音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

清志郎さん

忌野清志郎さんが亡くなられて今日で八年だそうです。

 

私の中ではRCサクセションの印象が強いんですよね。

雨上がりの夜空に、デイ・ドリーム・ビリーバーなど、

今でも語り継がれるほどの名曲がたくさんありますけど、

私が時折無性に聞きたくなるのは、

この矢野顕子さんとのコラボで歌われた「ひとつだけ」です。

 


ひとつだけ 矢野顕子×忌野清志郎

 

もともと矢野さんの楽曲は、

最初に出会ったアルバム「SUPER FOLK SONG」から、

遡ったり、もしくは時代を追うように聴き続けているくらい好きなアーティスト。

この曲「ひとつだけ」ももちろん曲の存在は知っていました。

 

忌野清志郎さんと歌われている矢野さんが、

とても嬉しそうにピアノを弾かれている姿を見ると、

この曲の真価ってこの忌野さんとのコラボで発揮されたのかもな、

と勘ぐってみたりしているんですけど。

 

もともとの曲も大好きなんですが(笑)。

 

この二人のコラボバージョンを無性に聞きたくなる理由。

私にも正確なところは分かりません。

名曲はどうやっても名曲である、とは思いませんし、

名曲を駄作にさせた人たちも腐るほどいます。

 

ただ、このコラボは涙がでるほど大好きです。

 

ただそれだけです。

 

 

 

蛇足ながら。

ライブバージョンはより一層泣けます。

 

LIKES AND DISLIKES

好き嫌いは人の常、という言葉があります。


以前にも書いたかもしれませんけど、
私、ニュースを複数の媒体で見るようにしています。
新聞や雑誌などはもちろん、ネットニュースだったりSNSだったり、
その他もろもろ、なるべくたくさんのデータを欲する人なんです。
ただ、テレビでニュースは見なくなりましたね。
(この辺の話はいろいろとめんどくさいので省きます)

巧妙な見出しを使って読者を引きつけるメディアもあります。
そういう書き方するとそりゃ食いつくよなあ、って。
ネットのデマ拡散などもそうした「食いつき」を良くするために、
あえて書かないところは書かなくて、強調するところはよりデフォルメするんですね。
だから、見出しだけ見てもその内容の真偽がわからなくて、
その内容をきちんと知らないと真相や事実にたどり着かないことがあります。
なので、私はそうしたソースを複数見るようにして、
より信憑性の高い、というと大げさですが、
物事を複数の視点から見る、ということを習慣づけています。

「中庸」ってのが私の特徴のひとつですし(笑)。



ただ、そういう人って意外と少ないということに気付かされます。

ソースを配信する側としてはより精度の高いものを発信しようとする場合と、
食いつきのみを重視して誇張したものを発信する場合があります。
商売なのでそうした使い分けも必要であることは承知してるんですが、
そればっかりのところも少なくないこともあって、信頼度は急降下です。
なので、ネットの掲示板やアフィリエイトブログなどで、
悪意のある記事の切り取り方などを見ると情けない気持ちになります。
同じ人間でも、金が絡むとこうも汚くなるものかと思います。

私が同じ立場だったら、という話はしません。
可能性がゼロ、というわけではないわけですからね。
金が絡むと人も変わるということは私も散々見せられてきましたし。
そういう人たちを「クズ」というレッテルを貼ってこき下ろすのは簡単です。
実際私もそう思ったことは一度や二度ではありませんし、
そういうサイトを自分から積極的に見ようとも思いません。
ただ、嫌いなものをたたく、という行為それ自体を正当化されることが、
どうにも理解しがたい心持ちになる時があるんです。
回りくどい言い方ですけど(笑)。


先に例をあげたアフィリエイトブログのことで言うと、
確かに悪意しかないであろう記事を見て、それに反論があるのは当然です。
その逆にそうした悪意に乗っかって同調している方々も多くいらっしゃいます。
様々な意見があること事態が普通であるわけなんですけど、
反論がある人が論理をカサにきて、自分とは違う意見の持ち主を攻撃したり、
果てはその攻撃力を増幅するために仲間を募ったり、
といったことが平然と行われていることが私には理解できません。
「なんでわからないんだよ」というのが常套句になっていて、
自分と違う意見を持っている人を、人非人の如く扱って、
まさにそうしている自分自身が人非人になっていることに全く気づいていないんですよ。

それって考えてみるとものすごく怖いことじゃないのかな、と。


SNSが普及したことで、「一億総評論家」とも言える時代が来ました。
先に上げた切り取られた記事などをそのまま鵜呑みにしてしまって、
汚染された意見を垂れ流し、それがヘドロとなって渦巻いて、
端から見たら近寄ることさえ禁忌ではないかとも思える状態が日常となってます。
そうした日常が当たり前になりつつあって、
「嫌い」という感情がそのまま攻撃力になってしまっている感さえあります。

好き嫌いは人の常です。
万物それぞれに好きと嫌いが同居しています。
ただ、そのアタリマエのことを実は理解していない人というのが、
この日本の中でも数多く存在しているということを知らなければなりません。

SNSの投稿で読んだんですけど、
物事の良し悪しと好き嫌いは別物なんですよね。
でも「好き→良い」「嫌い→悪い」という方程式が普通に横行しているんです。
仲間意識とでも言えば良いんでしょうか、
これが好きな人に悪い人はいない、であったり、
これを好きな人なんて悪い人に決まっている、であったり、
そうした決めつけが普通に行われています。
決めつけ、というと断定的ですかね。「その人にとっての真実」にしときます。


と、ここで「事実」と「真実」の違いを詳しく書いてみようと思ったんですが、
かなり哲学的な話にもなりますし、
書いててもつまらないことは自明なのでまた別の機会に・・・


SNSを通じて、自分と同調してくれる人を見つけやすくなりました。
そうしてできた集合体ってそれほど結束力はないはずなんですけど、
好きや嫌いが共通しているもの同士ということもあって、
意見の統一感が、人工的ながらも結束力を強く感じます。
私はそういった人工的な統一感というのがちょっと苦手な人間なので、
遠巻きにそういう集まり同士を眺めていることが前はよくあったんですけど、
近頃はそういう統一感に触れないようにしようと思って、
SNS自体をあまり見なくなりましたし、なるべくそこに触れないようにしてます。

じゃ、何故今回このようなブログを書いたのか。

なんでなんでしょうね(笑)。

前述の「好き→良い」「嫌い→悪い」方程式について、
すごく同意できる点があったこともあるんでしょうけど、
これをそのまま鵜呑みにしていないってこともあるんでしょうね。
どうしても人は錯覚をしてしまう生き物ですし、
恋愛感情であれ仲間意識であれ、共通項が多いと人は嬉しくなるものです。
これを好きな人なら大丈夫、という安心感も得られますから。
そういう感情も、中庸な私は一応頭では理解できます。
と同時にそういう安心感の危うさも同時に感じるんです。

このあたりの論理展開がまさにヒネクレモノなところなんですけども(笑)。


余計なことを考えずに、
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、それでいいじゃないですか、
という思いも私の中ではあります。
そして多分こういう考え方が一番健全的であろうこともわかります。
そういう意味で言うと、私は健全的に生きられないんでしょうね。
正否双方の意見をくんで、水平思考していくという私の悪癖は、
きっとこれからもずっと変わらないんだろうなあ、と思いつつ、
それでも馬が合う人との意見交換を楽しんだり、
馬が合わない人ともやっぱり意見交換して楽しんだりするんでしょう。
「どっちつかず」「中途半端」というレッテルを貼られながら・・・

DUKE PEARSON / TENDER FEELIN'S【ジャズのススメ 29】

前々回のジャズのススメ27で紹介したドナルド・バードの「FUEGO」。

このアルバムのことを書いた時に、

デューク・ピアソンのピアノが大好きなんですよね、って書きました。

じゃ書けよ、と思われた方もいらっしゃると思ったので書きます(笑)。

 

Tender Feelin's

Tender Feelin's

 

 

アルバム最初の「Bluebird of Happiness」からグイっとひきつけられます。

個性がないと揶揄されることも多い彼の演奏ですけど、

私は彼の演奏から安心感を得られます。

ずっと聞いていられること、それが彼の特徴であり、

私が大好きである理由のひとつなんです。

 

というか、個性ありまくりじゃねーか、ってホントは思ってます(笑)。

 

アルバムの流れに身を任せることを強くススメますが、

お気に入りでいうと「I Love You」かなぁ、やっぱり。


Duke Pearson - I love You

 

私の中ではビル・エヴァンス・トリオと並ぶ、トリオアルバムの名作です。

結婚式の二次会で

今から10年前のことです。

私の友人(男性)が結婚するということで地元へ帰省したんです。

もちろん友人の結婚ということで二次会、三次会・・・と、

行けるとこまで付き合ってやろうという気持でいました。

 

 

ここまで書いて音楽と全く関係ないこと書いてんなって思ったそこのあなた。

 

 

そう、あなたです。

 

 

 

 

もうちょっと我慢してね(笑)。

 

 

二次会が行われたのはピアノバーみたいなところで、

カウンター席と10人位が座れる円形のソファー、

そしてその脇にはスタインウェイ、ではない某国産メーカーのピアノが。

 

新婦さんとはその日が初対面だったんですが、

前に私が音楽業界にいたことを新郎である友人から聞いたみたいで、

「何か一曲弾いてもらえませんか?」といきなり言われたんです。

 

その頃は私もピアノから離れて久しかったこともあり、

その時はやんわりと断ったつもりだったんですが、

その新婦が泣きそうな顔をし始めたので、

新郎である彼が私のところへやってきて耳元で言うわけです。

「ちょこっとだけでいいからさ、なんか弾いてくれや、頼むわ」

 

 

 

私は関西生まれの人間ですので、

今回の舞台はその地元関西で起こったことです。

なので唐突に関西弁が出てきましたが、気にしないでください(笑)。

 

 

 

渋々カウンター席から立ち上がり、ピアノの前へ。

「リクエスト、何かあります?」と軽い気持ちで私はいったんですが、

その新婦のリクエストが意表をついてました。

 

 

「私、菅野よう子さんの音楽がすごく好きなんです!!」

ナップルテールっていうゲームがすごく好きで」

「Folly Fallっていう曲が大好きなんで、それでお願いします!!」

 

 

 

そう語る新婦のニコニコした顔を私はじっと見つめていました。

よりによって菅野よう子さんの楽曲かよ・・・と、その時私は思いました。

 

 

説明すると、

ナップルテールというゲームがありまして。

セガが出した最後のハードであるDreamcastで発売されたんですが、

そのゲームの音楽を菅野よう子さんという作曲家の方が担当されているわけです。

私の中で「耳コピが最も難しい作曲家の一人」という方の、

しかも難曲である「Folly Fall」をご所望とは。

 


Napple Tale - Folly Fall (HD Quality)

 

弦楽と独特なボイスで彩られた名曲であることは私も知ってます。

が、それをピアノ1台でやれってどういうこっちゃ!!??

とその時の私は思ったんですが、

新郎の厳しい目で見られると、仕方ないか、と諦めがついたので、

おもむろに演奏をはじめました。

 

楽譜もなく私の記憶だけが頼りだったのですが、

私もこの曲「Folly Fall」という曲が大好きでしたし、

ジャズっぽく弾いた、と言えばかっこいいですけど、

結局私の拙い演奏技術をカバーするという理由で少し崩したアレンジにしたんですね。

 

そして演奏が終わると、新婦が泣きながら私のところへ来て、

深々と頭を下げて「ありがとうございます!!!」と言ってくれました。

そのうしろで新郎がドヤ顔で私を見つめてきたときは殴ってやろうかと思いましたが。

 

 

 

二度と人前で演奏はしない、と誓ったのはこの時です・・・(笑)

SOUND LIKE

Google翻訳でこれを入れると「~のように聞こえる」という言葉で出てきました。LIKEが「~のように」、SOUNDは「聞こえる、聴く」ってことですかね。

 

Youtubeニコニコ動画などのサイトで不正にUPされているサントラの音楽だったり、ゲームから引っこ抜いた音楽だったりを聴くことができます。私も利用したことがない、というと嘘になります。ただ、なるべくそうして聴いたものについてはちゃんと後から買ってますし、製作者へ還元しようという意識がどうしても働いてしまいます。もともと音楽業界にいた人間ですからね。

でそうした動画サイトで音楽を聞くこともあるんですが、そのコメント等を見ているとよく目にするのがこの「sound like」という言葉なんですよ。「あ、この曲、~に似てる」ってことですね。私、この言葉があまり好きではないんですよ。語彙力のなさをそうした似ているコメントでカバーしているんでしょうけど、全然カバーできてないですよね。むしろアホさ加減をさらしているような気がします。

例えばクラシックの音楽、ショスタコーヴィチストラヴィンスキーなどの現代作曲家の音楽を聴いていると「これなんかドラクエのあの音楽にそっくり」っていうコメントをするアホがいます。すぎやまこういちさんが様々な音楽に影響を受けていて、ロシア音楽もまたそのひとつであることは知られてます。ドラクエよりも前に作られた音楽をドラクエと比較するというアホなことを平気でコメントしているのを見てると、虫酸が走るんですよ。そこしか比較対象がないのであればしょうがないんですけど。数多くの音楽を聴いているとショスタコーヴィチストラヴィンスキーの独自性であったりパロディであったりというものもわかるとは思うんですけど、一般的にクラシック音楽を統計的に、あるいは分析を加えながら聞く人ってそれほどいないんだなってことを再認識させられます。

1月~3月クールで唯一見ていたアニメ「鬼平」というのがあるんですけど、このOPがとてもかっちょいいんですよ。私の敬愛する田中公平さんの手によるOP曲。確かに聴いてみると「COWBOY BEBOP」のOP「TANK!」との類似性ってのもあるっちゃあるんでしょうけど、それって無粋じゃないかと私なんかは思っちゃうんですよね。鬼平には鬼平の、ビバップにはビバップの音楽の良いところ悪いところはかならずあるわけで。それを単に「似ている」という一言で片付けてしまうのはどうなんでしょうね。率直な感想という人もいるのでしょうけれど、それは感想ではなく比較です。

とはいえ、製作者も狙って似せて作ることがもちろんあるわけなので、一概にそうした感想を否定するのもどうかとは私も思います。ただ、そういうコメントしか書けないアホもちょくちょくいるんですよ。アホはどこまで行ってもアホってことですかね。

「~風」というオーダーを、私も編曲者時代に受けたことは一度や二度ではありません。一応当時はプロを自認していたのでそうしたオーダーを毛嫌いすること無く精一杯アレンジをしていた記憶があります。内心はともかく(笑)。こういう感想を書かれるようにこちらから仕向けているという意識もあったので、その葛藤で少し心を痛めていた時期もありました。すぐに「ま、いっか」ってなりましたけど。

 

「~に似てる」「~のパクリ」とコメント書いたりする前に、もう少し音楽勉強したほうが良いかもしれませんね、その手の方々は。自分の不勉強をわざわざ自分から申告してるようなもんですよ。気をつけましょう。

 

 

 

 

公平さんと鷺巣さん

私が敬愛する日本の劇伴作曲家である田中公平さん。

その公平さんの公式ブログに、

同じく敬愛する作曲家である鷺巣詩郎さんとのツーショット写真がありました。

ちょっとうれしくなったので追加で投稿してみました。

 

詳しくはこちらへ

田中公平のブログ My Quest for Beauty

ART PEPPER / the art of pepper【ジャズのススメ 28】

通常だと、名前は大文字と小文字、

そしてアルバム名は大文字のみという書き方を意識しているんですが、

(例外も多数ありますがw)

今回こういう表記にしたのは、アルバムに則ってるだけです(笑)。

 

アート・ペッパー、大好きなんですけど、

周りに好きな人があまり見当たらないのは何でなんでしょうね。

そしてこのアルバム「ジ・アート・オブ・ペッパー」も、

ファンの間で賛否がわかれるタイトルです。

 

 

ジ・アート・オブ・ペッパー

ジ・アート・オブ・ペッパー

 

 


Art Pepper Quartet - Body and Soul

 

ジャズサックス奏者といえば、

まずはチャーリー・パーカーという方も多いと思います。

たしかに彼の演奏は素晴らしく天才肌であるんですが、

のちにパーカー流、あるいはパーカー派と言われるほど影響を与えた彼の演奏、

実は私自身それほどたくさん聞いているわけではないんです(笑)。

好きなんですけどね。

 

そんなパーカー流とは一線を画するアート・ペッパーの音色。

明るさも多少感じられるんですけど、

どちらかというと胸に迫ってくるような音色のように私は感じます。

そこも彼の演奏の好きなところなのですけど。

 


Art Pepper - Begin the Beguine