音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

水至清则无鱼

水至清则无鱼

日本語で言うと「水清ければ魚すまず」です。
あまりに清らかな水には魚がすむことができないように、
人格や考え方が清い(潔癖、潔白)と、かえって人から敬遠されてしまう、という意味です。

ここ最近のSNSとか見てると(といっても最近殆ど見てないんですけどw)、
潔癖な人がなんと多いことか、と思います。
テレビ番組などを見ても、当たり障りのない番組がとても多くなってきた気がします。
それが正しいのか、間違っているかどうかは定かではないんですけど、
潔癖な人から見ると、
こういう状態が居心地いいとホンキで思ってるんだろうか、と疑問視してるんです。

潔癖な人って実はいなくて、
本当は彼ら彼女らに都合の良いイケニエを探してるだけなんじゃないかなと思ったんです。

不倫して芸能界から干されている人が、
テレビに出たりニュースになるだけで自称「正義感」を振りかざし、過剰に囃し立てて、
放送局やメーカーなどにクレームを入れまくったりしている方が少数ながら存在していると聞きます。
もちろん不倫を肯定している訳じゃないんです。
悪いことをしたのなら罪を贖うべきなのは当然です。
ただ、潔癖な人から見ると罪を贖うという意味合いが微妙に違っているんですよね。
「あいつの顔をテレビで見るとムカつく」というのは個人の感想なので仕方ないと思いますけど、
「テレビに出てくんな」というのは個人の感想ではなく単なる悪口雑言です。
悪口雑言というのは人を疲弊させます。言う方も言われる方も。
特に言われる方は多大な負荷を感じることになります。

昔「ファジー」という言葉が流行しました。
Fuzzy、つまり「あいまい」という意味合いです。

白か黒か、はっきりしろ、という人が多くなった印象です。
というより、昔からそういう人がたくさんいたんでしょうけど、
ネットが普及していなかったこともあって、
電話や手紙という手段でそういう行為をしていたわけで、
見ず知らずの第三者がそういった意見を目にする機会は極端に少なかったわけですが、
ネットが普及して、検索だったりSNS投稿だったりで、
同調できる意見を容易に探し当てることが出来るようになって、
そういう潔癖な輩が増長しだしたんだろうな、と考えてます。

増長っていうと言葉悪いか(笑)。傲慢、ですね。


ここからは個人的な意見となりますけど。


仲間がいると安心しますよね。
特にこうした負の感情は増大すると手がつけられなくなります。
それに固執してしまって、そこから抜け出すのが困難になる。
すると、その負の感情とは対極にある人たちを違った目で見ようとします。
敵対したり中傷したりして、自分の感情の正しさを証明しようとします。
「~反対」だとか「~打倒」とか書いてる人を見るとその傾向は顕著です。
彼らにとって都合の良い論証にのみ寄りかかってしまって、
大局を見失ってしまってる状態を個人で認識できなくなります。
まあ、そういう人たちに対岸から何を言っても聞いてくれませんから、
私なんかはそっと見守ることもせず無視して対岸をそのまま歩くことにしてますけど(笑)


嫌うのは自由ですし個人の範疇では問題ないと思います。
ただ、それが蔓延してしまうことがこわいんです。
水が清ければ清いほど、我々凡人には住みにくい世の中になっていくんですよね。
潔癖な人は、それが安住の地だと信じ込んでるんでしょうけど。

「なってみて 初めて気づく にごりみず」

おそまつさまでした。