音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

Kenny Burrell / Midnight Blue 【ジャズのススメ 18】

表題曲である「Midnight Blue」が大好きなんです。

他の曲も好きではあるんですけどね。

 

ジャズギタリストであるケニー・バレルの奏でる音色は、

ジャズというよりもブルースという言葉の方がお似合いかもしれません。

私の大好きなアーティストの一人です。

 

Midnight Blue

Midnight Blue

 

 

もう一曲あげるとすると「Soul Lament」ですかね~。

いや、「Saturday Night Blues」も捨てがたいです。


Kenny Burrell - Midnight Blue

 

Focus / Hamburger Concert 【プログレ古今東西1】

プログレッシヴ・ロックのことを書いてみたいと思いました。

もともとジャズ好きは自認しているのですが、

ジャズの後にハマったのがクラシック音楽だったんですね。

 

そんな時にふと聞こえてきたのが、

ギターとハモンドによるブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」の旋律でした。

クラシックにハマり始めた頃に聴いたそのギターの音色が、

Focusというプログレバンドのギタリストでもある、

ヤン・アッカーマンのものであると知るのは随分と後のことです。

 

BGMとしてFOCUSの「Hamburger Concerto」を選ぶセンスにも脱帽ですが、

私をプログレへといざなってくれたバンドのひとつでもありますし、

(最初はベタですけどキング・クリムゾンとかイエスとか聴いてました)

やはりインパクトという意味ではとても強かったんでしょうね。

今でもたまに聞きたくなる名盤だと思います。

 

Hamburger Concerto

Hamburger Concerto

 

 

聴きたい方はアルバムを持っている私に連絡いただくか、

自力でググって動画を検索していただくことを推奨します。

出来ればアルバム全部を10周くらい聴いて欲しいところです(笑)。

2017年のご挨拶

あけましておめでとうございます。

こちらのブログでは新年一発目となります。

もう片方のブログはまだ今年に入ってアクセスすらしてませんが 笑

 

こちらでは割とホンネに近い形で書いているつもりです。

もう一方のブログがホンネではないわけじゃないんですけど、

こちらはTwitter連携をしていないこともあって、

なんでも書けてる気がします。

私のモラルの範囲内で、ということですよ、もちろん。

 

今年もマイペースでまったりと、

ジャズをメインにいろいろと書いていけたらなと思ってます。

 

本年もよろしくお願いいたします。

Herbie Hancock / Maiden Voyage 【ジャズのススメ 17】

モードジャズといえばマイルス・デイヴィスなんでしょうけど、

私にとってのモードジャズはハンコックなんでしょうね。

「なんでしょうね」と言ったのは、自分でもよくわからないからです(笑)

 

ハービー・ハンコックのアルバムの代表格のひとつとも言える、

このアルバム「Maiden Voyage」、

日本語で言うと処女航海と言えばいいんでしょうか。

 

Maiden Voyage

Maiden Voyage

 

 ハンコックのアルバムって一口にジャズと言い切れないところがあって、

このアルバムもどちらかというとジャズ寄りではあるものの、

コンセプトとしてはジャンルにとらわれていない自由な印象すらあります。

そこが気に入ってるところのひとつでもあるんですけどね。

 

ジャズという分野ではおさまりきれないところに彼はいます。

いろんな音楽を取り込んで新しい音楽を提供していく。

まさに私が理想とするところを体現しているのがハービー・ハンコックです。

彼の音楽に惹かれてしまうのはそういうところもあるんでしょうね。

 

ただ、彼の中期以降の作品よりも、

「Speak Like a Child」「Empyrean Isles」などの

60年代の彼の音楽に、より興味を持ってしまうのは、

そういう過渡期のハンコックとは違う面を垣間見ることが出来るからかもしれません。

 

まあ、彼の奏でる音楽はすべて受け止めている、という自負だけはあるんですけどね。

あくまでも主観的に、ではありますけど。

 


Herbie Hancock - "Dolphin Dance"(Maiden Voyage,1965)

指揮者によって演奏ってそんな変わらないだろうと言われると全力で否定したい

ラノベのタイトルみたいですけど(笑)。

 

指揮なんてただ皆の前で手を振っているだけでしょ?

という声をたまにいろんなところで見かけます。

オーケストラの前、指揮台の上に立って、

かっこよくタクト(指揮棒)を振る姿を見たことがある方も多いと思います。

 

こういう趣旨、

つまり「指揮者って誰がふっても同じじゃないの?」

ということで同じ曲で指揮者別にした動画を上げてらっしゃる方もいるみたいなので、

そういう動画を見たほうが圧倒的に早いとは思うんですけど、

私は物書きなので、文章で出来るだけこのテーマで語れたらな、と。

 

実は昨日、NHK交響楽団のベトヴェンの交響曲第9番を聴いてきたんです。

指揮はN響の桂冠指揮者でもあるヘルベルト・ブロムシュテットさん。

私も以前彼の指揮でブラームス交響曲を聴いたことがあり、

好きな指揮者のお一人でもあります。御歳89歳。

 

ベトヴェンの第9番、通称「第九」ですけど、

昨日聞いた演奏は、結構早い演奏だったという感想が多かったんですね。

だいたい75分くらいってのが平均だと思うのですが、

昨日の演奏は67分くらいで全て終わりました。

これを「早すぎる」という方も多くいらっしゃったようです。

 

クラオタのことをこのブログで書いたときにも言ってるんですけど、

クラシック音楽をこよなく愛する人って頑固な方が多い印象です。

なんて書くと偏見極まりないと思われるでしょうけど、

なんでこんなに頑なになってるんだろう、とか、

もう少し柔軟性があればもっと楽しく音楽聴けるはずなのに、とか、

結構思うことがあるんですよね。

 

そのこだわりのひとつに「指揮者」というものがあげられるでしょう。

 

クラオタの方ってこだわりの強い人が多いんですけど、

その中でも「指揮者崇拝」型の方が割といらっしゃいます。

崇拝というと大げさと思うかもしれませんが、

文字通り崇め奉っているから正直困りものです(笑)。

 

こういう方々がこういう発言をするのも少しわかるんです。

指揮者によって演奏がガラリと変わってしまうからです。

 

私はそんなにクラオタではないので、

早かろうが遅かろうがあまり気にはしない人です。

だから特別こだわりのある指揮者っていないんですけど、

それでも指揮者によって曲の印象が大きく変わることはありますね。

それに対して優劣をつけたりするのが、

ちょっとおかしいクラオタだったりするわけですけど。

 

早さだけを例にあげましたけど、

他にもいろいろと表現の違いがあったりします。

繰り返し部分を省略するかしないかというのもそうですし、

いわゆる「ため」をどの辺りに入れるかも指揮者によって違います。

古楽奏法などをされている指揮者の方だと、古楽奏法になりますし、

音の伸ばし方やつなげ方でもかなり差が出てきます。

 

つまりは指揮者は単に皆の前で手を振っているわけではないということです。

 

 

指揮者が表現したいであろう理想の音楽に少しでも近づくために、

リハーサルと言われる本番前の練習の場では、

指揮者から細かく奏者へ、前述したようなことを具体的あるいは抽象的に指示します。

細かく指示する人もいれば、あまり指示をしない人もいます。

そのオケが持っている良さを把握して、

オケの音色の良さを引き出すための音作りをするわけです。

 

 

「リハーサルで言ったことは全て忘れて、ただ音楽を楽しみましょう」

と言った指揮者もいます。

確かに指揮者というのは理想の音を内包しているものですが、

必ずしも一回でそれが実現できるわけではありません。むしろそれこそ稀です。

だからこそこういう言葉を紡ぐことが出来るのでしょうけれども。

 

私も音大時代に指揮法の真似事みたいなことは勉強させられましたが、

どちらかと言うと「ウラカタ志向」な人間なので、

自分からすすんで指揮者やってみようとか思ったことは一度もないです。

こういう経験をしたからこそ、指揮者にこだわりがないんでしょうね。

 

クラオタにオススメを尋ねるな、というのは、

クラシック音楽界では不文律となっているそうですけど、

音楽であれ食べ物であれ、オススメを盲目的に信じるのではなく、

じぶんでそれらを体験してから、

やっぱり自分の判断で好みを判断して欲しいものです。

嗜好が偏ったクラオタの意見も時には大事ですけど、

最終的に「好き嫌い」は自分で決めるのが一番です。

 

ちなみに私も「オススメ」を尋ねられたらお答えするようにしてはいますが、

最終的な判断はお尋ねされた方に委ねるようにしています。

委ねないこともごくまれにありますけど・・・(笑)

コミュニケーション障害のこと

よくSNSなどのプロフィールで「コミュ障」という言葉を見かけます。
表題の「コミュニケーション障害」の略語です。

私の仕事は会社の管理職です。
ということは部下といわれる同僚が多く存在します。
うちの部署は他の部署と少し毛色が違うことがたくさんあるんですけど、
あいさつの励行というのをうちの部では積極的にやってるんですね。
というのも、社員面接に幾度となく参加して思ったんですけど、
昔に比べて、若い人がコミュ障である確率が高くなった気がするんです。
そういう経験もあってかどうかわかりませんが、
人を見る目はかなり培われてきたような気がします。
あくまでも「気がする」レベルですけどね。

そういうこともあって、面接に限らず、
社員とのコミュニケーションは積極的に取るようにしてるんです。
その一環があいさつの励行というわけです。
これのお陰で、部内環境も少し明るくなったような気がします。あくまでも(ry



最近オフ会とか忘年会などで人と会う機会が増えてるんですけど、
この言葉を免罪符のように使う人が増えた気がするんです。
「あ、私コミュ障なので失礼があったらごめんなさい」といった感じです。
SNSとかでも似たようなことを書かれている人が少し見られます。

あれ、免罪符になってないですよね 笑

SNSで有名人にばかりからみ続けるアカウントとか、
何かについて憂いていることは理解できるけど、
自分の意見と相反することを書いている人のところに長文リプを返したり、
一切リプに返事をしない人とか、いろいろな方がいらっしゃいます。
まあ、Twitterは基本的に一方通行のメディアなので、
リプを返さないっていうことについては当人にとっては反論するところもあるんでしょうけども・・・

こういうことを「コミュ障」というひとことで済ませてしまうことに少し危機感をおぼえます。
そして、それに対して胡座をかいているような印象すら受けることがあります。


このあたりから私見となるんですが。


私、あまりSNSやブログなどで政治的な発言はしないことにしてます。
もともと中庸な性格、性質なのでそういう話が苦手ということもあるんですけど、
公式リツイートなどをして頻繁にこうした話題に食いつく人などはあまり好みません。
公式RT=同意、というわけではないんでしょうけど、
頻繁にそういうのをしている人を見ると、若干引き気味になります。

あと、単にツイートが多めであるとか話題が偏っているってのはあまり気になりません。
専門用語をバンバン使ってる人ってのは少し苦手かもしれません。
(このあたりは私も自戒するべきところではあります)

そういう意味で言うと私もコミュ障かもしれませんけど。
・・・なんて書くと、私に会ったことがある人から総ツッコミ食らいそうです 笑


私は自分から「コミュ障」と発言することはまずないです。冗談で言う場合は別ですけど。
そもそもそれを言い訳にはしたくないですし、そもそもコミュ障の自覚がないんです。
やっぱり人と話すことが好きですし、出来るだけたくさんの方とお話したい人です。
今年一年は精神的な不調などもありなかなかお話する機会がありませんでしたが、
来年はもう少しそのあたりの出会いを増やしていきたいなと思ってます。



おっと、危うくこれで終わるところだった 笑
もう少しだけ続けますね。




先日開催されたゼルダの伝説30周年コンサートに行った時も、
隣りに座ってた女性と仲良くなり、いろいろとお話をさせてもらいました。
クラシック音楽のコンサートとかではこういうことはやらないんですけど、
こうしたゲーム音楽の演奏会だと割とそういうことを平気でやってしまいます。
それでドン引きされることも多少あるにはあるんですけど。

あと、この前参加させて頂いた「紅茶画廊」というイベントでもそうです。
詳細はブログにも書いたんですけど、
そこで注文をしてテーブルに戻ろうとした時に絵をかかれている方がいて、
その絵がとてもきれいだったので思わず声をかけてしまったんです。
最初、少し引き気味だったような気がしますけど、
最終的には相互フォロワーにまでさせてもらったの、すごく嬉しかったなぁ・・・

というわけで、私は「逆コミュ障」なのかもしれません 笑
つまり、コミュニケーションに飢えてるってことですね。


というわけで、そんなコミュニケーションをしたい私が、
来年1月21日に新潟でMusicCafeというイベントをやります。
「Music Cafe2~ゲーム音楽からはじめるプログレッシヴ・ロック」です。
東京でもやると思うのですが、現在日程調整中です。
出来れば地方でもこういうのを積極的にやりたいと思っているので、
「来て欲しい~」という奇特な御方がいらっしゃればご一報くださいませ。

と宣伝をしたところで、少しまとめます。



コミュ障自体を否定しているというわけではないです。
ただ、それに甘えて安住している人が苦手なだけです。
そして、そういう人たちが苦手ではありますが嫌いではありません。
私は博愛主義ではありませんが、あまり人を嫌いになることがありません。
嫌いになるのは余程のことがないと 笑

こういうところが中庸の中庸たる由縁なのでしょうね。

出来ればコミュ障アピールはしないほうが良いかもしれませんね。
「ああ、コミュ障なら仕方ないか」とは、少なくとも私は思いませんし。
ただ共感するところも多少なりとありますから、
私が話しかけたとしても、ひかないでいただけると嬉しいです。


東混を日曜日に聞いてきたので合唱のことを書いてみる

東京混声合唱団のクリスマスコンサートに行ってきました。

とても良かったんですよ。

音楽監督である世界的にも有名な指揮者、山田和樹さんが指揮をされてたり、

福間洸太朗さんというプロのピアニストの方がピアノ伴奏をされたり、

とても豪華な顔ぶれですごかったんですが、

演奏された内容も素晴らしかったんです。

その感想などはTwitterで書いたのでここではあまり書きませんが。

 

で、こういうことにすぐ影響される私なので、

ここしばらくずっと合唱曲を聴きまくっているんです。

 

もともと合唱曲は大好きです。

小学校から高校まで校内の音楽コンクールでも合唱をやりましたし、

(小学校のときは合唱ではなく合奏コンクールですが)

それより後でも定期的に合唱曲は聴き込んでいました。

東京都で毎年催されている合唱祭にも実は行ったことがありますし、

比較的たくさんの合唱曲と触れ合っている、と自負しています(笑)。

 

合唱曲に初めて接したのは小学生の頃だと思います。

岩河三郎さんの「野生の馬」「巣立ちの歌」、

黒澤吉徳さんの「空駆ける天馬」、

池辺晋一郎さんの「時は流れても」などなど、

この頃に接した合唱曲は色濃く頭に残ってます。

 

小学生の時に、

赤い表紙で6mmくらいの厚さがある合唱曲楽譜集をもらったんです。

当時から楽譜はそんなに読めた記憶が無いんですけど、

ピアノ譜もついていたので、その音を追いながら楽しんでました。

 

そこに載っていた曲で、中学の頃に私が指揮をさせられたのが、

東混の演奏会でもやった「大地讃頌」でした。

ピアノ伴奏ばっかりさせられてたので、

出来れば指揮じゃなくてみんなと一緒に歌いたいと思ってたんですけど(笑)。

 

その後も継続的に合唱は聴いてます。

高校時代にも音楽コンクールみたいなもので歌いましたし、

その後も生演奏は行きませんでしたが、

第九を聴いたりミサ曲を聴いたりして合唱には触れ続けていました。

 

信長貴富さんという合唱などの作曲家の作品に触れたのは、

10年以上前だと記憶しています。

最初に聴いたのは「春と修羅」という合唱曲でした。

そこから信長さんの作品に数多く触れてきたんですね。

「新しい歌」や「思い出すために」などいろいろ聴いたんですが、

「くちびるに歌を」という曲を、

前述の東混で生で初めて聴いたときに涙がとめどなく溢れてきたんです。

一応以前に何回か聴いてはいたのですが、

生で合唱のみを聴くことに慣れてなかったこともあったのかもしれません。

 


くちびるに歌を

 

これからは定期的に合唱も聞きに行こうと思います!