音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

「携帯電話の電源はお切りください」の効果

昨日、Distant Worlds Final Fantasy10周年公演に行ってきました。
コンサート自体はとても楽しめましたし、
ちょっとFFVIIからの選曲が多すぎじゃないかともほんの少し思いましたが、
会場の盛り上がりも素晴らしく、大変実のある演奏会だったと思います。

ふと疑問に思ったのが、
「会場内をこそこそと撮影している人が少なからずいた」ということです。
会場内では写真撮影動画撮影などの禁止の立て札をかかげたスタッフが練り歩いてましたし、
アナウンスでも「撮影は禁止」ということを再三注意されていました。
にも関わらず演奏前や休憩中にスマホのカメラ機能で撮影をしている輩がいたんです。

あと気になったのが「スマホの電源を切らない人が圧倒的に多い」という事実です。

私のこのブログで「演奏会のマナー」についてはかなり書いてきたつもりですが、
結局のところ、個人個人の倫理観に委ねられることなので、
ここで私が一人息巻いたところで状況が一変することなどないことはわかってるんですけどね。


冒頭近くで「こそこそと撮影している」と書きました。
クラシックの演奏会でもロックライブでもそうなんですけど、
思い出を心に刻もうとする人は圧倒的に少なくて、
写真や動画という物理的な手段を行使して思い出を共有しようと試みる人が、
実のところ圧倒的多数であることを実感させられます。

昨年行った30周年のゼルダのオケコンでもそうでした。
会場内での撮影は禁止されているのに、
「会場へ入らなければいいだろう」というへりくつで、
会場の外からドア越しに演奏前のステージを撮影する人が多数いらっしゃいました。
あろうことかそうして撮影したステージを、
臆面も無くSNSなどに投稿している人も結構いらっしゃいました。

演奏中にスマホから音がなる可能性もありますし、
音が出なくてもヴァイブレータの振動による音も漏れ聞こえる可能性があります。
実際演奏中にアラームが鳴り、演奏が中断した演奏会に遭遇したこともありました。
「どうせ誰も電源を切ってないから私もいいだろう」
「電話なんてかかってくることもないし、電源はそのままにしとこう」
という心理が開場の大勢を占めていることに、私はものすごく危機感をおぼえます。

演奏の妨げになる可能性もあるんです。
スマホの電源が入っている、ということはそうした可能性に加担していることになるんです。

演奏が終わって休憩中、すぐにスマホを取り出していじりだす方が多数見られました。
「携帯電話の電源はお切りください」というアナウンスがされているにも関わらず、です。
あのアナウンスや立て札にはほとんど効果といえるものが無いのでしょうね。


「クラシックの演奏会よりもゲームサウンドの演奏会の方がマナーが良いと思う」
という内容の投稿を何処かで見た記憶があるんですが、とんでもないです。
マナーの悪い人はクラシックだろうとロックだろうとゲームミュージックだろうと、
そこかしこに存在し続けています。どこでも同じです。
クラシックの演奏会でも、演奏中に飴を舐めるために包み紙を外す作業を平然とする方もいますし、
昨日のDWFFの演奏会でも同様のことをされている方が複数いらっしゃいました。

演奏中はなるべく音を立てないようにするというのは演奏会での最低限のマナーのひとつです。
「音を立てない」ために、演奏会の主催者側もさまざまな努力をされています。
そうした努力を、我関せずといった態度で、
会場内をコソコソと撮影したりするのは果たして正しいことなのでしょうか。
コソコソと撮影しているということは、その行為が誤ったものである自覚があるってことですから、
罪の意識が少しはあるのでしょうけれども。

せめてもう少しだけでも「携帯電話の電源はお切りください」という、
アナウンスの日本語を理解できるくらいの語学力は持ち合わせていただきたいものです。

アニソンとタイアップ

最初にそれを意識したのはJUDY AND MARYの「そばかす」だと思います。

私自身ジュディマリは大好きなバンドでしたし、

それ以降もジュディマリのヴォーカルであるYUKIさんのアルバムとかシングルも

ずっと追いかけ続けているくらいに好きです。

この「そばかす」という曲、

某有名少年誌原作のアニメのOPとして使われているんですよね。

いい曲ですし大好きでもあるんですが、アニメのOPとしてはどうなのかなと。

 

これ以前のアニメソングというと、

タイトルを連呼したり必殺技を叫んだりといったアニソンが多かった印象ですが、

それ以降のアニメソングというと、

こうしたアーティストとのタイアップが主流になってきたような気もします。

 

それが良いのか悪いのかはわたしにはわかりません。

70年代、80年代のアニメを見て育った世代なので、

そうした風潮も時代の流れなのだろうなと感慨深く思うんですけど、

アニメソングという括りで語るのには少し抵抗を感じるときもあるんです。

 

「アニメのために書かれた曲がアニメソングです」

「曲自体かっこよければなんでも良いんじゃない?」

どちらの思いもわたしの中で同居しています。

 

2000年代以降のアニメも気になるものはチェックしていますが、

声優さんとかスタッフを意識してみることは無くなりました。

私がアニメにどっぷりはまっていた80年~90年代のころは、

スタッフやキャストにも興味があって、

声優さんの雑誌だったりアニメ月刊誌なども定期的に読んでたんですけど、

そういうことをしなくなった原因の一つがこの「タイアップ」なんでしょうね。

 

私の中でアニメのピークっていうと95年の「エヴァ(ヱヴァ)」になるんでしょうかね。

それ以降は自発的にアニメを見ることがほとんどなくなった気がします。

ガルパンとかSHIROBAKOとかAnotherとかおお振りとか、

水島努監督の作品ばっかり書いてますが他も見てます)

 おすすめされたアニメは定期的に見てるんですけど、

OPとかEDとか流れているスタッフやキャストは見なくなりました。

 

 

洋画(外画)で人気俳優さんが吹き替えをつとめることが多くなりました。

その「~さんが声優に初挑戦」みたいなキャッチコピーでさえ宣伝に利用して、

バラエティ番組などでその俳優さんが登場し、

露骨にその出演映画の宣伝することが当たり前になりました。

私はこうした傾向についてはそれほど危機感を抱いているわけではないんです。

下手くそな演技でさえ「味のある演技」と言い換え、

抑揚のない声を「個性のある声」と置き換えて、

その俳優さんの演技を称賛することについてはウザいとは思いますけど(笑)。

これもいわゆる「タイアップ」の一つですよね。

 

ちなみに話しておきますと、

アニメ監督の庵野秀明さんが声優をつとめられた、

宮崎駿監督の作品「風立ちぬ」は私は好きです。

あの作品での庵野さんの声には賛否あるかと思いますけど、

私は結構好きでした。あのアニメ、私の中では傑作だと思ってます。

 

 

余談はこのくらいにして。

 

 

外画の吹き替えで声優さんの仕事が減ることになります。

吹き替えの仕事が減ってしまうと今度はネット放送などで声優さんが大量投下されて、

今度はネットタレントといわれる人たちが割を食うことになります。

あまり「ゲーム実況」とか「Youtuber」とか見ない人なんですけど、

そうした人たちの居場所が声優さんにとってかわられつつあるのだそうです。

ニコニコ生放送やAbema FRESH!、LINE LIVEなどでも、

ネットタレントさんやゲーム実況者の方々の勢いは無くなって、

代わりに公式アニメ放送とか声優さんが出てくる番組に人気が集まります。

こうしたアニメやゲームとのタイアップ番組がネットで氾濫し、

私もそうしたカルト臭のするところから一線引くようになったのは、

ある種必然ともいえることなのだと思います。

 

今は声優さんが露出する時代になって、

ネット生放送を中心にして人気声優さんを見る機会が多くなりました。

そうした声優さんがアニメのキャラクターソングを歌うことも多くなり、

また、アニメやゲームの主題歌を歌う機会も大幅に増えました。

アニソン=声優さんが歌うものとなった気も若干するんですが、

それでもアニソン歌手と言われている方も数多く存在していて、

そうした歌手の方が「アニソン」を歌っているのも、やはり時代なんでしょうかね。

古いアニソンに涙し、新しいアニソンに狂喜乱舞する。

こういう共存がいびつな形で存在し続けているのが今の状況なのでしょう。

 

私は好きですよ。古いのも新しいのも。

ただ、タイアップでアニメと関係なさそうな歌を主題歌として使われると、

その主題歌は「アニソン」ではなくそのアーティストの歌なんですよね。

いくらそのアーティストの歌う曲が大好きだとしても、

それは「タイアップ」であって「アニソン」ではないと私は思います。

現代音楽を聞く その8

西村朗さんといえば、日本を代表する現代音楽作曲家です。

私が敬愛する劇伴作曲家の田中公平さんと東京藝大で同期だった、

ということは意外と知られていないと思いますが、

公平さんの藝大同期の方って結構この分野で活躍されています。

 

私が音大時代に触れた西村朗さんの曲は、

弦楽四重奏曲第一番「弦楽四重奏のためのヘテロフォニー」でした。

当時どっぷりコンテンポラリーにはまっていた私には、

どちらかというと耳なじみのある曲だったと記憶しています。

そしてその続編ともいえる第2番「光の波」でさらなる衝撃を受けました。

 

西村朗 弦楽四重奏曲第2番「光の波」 (室内楽シリーズ)
 

 

おそろしく難度の高い楽曲であることは楽譜からもうかがえますね。

ELMO HOPE / Hope-Full【ジャズのススメ 47】

数多くのプレイヤーと共演して名をはせたエルモ・ホープ

天才といわしめた彼の演奏、実はあまり聞いていません。

ここ最近でようやくアルバム全部聞いたんですけど、

彼の奥さんであるベルタ・ホープとのデュオを含めた、

彼のピアノを堪能できるこのアルバムが心にしみたんですよね。

 

Hope Full

Hope Full

 

 アルバム最初の「Underneath」の軽妙なリズムを刻む彼のピアノに惚れこみ、

2曲目の「Yesterdays」でジャズデュオの面白さに気づかされます。

3曲目の「When Johnny Comes Marching Home」は、

映画「ダイハード3」でも使用された有名な民謡(マーチ)ですけど、

彼の手にかかるとあの名曲もこうなるのか、と驚かされます。

 

とまあ、こうしてすべての曲の感想を書きたくなるくらい、

ジャズとしてはかなり聞きやすいうえに聞きごたえのあるアルバムです。

 

全部良いんですけど、2曲目の「Yesterdays」を私は推しておきますね。

 


Elmo Hope - Yesterdays

雨にキッスの花束を

布団に入って何か曲でも聞こうとランダム再生してた時、

最初に再生されたのがこの曲でした。

 


【今井美樹】雨にキッスの花束を

 

私が聞いたのは今井美樹さんのアルバム「Ivory II」のバージョンでしたが、

こちらの動画のバージョンもかなりいいです。

もともとこの楽曲の作曲者であり、自身もシンガーソングライターである、

KANさんとの共演バージョンは貴重だと思います。

ベースラインが本当に好きで、よく耳コピしました。

そのあたりはこの曲のアレンジを担当された、

佐藤準さんの手腕によるところも大きいんでしょうね。

(佐藤さんは今井さんのデビュー作から楽曲プロデュースをされてました)

 

大好きな曲です。

現代音楽を聞く その7

ポーランドの作曲家、ヴィトルト・ルトスワフスキ

彼の交響曲を聞いたとき、衝撃を受けたことが懐かしいです。

(まだ物心ついたかついていないかの頃です)

 

なので、その曲「交響曲第二番」を紹介しようと思ったんですが、やめます(笑)。

 

ここは「ルトスワフスキといえばこれ」という曲、

管弦楽のための協奏曲」にしようと思います。

 


ルトスワフスキ「管弦楽のための協奏曲」 - 小澤 / シカゴ

 

この曲、中学か高校在学中に聞いたと思うんですけど、

ルトスワフスキの中でも聞く頻度が高い気がします。

導入の一楽章(序曲)からグイっと引き込まれそうになるんですよ。

そこからの30分弱、気が付けば最後のコラールまで一気に聞いてしまいます。

DADA / DADA 【プログレ古今東西10】

先日さいたまロックフェス(SAI)に行ってきて、

the HIATUSのサウンドを生で聞いてきたんですよ。

彼らのサウンドも一応プログレの範疇だと思うんですけど、

聞いてるとロック色の強いサウンドでとても良かったです。

 

という感想はさておき。

 

今回はDADAにしてみました。

70年代から80年代というと、

日本にもプログレバンドが多く輩出されるんですよね。

古くはゴダイゴだったり四人囃子だったりApryl Foolだったり、

雨後の筍のごとく登場しました。

そんな中でも少し異色な印象があるのがこのDADAです。

 

DADA(紙ジャケット仕様)

DADA(紙ジャケット仕様)

 

 

 アルバムの発売は1981年なので、私もリアルタイムで聞いてた、

かというとそんなことはなく、聞いたのは4~5年ほど前のことです。

後にゲームメーカーのKONAMIへ行ってギタドラなどを手掛けることになる、

泉睦彦(陸奥彦)さんを含めた二人のユニットです。

もう一人は後にP-MODELというバンドに加入することになる小西健司さんですね。

P-MODELのことはまた後日語ります)

 


dada - Le Soleil d'Arles

 

このアルバム、どれも好きですけど、

「アルルの太陽」と名付けられた曲は独特の雰囲気があってとても好きですね。