音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

バッハのインヴェンションを聴く

最近、バッハをよく聴いてます。

もともと好きな作曲家の一人ではあるのですが、

「大のフーガ(遁走曲)好き」っていうのが大きいかもしれないですね。

 

※フーガとは

複数の楽器等で演奏される場合、

違う声部で同じ音型が順次奏されるものをいいます。

簡単なフーガの例でいうと「かえるのうた」の輪唱ですね。

 

以前に別のブログでも書いたんですけど、

ファミコンディスクシステムで発売された、

ファミコン探偵倶楽部」というアドベンチャーゲームがありまして。

そこでバッハの名曲が使われていたんですよ。

まあ当時私も小学生だったのでバッハの作品とは知らなかったんですけども。

 

その曲が「インヴェンションとシンフォニア」なんですね。

これ、バッハが書いたクラヴィーア曲集なんですけど、とってもいい曲なんです。

ちなみに前述のファミコンゲームで使われているのは、

「2声のインヴェンション」から第13番a-mollですね。

 


J.S.バッハ/インベンション第13番/演奏:中川 京子

 

いい曲です。染み入ります(個人的感想)。

 

 

そしてもう一つの動画を。

当時衝撃的なバッハの演奏でクラシック界を賑わせたピアニスト、

グレン・グールドの演奏です。

 


Invention 13 in A Minor - BWV 784 - Bach by Glenn Gould

 

同じ曲です(笑)。

私自身は楽曲の早さ、あるいは速さについてそれほど気にはしないんですけど、

聞く人が聞くとやっぱりこう思うんでしょうね。「早すぎる」と。

 

音楽って自由なものだと思うんですけど、

ことクラオタと言われる偏屈な方々からすると、

絶対的存在というものがそれぞれあるみたいで、

それとかけ離れた演奏をすると、極端にバッシングをする傾向があります。

曰く、

「受け入れられない」

「音楽として成立してない」

「早く弾けばいいってものじゃない」

そういう意見ももちろんわかるつもりではいるんですが、

生理的に受け付けないとでも言わんばかりに否定するってのもどうなんだろうなぁと。

 

結局その人が好きな演奏家による演奏が至高のもので、

それ以外はクズだと断罪することも厭わないのがクラオタですから、

(断言してしまってますが、私の個人的感想です)

何を言っても意見を覆すことなんてないんでしょうけども(笑)。

 

まあ、ここで批判めいたことを言うのもあれなので。

 

 

 

ファミコン探偵倶楽部の続編、「うしろに立つ少女」でも、

バッハの2声のインヴェンションの1曲が使われています。

こちらは第15番h-mollですね。

 


JS BACH - Two-part Invention No.15 in B minor, BWV 786

 

そしてこちらもグレン・グールド版を。

 


Glenn Gould - Bach, Invention No. 15 in B Minor, BWV 786

 

いい曲です。

 

 

ちなみにゲームとは全く関係ないですが、

私がお気に入りなのは第8番F-durです。

 


Invention 8 Bach by Glenn Gould

 

対位法をちゃんと勉強するなら避けて通れないであろう曲だと、

個人的には思ってます、この「インヴェンションとシンフォニア」は。

実際、学生時代はこのスコアにたくさん書き込みをして分析しまくりました。

演奏は・・・まあ、それなりに(笑)。

 

スポットライト思考

スポットライト症候群という病があります。
常に皆からの注目を浴びていないではいられない症状を指します。
様々な人からの注目を集める芸能人やスポーツ選手などに多いのだとか。
まあ、そのあたりは、
ちゃんとした統計があまり出ていないので断言できないんですけどね。

全人類総評論家時代みたいなものがやってきたことで、
気軽に情報をネットを通して発信することが出来るようになりました。
公式のゲーム機器メーカーのアカウントに、
今人気のゲーム機がなかなか手に入らないことに憤って、
「はやくゲーム機器作れ」とか「だからおまえんとこはダメなんだ」と、
まるで友人以下の存在のごとくこき下ろしたり、
かと思えばその公式アカウントに全く関係のない話題を振ってみたり、
(わざとライバル会社の製品名をそのまま送るなどの行為)
そうした「大喜利」的なコメントをして自己満足している方が結構多くいらっしゃいます。
公式アカウント側でそういうのはほぼ無反応なんですけどね。
無反応であるのを良いことに、好き勝手やっているという印象です。
このあたりはネットリテラシーの範疇の話なので私の意見は省きますけど、
あれですね、見てて気持ちのいいものじゃないです。

まあ見ないですけど(笑)。


と、ここまで書いておいてなんですけど、
今回のテーマは「スポットライト症候群」ではありません。
ただ、今回のお話と少し関連するところもあるので先に書いてみました。



「スポットライト思考」という題名にしましたが、
たぶんこんな言葉はないと思います。造語です。
(あったらすいません・・・)

まずは例として小説をあげてみます。

歴史小説を読んでいるとします。
そこで少しエロ要素のあるシーンが出てくるとしましょう。
そしてそのエロ要素のある文章だけを抜き出して、
悪意ある人がSNSなどに投稿したとしたらどうでしょうか。
そりゃエロ要素のある文章しか載せていないわけですから、
印象としては「エロい」ということになります。
しかし、その要素は件の歴史小説のほんの一部なんです。
ただその一部のみを切り取られることによって、
さも作品全体の印象であるかのような錯覚を強いられます。

と、このように、
スポットライトを当てるかのように意図的、作為的に切り取った話題を提供する、
あるいは意図的、作為的に切り取ることで印象を操作することによって、
情報を見たものに誤った印象を植え付けるといった行為。
もしくは、自分の都合の良い情報だけを信じこみ、それ以外は信じない、
例えるなら、周囲に明かりが当たらず、
ただ信じたい情報のみをスポットライトのごとく浮かび上がらせるような思考を、
「スポットライト思考」と私は呼んでいません(笑)。
まあでも他に適当な言葉も浮かばないので、
便宜上「スポットライト思考」と定義します。


話す、というのは言葉の連続です。
それ自体に意味がない言葉、それ自体だけでも意味を持つ言葉、
そういった単語を頭のなかで組み立てて人前で披露することではじめて、
「話す」という言葉が定義付けされます。




とまあ、こうして改めて定義してみると、
言葉をかわす、話すという行為がとてもいとおしく思えてくるから不思議なものです。
もともと私自身、人と話をすることは大好きなんですけどね。

ま、それはともかく。




自分の意見に与する人、その反対に自分の意見に与せず反対している人。
ある一つの事象に対しては、たいていこの2つに分かれることが多いです。
○か×か、正か否か、適当か不適当か、賛成か反対か。
相反する2つの意見は当然ながらぶつかることになります。

自分の嫌いな人が何かの講演をしていて、冗談で軽はずみなことを言ったとします。
するとその人は、嫌いな人の悪評をもっと広めてやろうと、
その冗談のみを切り取ろうと画策します。
その軽はずみで言った冗談のみを執拗に喧伝し、
その人が極悪非道な人間であるかのように印象操作し、世間に知らしめようとします。
こうした行為に至るまでには様々な経緯があるとは思うんですけど、
結局は「そいつが嫌いだから」という理由なんだろうな、と思います。
(その感情へ至るまでのプロセスは人それぞれ違うと思いますけど)
当然この講演に出席していない人からすると、
この喧伝した人の情報しか基本的に得られないわけですから、
何も知らないとすると、その人への心象は確実に悪くなるわけです。
そうすることで、その人の「嫌い」という感情が伝播していくことになります。


そうして、私は学生時代に嫌われたことがあります。
私が冗談で言ったことが、どんどん姿かたちを変え、大きくなり、
膨らみ続け、そしてはじけ飛びました。
噂はすでに事実とは異なる状態で独り歩きを始め、
いくら私が弁解しようとも、受け入れられることはありませんでした。
そんな状態が半年くらい続いたんです。流石にそのときは本当に辛かったですね。
厭世的になっていたのも仕方がないことです。
「弁解しようとしたお前が悪い」
「そもそもそういう冗談を言ったお前に否があるんじゃないの?」
といった元友人もいました。

結局、スポットライト思考にとらわれてしまうことで、
周りが見えなくなってしまって、
そのライトの範囲の大きく外にいる私に光が当たることはありませんでした。


ここ最近のニュースやテレビ番組を見ていると、
こうしたスポットライト思考をしている人が結構いることに驚きます。
自分に都合の良いニュースだけをつまみ食いして、
そのニュースの真偽をあまり確認しないで、ただ賛成や反対を垂れ流す。
(真偽なんてどうでもいい、とにかく褒めたいor叩きたいって人も含めます)
SNS上だとそうした賛成派や反対派を見つけることは比較的容易いこともあり、
そうした人たちが確固とした信念があるわけでもなく、
ただ数の暴力で、自分たちに与しない人や物を貶めようとします。
いや、信念はあるんでしょうね。「貶めてやりたい」という信念が。

こういう時代になってしまったんだな、ということに改めて恐怖を感じます。
私自身も身をもって経験したことであるから、かもしれませんけどね。
事実を捻じ曲げられ、歪められた情報のみに飛びついて、
本当の事実から目をそらす、あるいは見ているのに受け入れようとしない。
というよりも、受け入れることによってこれまでの自分が否定されることになり、
受け入れられなくなってしまっているのかもしれません。

スポットライト思考って怖いよなぁ、と思います。

かくいう私もそうした思考にとらわれていない、とも断言できません。
こういう考え方こそ「スポットライト思考」じゃないの、
と言われると強く否定することはたぶんできないと思います。
(受け入れる、受け入れないは別として)
だからこそ、こうして自分を戒める意味でもこういう記事を書くのは、
少なくとも自分にとっては有意義なのだろうな、とも思うんですよ。

・・・まあ、これも一種の自己満足、なんでしょうけど。

Benny Green / Live in Santa Cruz!【ジャズのススメ 36】

一度生で彼のピアノを聴いたことがあります。

衝撃的というわけじゃなかったんだけど、

なにかこう、スッと入ってくる音が心地よかった印象でした。

 

アルバムは結構聴いているんですが、

今のところこのアルバムが大好きなんですよね。

 

Live in Santa Cruz

Live in Santa Cruz

 

 

彼のアルバムで最初に聴いたのは、なんだっけ(笑)。

たぶん「These are Soulful Days」だと思います。

それから彼の演奏を追いかけるようになったんです。

日本にもたびたび来日していて、その中の一つのライブに私もお邪魔しました。

色気があるのにシャープな音色。なのにしつこくない。

とんこつラーメンと塩ラーメンを同時に味わえるような、そんな演奏です。

(例えがよくわからないでしょうけどw)

 


Benny Green - Golden Flamingo - LIVE HD

STACKRIDGE / Friendliness 【プログレ古今東西7】

プログレ界のビートルズなど、

英国を代表するバンド、ビートルズの名前を引き合いに出されることが多い、

このスタックリッジというプログレバンド。

私自身はプログレを聴き始めた頃からのファンでもあります。

 

Friendliness

Friendliness

 

 

この2番めのアルバムをよく聴いてます。

First AlbumもThird Albumもちょくちょく聴いてるんですけど、

何かに集中して聴く、というよりも、

どちらかと言えば、何も考えずぼーっとしている時にこそ、

その真価を発揮するのではないか、と個人的に思ってます。

 


Stackridge. 'Lummy Days'

7/9DQコンサートでのワタクシ的一騒動

東京佼成ウインドオーケストラ(以下TKWO)による、
ドラゴンクエスト吹奏楽による演奏会が7/9(日)に行われました。

 


本邦初演となる「吹奏楽ドラゴンクエストIX」ということだったんですが、
NINTENDO DSプラットフォームでのナンバリングタイトルということで、
当時、いや今でも多くの人から賛否両論入り乱れる作品となっています。

かくいう私もドラゴンクエストIX(以下DQIX)は相当プレイしたはずなんですが、
メインストーリーのほとんどを忘れているという状況でした。
その原因は、メインシナリオを早々にクリアして、
「すれちがいプレイ」にかなりの時間を費やした結果によるものです(笑)。
幸い、オリジナル音源とシンセによるサントラを購入していたので、
そちらで念のためDQIXの復習を軽くしてからコンサートにのぞみました。

演奏自体はとても素晴らしいものでした。
各楽器のソロも聴き応え十分でしたし、
何よりもDQIXの音楽を生で聴いたのが今回が初めてだったので、
(オーケストラ版はまだ生で聴いたことがありません)
サントラでの復習を思い出しながらいろいろと妄想しつつ聴いていました。


終演後にアンコールの曲目を確認しようと思い、
掲示を見てみたら、これが貼ってあったんです。
こういう遊び心のある演出、大好きです。

というわけで、とても満足のいく演奏会でした。







































というのが今回の演奏会での表の感想です。
しかし、裏ではいろいろな葛藤があったことをこれから書きたいと思います。

見たくない人はここでブラウザバックなどしていただけると幸いです。





















開演前。
開場時間から10分位経ったころに友人と開場に到着。
友人とは別々の座席だったので、私は一人で目的の席へと移動。
列で言うとだいたい真ん中辺りの最左端(1番)が私の席でした。

満席ではなかったのですが、かなりの席が埋まっていました。
さすがDQ、さすがTKWOと思ったのもつかの間、
私の隣に、帽子をかぶりサングラスをかけた恰幅のいいオジさんが座ったんです。
いかにも挙動不審といった様子で、
具体的に言うと、ふいに身体を大きく揺らしたり、
意味もなく腕を振り上げたり、といった行動をされてました。
開演前のことだったので放置していたんです。
きっと演奏が始まったらおとなしくなるのだろうな、と。


そんな私の淡い期待は開演後すぐに粉々となります。


開演後も帽子をかぶり続けていたことにも少し不満ではあったのですが、
まあ、他のところでも帽子をかぶり続けて鑑賞されている人もいましたし、
(それもどうかとは思うんですけどいろいろと事情がお有りなのでしょうw)
それはそれで仕方ないことだと諦めもついてたんですが、
その方が演奏開始後、いきなり声を発したんです。
ボソボソと、でも周りに聞こえるくらいの声量で独り言が幕を開けました。

※演奏中の出来事です。

演奏に不満でもあるのか、といってもまだ序曲が始まったばかりでしたし、
不満も何もあったもんじゃありません。
しかもその独り言は止まること無く、ずっと続きます。
さすがにイライラが募ってきたので、
曲の演奏中ではなく、曲と曲の間の短い時間に短く注意をしました。
するとその注意した瞬間はおとなしくなられたんです。
が、1分と経たないうちにまたボソボソと独り言がはじまるんです。
そして、意味不明な腕の振り上げも始まり、
私の肩あたりにその腕が何度か当たります。

物理的にも精神的にもかなり限界を感じたので、
その後も何度か曲間に注意はしたのですが、
どうやら「あちらの世界」から来られた方みたいで、
私の注意に痛痒すら感じてない様子でした。

そんなことが前半ずっと続いて、そのまま休憩となりました。
私は即座に立ち上がり、会場入り口ちかくの係員にこのことを報告しました。
そして「席を変えてください」と切実にお願いをしたんです。


クラシックの演奏会やジャズライブなどにもちょくちょく行ってますが、
席を変えてください、とまで嘆願したのは今回が初めてです。
そのくらい心も体も追い詰められてたんだな、と思います。
お金を払ってDQIXの音楽を聞きに来ているのに、
お金を払って隣の人の声を聞かされる羽目になるとは私も思っていませんでした。

幸いにも、担当していただいた係員の方が親切に対応していただき、
無事席を移動することが出来ました。最後列でしたけど(笑)。
しかも、その近くで演奏中にも関わらず、
入口近くで配られたチラシを、ご丁寧に音を立てて見ている人がいたんですが、
隣で独り言を言われることに比べれば、かわいい所業です。
ゆっくりとDQIXの音楽を、後半から堪能することが出来ました。
担当していただいた係員の皆様、本当にありがとうございました。


演奏会でのマナーについては、
このブログで何度も書いてきましたし、注意喚起はしてきたつもりでしたが、
今回のは特殊中の特殊、レアケースです。
こんなことは一生で何度も起こるものではないことはわかっています。
が、こんな経験は二度としたくはありません。
私にとっては、トラウマというと大げさかもしれませんが、
今度もしこうしたことがあったら、たぶん途中退席してしまうだろうと思います。

散々な前半と、素晴らしい演奏の後半、
双方を体験することができた私は、
レアなのか不運なのか、どっちなんでしょうね・・・




Lee Konitz / INSIDE Hi-Fi【ジャズのススメ 35】

リー・コニッツのサックスの音色、時々無性に聞きたくなるんです。

彼の名盤ともいえる一作「Motion」も当然良いんですけど、

けだるい時や何かにぶつかっている時なんかに聴きたくなるのは、

名盤ではなく今回紹介するアルバム「Inside Hi-Fi」です。

 

Inside Hi-Fi

Inside Hi-Fi

 

 

アルバム最初に収録されている「Kary's Trance」がほんといいです。

チャーリー・パーカーなどの、

どちらかと言うと明るい音色とは一線を画しているアダルトな感じ。

天才チャーリーの音色も当然良いんですけど、

こうした冷徹、というか理知的な音色というのを欲することもあります。

 


Lee Konitz,,,, KARY'S TRANCE,, 1956

ゲームの音楽とオーケストラの親和性について

最近SNSを見てて思うところを書いてみようと思います。

 

ゲームの音楽の演奏会が本当にたくさん出てくるようになりました。

私はそのほとんどに行ってないんですが(笑)、

興味がわくものについては重い腰を上げるようにしています。

興味がわいても、その演奏会で「内輪感」を感じるものは行きません。

 

残念ながら、これまで数多くのゲームの音楽の演奏会に行って、

アレンジが秀逸だな、と思ったことはほとんどありません。

音楽の専門的な知識を有していようとなかろうと、

こればっかりは私のセンスに起因するところなのでどうしようもないことです。

アレンジが下手というわけじゃないんです。ただ、気に食わない(笑)。

 

そしてその演奏会の大半がオーケストラやブラスバンドなど、

割りと大きめな編成での演奏というのが主流となっているようです。

 

 

ここではたと考えました。

なんでゲームの音楽の演奏会って、

クラシック音楽の演奏会と似たような編成なんだろう、と。

 

いわゆるゲーム内で流れる音を「原曲」とします。

この原曲に思い入れが強い方々のことを俗に「原曲厨」と呼ぶのだそうです。

ゲームの音楽が好きな人たちというのは、こうした原曲厨が結構多いのだそうです。

リズムや調性などが原曲と違っていることに快しとしない人ってことですね。

つまりは、原曲に忠実に演奏することが求められることが多いジャンルともいえます。

 

かたやクラシック音楽を考えてみましょう。

重度なクラオタでもない限りはそれほど気にしないんでしょうけど、

クラシックも楽譜の記載を忠実に奏することが求められやすいジャンルです。

指揮者やオケによって音色が変わることがあっても、

楽譜が絶対的な権力を有していることに変わりはありません。

 

そうなんです。

オーケストラという媒体は、こうした「忠実に演奏する」ことに長けているわけです。

ジャズなどのような即興演奏が入り込む余地があまり見込めません。

ゲームの音楽もクラシックも、いかに原曲に寄せて演奏するかを問われます。

 

だからなのかもしれませんけど、

ゲームの音楽を演奏する方々の多くはクラシックにも造詣が深い方が多いですし、

その逆も又然り、といえます。(当社比)

 

私はどちらかと言うとアドリブなどの即興演奏が好きですし、

アレンジが大胆に施されているものをより好む傾向が強いのですが、

だからといってもクラシックもゲームの音楽も嫌いではありません。むしろ好きです。

でも、一度ジャズテイストの強いゲーム演奏ってのもピアノ一本でやっていいんじゃないか、って思うことがあります。

私が演奏しても良いんですけど、もっと上手い人がいるのでそちらに任せます(笑)。

 

 

※今回の文章はふとした思いつきで書いていますので、

いろいろと思うところはあると思いますが、酔っぱらいの世迷い言程度に思ってもらえるとありがたいです。