音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

クラオタ(あるいはクラヲタ)のお話

クラシックが極度に好きな人のことを、

ネット上でクラシックオタク、略して「クラオタ」と呼ばれています。

呼ばれていますって断言しちゃったけど、

本当にそう呼ばれているのかどうかは精査していないので、

第三者の厳しい目で見ていただけることを切に期待しています(笑)

 

私もそれなりにクラシック音楽を聞いてはいるのですが、

極度に好きか、と聞かれると首肯しかねる部分もあるんです。

クラシック音楽の生演奏を月一回か二月に一回ペースで聞いています。

以前はそれこそ週イチペースとかで聞いてたんですけど、

さすがにそれは行きすぎだろう、という第二の私の判断もあり、

ここ1年くらいはペースを落としています。

 

海外のオーケストラが来日したり、著名なアーティストが来日したりすると、

一応チェックはしているのですが、

やっぱり値段との折り合いで「行く行かない」を決めている気がします。

貧乏人にはやはりこういう趣味は厳しいんです(笑)

 

比較的安価な日本のオケの演奏会にもちょくちょく行っています。

Twitterなどで感想を検索したりするんですけど、

驚きなのは、クラオタの皆さんが、

オケの奏者の名前も結構ご存知で、

今回の奏者の顔ぶれで音色の判断材料としていることがあるってことです。

私自身は奏者にはほとんど興味はなくて、

ソリストが誰であろうと演目が良ければいいや、って人なんですけど、

クラオタのみなさんはそうではないんですね。

 

有り体に言うと、そういうクラオタを私はとても気持ち悪く思ってしまいます。

Twitterなんかでも言動が常軌を逸している人も多くいらっしゃいますし、

(フォローはしてないんですけど、RTでまわってくることが多いんですw)

何考えてんだろこいつ、って敬遠したくなることもしばしばです。

まあ、それは他のマニアの方々を見ても思ってしまうことですけど。

 

どんな世界でもその世界に傾倒している方はとても多いわけですけど、

私のような素人に近い人間からみると、

そういう人たちのことを尊敬する気持ちももちろんあるにはあるんですけど、

それとともに、前述の常軌を逸した行動だったり、

意味の分からないツイートだったり、

そういうことをしてしまう人間心理が全く理解できなくて、

敬遠しがちになる、というよりも近づきたくはないです。

 

私はどちらかというとライトな音楽ファンで、

クラシックやジャズを中心にいろいろと生演奏を聞いたりしていますけど、

音楽を知識で楽しむのではなく、感覚で楽しみたいと思っているんです。

その音楽を聞いて素直にどう感じるのかを大事にしたいんです。

指揮者や演者の知名度やランクだけで音楽を判断したり、

自分の理想と違う音楽を奏でることで嫌悪感を感じたりしたくないんです。

 

クラオタの皆さんがそういう人たちばかりではないことは百も承知です。

が、ネットの世界で目立ってしまうのは、

前述したとおりの、ちょっとネジが緩んでいる人たちなんです。

それを自覚しているのかしていないのか、

そうした行為を故意にやっているのか地でやっているのか、

そのへんはよく分かりませんけど。

 

 

こうして書いたブログを見ていると、

クラオタに対して憎悪にも似た感情をむき出しにしていますが(笑)、

嫌いか好きか、と言われたら嫌いなんですよ。

ただ、彼らは彼らなりにクラシック音楽を愛しているわけで、

そうした愛の形が、常軌を逸した言動にあらわれているのでしょうね。

私が一生かけても理解できないであろう愛の形が。

 

 

とまあ思いつくままに書いてみましたけど、

「理解できない=悪」というつもりは全くありません。

理解できないということは、

私がクラオタへとなる日はまだまだ先ということなのでしょう。

もっと研鑽を積まねばなりませんね(笑)。