ラノベのタイトルみたいですけど(笑)。
指揮なんてただ皆の前で手を振っているだけでしょ?
という声をたまにいろんなところで見かけます。
オーケストラの前、指揮台の上に立って、
かっこよくタクト(指揮棒)を振る姿を見たことがある方も多いと思います。
こういう趣旨、
つまり「指揮者って誰がふっても同じじゃないの?」
ということで同じ曲で指揮者別にした動画を上げてらっしゃる方もいるみたいなので、
そういう動画を見たほうが圧倒的に早いとは思うんですけど、
私は物書きなので、文章で出来るだけこのテーマで語れたらな、と。
実は昨日、NHK交響楽団のベトヴェンの交響曲第9番を聴いてきたんです。
指揮はN響の桂冠指揮者でもあるヘルベルト・ブロムシュテットさん。
好きな指揮者のお一人でもあります。御歳89歳。
ベトヴェンの第9番、通称「第九」ですけど、
昨日聞いた演奏は、結構早い演奏だったという感想が多かったんですね。
だいたい75分くらいってのが平均だと思うのですが、
昨日の演奏は67分くらいで全て終わりました。
これを「早すぎる」という方も多くいらっしゃったようです。
クラオタのことをこのブログで書いたときにも言ってるんですけど、
クラシック音楽をこよなく愛する人って頑固な方が多い印象です。
なんて書くと偏見極まりないと思われるでしょうけど、
なんでこんなに頑なになってるんだろう、とか、
もう少し柔軟性があればもっと楽しく音楽聴けるはずなのに、とか、
結構思うことがあるんですよね。
そのこだわりのひとつに「指揮者」というものがあげられるでしょう。
クラオタの方ってこだわりの強い人が多いんですけど、
その中でも「指揮者崇拝」型の方が割といらっしゃいます。
崇拝というと大げさと思うかもしれませんが、
文字通り崇め奉っているから正直困りものです(笑)。
こういう方々がこういう発言をするのも少しわかるんです。
指揮者によって演奏がガラリと変わってしまうからです。
私はそんなにクラオタではないので、
早かろうが遅かろうがあまり気にはしない人です。
だから特別こだわりのある指揮者っていないんですけど、
それでも指揮者によって曲の印象が大きく変わることはありますね。
それに対して優劣をつけたりするのが、
ちょっとおかしいクラオタだったりするわけですけど。
早さだけを例にあげましたけど、
他にもいろいろと表現の違いがあったりします。
繰り返し部分を省略するかしないかというのもそうですし、
いわゆる「ため」をどの辺りに入れるかも指揮者によって違います。
古楽奏法などをされている指揮者の方だと、古楽奏法になりますし、
音の伸ばし方やつなげ方でもかなり差が出てきます。
つまりは指揮者は単に皆の前で手を振っているわけではないということです。
指揮者が表現したいであろう理想の音楽に少しでも近づくために、
リハーサルと言われる本番前の練習の場では、
指揮者から細かく奏者へ、前述したようなことを具体的あるいは抽象的に指示します。
細かく指示する人もいれば、あまり指示をしない人もいます。
そのオケが持っている良さを把握して、
オケの音色の良さを引き出すための音作りをするわけです。
「リハーサルで言ったことは全て忘れて、ただ音楽を楽しみましょう」
と言った指揮者もいます。
確かに指揮者というのは理想の音を内包しているものですが、
必ずしも一回でそれが実現できるわけではありません。むしろそれこそ稀です。
だからこそこういう言葉を紡ぐことが出来るのでしょうけれども。
私も音大時代に指揮法の真似事みたいなことは勉強させられましたが、
どちらかと言うと「ウラカタ志向」な人間なので、
自分からすすんで指揮者やってみようとか思ったことは一度もないです。
こういう経験をしたからこそ、指揮者にこだわりがないんでしょうね。
クラオタにオススメを尋ねるな、というのは、
クラシック音楽界では不文律となっているそうですけど、
音楽であれ食べ物であれ、オススメを盲目的に信じるのではなく、
じぶんでそれらを体験してから、
やっぱり自分の判断で好みを判断して欲しいものです。
嗜好が偏ったクラオタの意見も時には大事ですけど、
最終的に「好き嫌い」は自分で決めるのが一番です。
ちなみに私も「オススメ」を尋ねられたらお答えするようにしてはいますが、
最終的な判断はお尋ねされた方に委ねるようにしています。
委ねないこともごくまれにありますけど・・・(笑)