音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

からんでナンボ

今から6年ほど前の話です。

その頃まだTwitterをやってるかやってないかといった頃、
私のSNSのホームグラウンドはmixiでした。
東日本大震災直後にメッセージで安否確認されたことや、
足あと機能が削除されるということで反mixi連合みたいなものができたり、
mixiの日記機能(ブログみたいなもの)を使って小説を連載したり、
いろいろと思い出深いSNSでもあります。

今もmixiはサービス継続中ではありますが、私は数年前に退会しました。


6年前の話に戻ります。

知り合ったmixi友達と一緒にドラクエ展へ行ったんです。
当時、ネット上で知り合った人と会うことに結構抵抗はあったんですけど、
同じドラクエ好きで悪い人はいない、と思っていたところもあって、
ビクビクしながら六本木に向かったのを覚えています。

結果として、そのドラクエ展オフ会は無事に終わりました。
カフェで一緒に食事をしてドラクエ話に花を咲かせ、そのまま解散となりました。
その後、そのオフ会のメンバーとも仲良くしていたんですけど、
私の仕事がかなり忙しくなってしまったこともあって、
mixiの日記やつぶやきを書くペースが落ちてしまったんです。

そしてしばらくして、
ドラクエ展へ一緒に行った人の一人がmixi友達から抜けていったんです。
抜ける前にメッセージ(TwitterのDMみたいなもの)が来てました。
そのメッセージの中にこんな一言が。


mixiってからんでナンボでしょ?からんでくれない人はイヤです」


その方が抜けてしまったこともショックではあったのですが、
「からんでナンボ」という言葉が今でも目に焼き付いてるんですよね。
ただ、この当時はそういう「絡む」ことにそれほど執着してなかったので、
なんでそこが重要なんだろうなぁ、と思ってました。

あれから長いときが経ちました。
気がつくと私も、俗に言う「かまってちゃん」になってました(笑)。

※かまってちゃん とは?
バンド名ではありません(笑)
日常生活やSNS上などで構われることに喜びを感じる人。
この場合の構われるとは、話しかけられたり何かしらの反応が相手からあるということ。
構われないと迷惑な行動を起こす人も多数。
構われたいがゆえに変なことをしたり、炎上すれすれのことを言ったりすることで、
注目を浴びたい、もっと関わり合って欲しいと思う人の総称。


現地点でSNSのホームグラウンドの一つになっているTwitterですが、
「ツイート=つぶやき」という主旨なので、
基本的には独白、独り言であることは重々わかっているんですけど、
何の反応もないと少し寂しいなぁ、と思うことが昔より多くなりました。
6年前のメッセージの意味が少しだけわかってきたんです。

例えば。
前だったら、こちらからフォロワーさんの呟きへ返信を送って、
返信が来なくても、「まあこんなもんよね」程度だったのが、
ここ最近、同じことを経験すると「返信来ないなぁ」と深く思うようになりました。
「なんで返信くれないんだろう」とも思うこともしばしばです。
相手のことを思うより自分中心に物事を考え始めてるんだな、と自覚してます。

歳なんでしょうね(笑)。

有名どころの会社の公式アカウントのツイートに、
いわゆる「クソリプ」(クソみたいな返信)を送っている人もいれば、
名言をつぶやいているアカウントに、
相手のことも考えずに自分の意見を送り続けたりする人もいます。
十人十色、千差万別、一人ひとり違うから面白いってのもわかるんですけど、
Twitter見てると色んな人がいるなぁ、と感慨深いです。


ネットの生放送とかもちょくちょく見たりするんです。
ニコニコ動画の生放送とかだと、
生放送画面にそのまま右から左に視聴者のコメントがリアルタイムで流れます。
Youtube Liveやその他の生放送では、
画面の下や右にコメント欄があって、そこにコメントが流れています。
生放送を配信している人も人間なので、
すべてのコメントに目を通すことも難しいと思うんですけど、
コメントしたことに反応がないと、
「コメント見てください!」とか「コメント見ろよ」といった、
かまってちゃんが出現することがままあります。
私自身、生放送でコメントしたことは数えるほどしかないんですが、
そういうかまってちゃんコメントを見るとゲンナリすることが多いです。
気持ちもわからなくはないんですけどね。

私もかまってちゃんですから(笑)。


今現在の私のように、構われることに喜びを感じる人もいれば、
その反対に、構われることに喜びを感じない人もいます。

ただ、難しいのはこの2種類だけではないというところです。

本心では構われたいと思っているのに、
カッコつけて孤高の人を演じている方もいれば、
構う構われるといったことが精神的な苦痛を伴うのに、
無理をして演技で構われることを喜んで見せる人もいます。
(これは想像の話ではなく事実です)

実際にTwitter等のSNSで知り合った方とお会いして、
Twitterでは口が悪くて粗暴な印象があったのに、
実はそれほど目線もあわせてくれなくてボソボソとした声で話したり、
といったギャップがある方もいます。
ゼルダの伝説夢を見る島に登場する「うるりらじいさん」みたいな感じですかね)

私もそれほどネットで知り合った方とお会いしたわけではないんですけど(笑)

ただ、これだけ「私はかまってちゃん」と書いておいてなんですが、
実は「SNSは、からんでナンボ」とは本心から思えないってのが実際のところです。

一人でいる時間もきっと必要ですし、一人のほうが楽な時もあったりします。
結局その時々の気分や感情に左右されるものなんだろうなあ、と思うんです。
精神的に参っているときに、優しい一言がほしいと思ったり、
逆に参っている時ほど、自分に構わないで欲しいと思ったり。

私は、そういうことをずーっと考えたり思ったりしている人なので、
いざ同僚や友人が何か思い詰めている様子だったりする時にも躊躇することがあります。
果たして声をかけて良いものか、そっとしておいたほうが良いのか。
「あの時声をかけていれば・・・」
「私があの時声なんてかけずにそっとしておけば・・・」
といった後悔も幾度となく経験しています。

実際の場でもこういうことがあるわけなので、
SNSなどの匿名の世界ではより一層そうした迷いは多くなるんでしょうね。
SNS上で気になる言葉を見つけたり、不安を感じさせるような言動を見つけると、
声をかけて良いものか、そっとしておいたほうが良いのか。
たいてい、そっとしておく(=スルー)んでしょうけども。

ただ、こういう場合の心理って、
「そっとしておく」というよりも「危うきに近寄らず」の方がしっくりきます。

駅前でチラシを配っている立候補者、
裏面に広告の付いたポケットティッシュを配っている人、
居酒屋などの多い駅前で自分の店へ誘おうとする店員さん、
言葉巧みに自分の働く画廊へお客を迎えようとするスタッフさんなど、
普通に街を歩いているだけでも、からんでくる人は結構いらっしゃいますよね。
多くの人はそうした絡みに対して無視を決め込む方が多いです。
ここにも「危うきに近寄らず」の心理が働いているように思います。

逆にからんでくる側の方々からすると、課せられたノルマ等があるわけで、
無視して足早にその場を後にする人を見るとストレスに感じたり、
まあこんなもんだよな、と諦めに似た感情を抱いたりするのだそうです。
ストレスレスな方もいらっしゃいますけど。
絡まれる側も絡む側も、スルースキルが必要な時代なんでしょうね、きっと。


価値観。
この言葉、私自身好きではないんですけど、
結局のところ、この言葉に集約されるんだろうなぁと。
SNSって個人の価値観のお披露目の場でもあるわけで、
そうした価値観に対して賛同と反発が同時多発的に起こることは、
ある種必然でもあると思うんですよ。

何度も何度もこのブログで書いていると思うんですが、
価値観は人それぞれです。
なので前述の通り、提示された価値観への賛同と同時に反発も起こります。
そして執拗なまでにその価値観を否定してくる輩も存在します。
価値観だけではなくその人の人間性にまで言及して、
徹底的に叩きのめそうとする輩も存在します。
価値観と人間性は必ずしも一致しているものではないにも関わらず、です。

かまってちゃんと自称している私でも、
こうした執拗な攻撃をしてくる人たちとはからみたくはありません。
その攻撃してくる人の中で、
すでに出来上がってしまっている価値観を押しつけられることは、
百害あって一利なしですから。


mixiで私にメッセージを送って離れていったミク友も、
そういう価値観を押しつけてくる一人だったのかもしれませんし、
そうではなかったのかもしれません。
すでに離れてしまって久しいので、答えは分かりません。
いまさら答えを知ったところでどうすることもできませんけどね。


なんだか真面目なんだか不真面目なんだかよくわからないブログになりました。
考えすぎなのでは、という意見もきっとあるんでしょうけど、
実はそれほど深くは考えていないというのが正直なところです。
頭の片隅で無意識に思ったり考えたりしていることを、
ちょこっとだけ引っ張り出して文章にしただけにすぎません。
本人はいたって精神的に健康なのでご安心ください(笑)。
(説得力の無さ・・・)