音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

演奏する人される人

社会人になって間もないころ。

音大卒という私の経歴を知った幾人かがこういう要望がありました。

「ねー、何か演奏してみてよ」

音大卒というレッテルだけで音楽のエキスパートであるという錯覚に陥り、

気楽に演奏を要求する人が、巷には大勢いらっしゃいます。

そうした要望に対して気軽に「いいよー」という方もたくさんいらっしゃいますが、

私の場合は、そういう要望に対してあまり良い気がしません。

 

そもそも私自身が演奏スキルに乏しいということもあるにはあるのですが、

例えば「じゃ、何かリクエストしてよ」なんて言葉を返すと、

「うーん・・・なんでもいい」という気のない返事が返ってくることも多いわけです。

そういう人たちって特定の曲が聞きたいというわけじゃなくて、

ただ惰性で演奏を要望しているに過ぎないことを思い知らされます。

つまりはただの興味本位ってことですね。

 

プロの演奏を聴くときはお金を払います。これは当たり前。

マチュアの演奏でも聞きたい曲を聴くときにはお金を払うこともあります。

(無料コンサートというものもありますけどね)

これも当たり前。

演奏を聴くという行為に対して同等の代価を支払うことは、

その演奏家にとって敬意を払うものと同義である、と私は思ってます。

 

まあ、時々海外からの演奏家のコンサートなどの料金を見て、

「うわ、高い・・・」と思うこともしばしばです(笑)。

 

誤解のないように言っておきますけど、

「じゃ、おまえはお金を貰えば演奏するのか」と言われたなら、

「いいえ、演奏しません」と応える場合もありますし、

「演奏します」ということもあります。

その時その時によって意見は変わります。

 

私自身、音大卒ではありますが、

それは奏者としての勉強ではなく、どちらかというと「裏方」の世界への憧れです。

表立って演奏することよりも、作曲や編曲など、

裏方としての印象の強いところでやりたかったんです。

 

結局、夢半ばで破れましたけど・・・

 

なので、私に奏者としてのスキルを要求されることに対して、

あまり嬉しいという感情を持ったことが無いんです。

作曲やアレンジの依頼をされることの方がやっぱり嬉しいんですよね。

今もちょこちょことそうした仕事はさせてもらうことがありますけど、

人前で演奏することよりもそっちのほうが向いているということを実感します。

 

演奏者としての技術を磨いている人たちからすると、

こういう意見は唾棄されるようなものかもしれませんが、

これが自分の正直な気持ちなので仕方ないです。

 

適材適所だと思うんですよ。

奏者として人前で腕前を披露したいという人もいれば、

裏方として奏者を支えることで、音楽に貢献したいと思う人もいます。

私は断然後者側の人間です。

だから、気軽に「演奏して」というのは出来れば控えていただきたいなと。

そういうオファー、ほとんどないですけど(笑)。