が出てくるから。感性だけでやっていくわけにはいかないんだよ」
お風呂場の鼻歌程度のメロディをそのまま歌にはめ込んで、
それにセンチメンタルな歌詞をつけて歌っているようなグループもいたりしますけど、
プロの仕事は感性だけではどうしようもないところもあります。

音楽はそれほど自由ではありません。
そこから抜けだそうとする現代音楽の作り手も多くいますけど、
規則性のある音を、お客さんは好む傾向にあるため、
やっぱりそうした「作り手の自由を押し付けた音」は一般的には受け入れられにくいと思います。

これってゲーム音楽にもある種通じるところがあると思うんですね。

今日、藝大GSEが演奏したFINAL FANTASYの冒頭もそうです。
プログラムでは「プレリュード」と表記されています。
それだけでゲーム音楽が好きな人は、
音色の差こそあれ、「ドレミソドレミソ・・・」と続くアルペジオ風の旋律を想像するはずです。
が、今回の演奏ではその旋律が使われてなかったんですね。
いきなり「ドーシーレードー」という旋律が流れ出します。
そうです。この旋律、プレリュードの後半で流れる副旋律なんです。
(副旋律、といっていいのか私も判断に迷うところですが・・・)
つまり、ゲーム音楽の「お約束」をあえて行わず、アレンジで機転を利かせているわけです。
まあ「プレリュード」の後半、ピアノでアルペジオ風の旋律が少し形を変えて出てきましたけど(笑)

これ、ゲーム音楽が好きな人はどう思うんだろうな、とその時思ったんです。

FFのプレリュードはこうあるべき、といった固定観念が残っていて、
それが流れずに肩透かしを食らったんじゃないかなぁと考えてました。

ゲーム音楽のセオリーともいえると思うんですが、
原曲が好きな人達にとってこうした改変はあまり好まれないようです。
NES BAND」というファミコン本体の音色を使ってゲーム音楽を奏でる演奏団体があるんですが、
彼らがネットにあげている動画のコメントなんかを見ていると、
原曲と少し速度が違うだけでも、
「早すぎる」といった不平不満を言っている方が散見されていました。

今回の藝大GSEの演奏は、原曲にかなり寄せている演奏ではありましたが、
ところどころで藝大生らしいところも垣間見えたおもしろいアレンジが多かったので、
きっとこうした不平や不満は出にくい演奏会だった、と私は勝手に思ってます。

ちなみに私は今回の藝大GSEの楽曲アレンジ、大好きです。

Final SymphonyやSymphonic Fantasiesといった公式の演奏会で、
スクウェアの発売したゲーム音楽の旋律をバラバラに分解して、
新たに音楽を構築し直すという試みがなされていますけど、
そういったものを好まないゲーム音楽のファンも結構いるような気がします。

ゲーム音楽の演奏は原曲に忠実にあるべきだ、とするセオリーが、
実はまだファンの間でも根強く残っている印象があるんです。


先ほど「作り手の自由を押し付けた音」を書きました。
今、ゲーム音楽の演奏団体でアレンジをされている人たちは、
そのゲームに対する愛情が深いことは事実なんでしょうけれど、
結局は「愛情を持ってアレンジしている少し押し付けがましい音楽」になっているわけです。
もちろんそれが間違っているわけではありません。
方向性としては正しいことなんだろうと思います。
多くのゲーム音楽好きは、きっとそういう方向性で作られた音楽が大好きでしょうから。
ですが、結局はそうしたセオリーに縛られている音楽だよな、とも感じるわけです。


ゲーム音楽はストーリーにそった形で演奏されねば意味が無い。
ゲーム音楽は原曲をリスペクトして編曲されねばならない。

こういったことをゲーム音楽の演奏を聞いていて感じることがここ最近多くなりました。
演奏に参加している人たちや演奏会に行く人達はきっと感じていないとは思うんですけど、
どうにもこう「クローズドサークル」的な印象を感じてしまうわけです。
知ってる人だけ楽しめればそれでいい、といった印象ですね。



まあ、なんというひねくれた発想の持ち主なんでしょうね、私は(笑)



音楽は自由ではない、と書きました。
でも、ここで矛盾したことを書きます。

音楽は自由であるべきです。
どういう形であれ楽しければそれでいい、というのが本当の音楽です。
音楽のセオリーがそうした自由を阻害しているわけではないんですけど、
やっぱりどんな音楽も「その音楽自体で完結している」ことが望ましいような気がします。

なんの予備知識もなく、ふっとその音楽に触れて、
心地良く感じたり、緊迫したり、安心したり、少し不安にされたり。
そうした音楽を、セオリーにがんじがらめになりながらも作っている人たちを私は本当に尊敬します。
今日演奏に参加していた藝大生の中からそんな人達が出てくることを期待しつつ。


ちょっと変なブログになってしまいましたけど、
流して書いているので、お気に入りの音楽でも聞きながら軽い気持ちで読んでいただければ。


最後になりましたが、
藝大GSEの皆様、スタッフの皆様、ありがとうございました。
可能性を感じる、とても良い演奏でした。
カエルの為に鐘は鳴る、のEDクレジットの曲で泣きそうになったことは秘密です(笑)




9/5追記

少し文章を整えてみました。
感情的にババっと書いたものなので助詞の使い方で少し気になったところだけですけど。
ちょっとは読みやすくなったと思います。内容はほとんど手を加えていません。

曲の所感をあえて書かなかったんですが、ここで少しだけ。

ポケモンはほとんど通らなかったのでメジャーどころしかわからなかったんですが、
金管6重奏と全体合奏でこうも音色が違うものかと驚きました。
カエルの楽曲については私も思い入れが深いのですが、
この演奏を聴くまでは、サカモト教授というアーティストが動画としてあげている、
ピアノソロバージョンのメドレーが至高だと思ってたんです。
多分、今回編曲をされた方もこの動画を一度ならず見ているとは思うんですが(笑)
冒頭のアレンジにその片鱗が少し伺えたので。
でも、木管五重奏であの音色を落としこんだ手腕は素晴らしかったです。
ニーアは割愛します。語りだすと泣きそうになるので(笑)
イニシエノウタは弦が歌っていましたね。あそこに一番力が入ってたのかもしれません。
違ってたらごめんなさい。
最後のFFメドレーですが、
金管木管、弦五部とピアノという室内楽的な構成で、
あれだけのダイナミズムを出せたというのは結構発見でした。
ああ、ここで打楽器があればなぁ、とか、
もうちょい弦の人数がいればなぁ、と思うところも多少はありましたが。
そしてFFメドレーの最後にアタッカで今回演奏した五つの楽曲をメドレーで演奏するという試みは、
私はとても嬉しかったです。第九のフィナーレを想起しました。

ちょっとだけ書くつもりが結構な文章量になってしまいました。

愛情だけが先行して技術が伴わない演奏を私はあまり好みません。
今回の藝大GSEの演奏は、
愛情も感じられて、しかも技量も一定の水準以上だったこともあって、
とても楽しく拝聴することが出来ました。
本当にありがとうございました。