音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

NEW TROLLS / CONCERTO GROSSO I 【プログレ古今東西9】

イタリアのプログレロックバンド、

ニュー・トロルスといえばこのアルバム、と誰もが言います。

私もそうです。

オーケストラとバンドの共演という点でいうと、

当時このアルバムがその先端をいっていたことは間違いないと思います。

 

Concerto Grosso Per I New Trol [12 inch Analog]

Concerto Grosso Per I New Trol [12 inch Analog]

 

 

バッハやヘンデルの時代、いわゆるバロック調を基本に、

ロックとクラシックが融合している、これぞクラシカルロックといった感じです。

これぞプログレという感じですけど、

実は私このアルバム、聴いた当時はそれほど良いと思ってなかったんです。

今は愛聴盤になってるくらいに好きなんですけどね。

なんで当時あれほど毛嫌いしてたのか、今となってはわかりません。

 


European Rock Collection Part1 / New trolls-Concert grosso N1(Full Album)

 

現代音楽を聞く その3

イアニス・クセナキスの曲って独創性があると思うんですよ。

ルーマニアの現代音楽作曲家であり建築家でもあった彼は、

その緻密さを活かした現代音楽を作り続けました。

そのひとつが「エヴリアリ」というピアノ独奏曲です。

 


Xenakis evryali

 

「メタスタシス」が彼の作品では知名度も認知度も高いと思うんですが、

管弦楽室内楽、声楽の分野でもたくさんの秀作を残しています。

私自身ピアノの音色が好きということもあるので、今回はこの曲を選曲しました。

 

現代音楽を聞く その2

リゲティ・ジェルジュの「ルクス・エテルナ」です。

 


Ligeti - Lux Aeterna

 

ハンガリーの作曲家ですが、

この曲よりもスタンリー・キューブリック監督の映画で、

リゲティの曲が使われていることの方が有名です。

 

このルクス・エテルナ、ラテン語で「絶えざる光」とも訳されます。

構成的には16人による合唱ということになるんですけど、

合唱というよりも、原始的な音の重なりといったおもむきです。

STAR DUST / LIONEL HAMPTON ALL STARS【ジャズのススメ 42】

ライオネル・ハンプトンのこのアルバム、

たぶん私がジャズを聴き始めた頃に聴いたものです。

ソニー・ロリンズサキソフォン・コロッサスと、

この「スターダスト」は、私のジャズのベースとなっているアルバムです。

今でも2強って呼んでます。

 

うそです(笑)。

 

スターダスト

スターダスト

 

 

なんでも、タモリさんもこのアルバムを一押しされているとか。

それも少し嬉しいんですけど、

まあこのアルバムに参加されているメンバーがこれまたすごい。

個人的にはヴィブラフォンのライオネルが大好きなんですけど、

アルトサックスで参加しているウィリー・スミスがもう素晴らしい。

もちろんその他のメンバーもソロをたんまりと聞かせます。

聴いて損なし、とわたし自身は思っています。

 


Lionel Hampton All Stars / Stardust

奇を衒う音

何かの対談だったと思うのですが、

ドラクエシリーズの音楽を手掛けられたすぎやまこういちさんが、

その中でこのようなことを仰ってたんです。

「『独創性』と『奇を衒う』というのは紙一重のように見えて全く違うものです」

 

インタビュアーの方が、

ドラクエのような中世ヨーロッパを舞台とした世界に、その時代の流行音楽を付けてみようという発想はなかったのですか」

という質問をすぎやまさんにされたんです。

そしてその答えが前述の言葉となります。

 

私がすぎやまさんの音楽が好きな理由のひとつが、

そのレパートリーの豊富さにあると私は自分で分析しています。

グループサウンズの曲から室内楽やオーケストラの曲、

ロック調の曲からCMなどの短くてインパクトのある曲など、

あらゆる曲を網羅されているすぎやまさんが、

独創性について語られている貴重な対談であったと、私は記憶しています。

 

ファミコンの音楽が効果音程度のものであった当時から考えると、

すぎやまさんがゲームの音楽を担当されたことで、

飛躍的にこの分野の裾野が広がったと思っているんですけど、

こういう意見をいうと「いや、それは違う」とおっしゃる方も出てくるので、

明言することは避けておきましょう(笑)。

 

すぎやま節という言葉があります。

すぎやまこういちさんの作る曲というのが自然とわかる、

例えばコード進行だったりメロディだったり、

そうした癖のようなものが作曲家の方にはそれぞれあるんですね。

それが個性であり独創性を生むことになるわけです。

 

奇を衒う(きをてらう)という言葉の意味は、

「人と違うこと、奇妙なことをすることで相手の注意、関心をひくこと」です。

 

以前書いた現代音楽の話と少し通じるところがあるんですが、

今の現代音楽ってまさにこの「奇を衒う」ものが多い気がするんですよ。

もちろんそれなりに技法や技術をふんだんに使用して作られてはいるのですが、

その技法や技術自体がすでに古臭いものであり、

先人の受け売り、モノマネの域を出ているものが少ないとも思うんです。

 

ジョン・ケージスティーブ・ライヒなどのラディカルな音楽家が、

いろいろと模索をして新しい音楽を築いてきました。

今の現代音楽ってその革新的なところから飛び抜けないで、

井の中の蛙のように、作られた枠組みの中でもがいている感じを受けます。

 

もちろんそうした枠組みの中でも、創作は可能ですし、

彼ら以後もそうした音楽は発展を続けていることもまた事実です。

私も時々そうした音楽へ回帰したくなることがあります。

クラシック音楽を生で聴いたりするのもそうした回帰の一環なのでしょうし、

生で音楽を聞くこと、それ自体がいい刺激にもなります。

 

SNSなどで演奏動画などをUPされている方が多くいらっしゃいます。

その多くは残念ながらモノマネ以外の何物でもないわけですが、

技術を人に見てもらう、ということは必要不可欠であるとも思ってます。

奇を衒う、という言葉では言い表せない衝動のようなものに突き動かされて、

自分の演奏したもの、作曲した作品を多くの人に聞いてもらいたい、

という発想は当然のものである、と考えてます。

ただ、そうした動画を見ても心が動かされることは殆どありません。

独創性というものがありませんし、

どちらかというと奇をてらっているものが圧倒的です。

 

独創性はモノマネから作られる、という言葉は誰が言ったのかは知りませんが、

モノマネだけでは独創性は生まれません。

やはり何かスパイスのようなものがそこに足されないと、モノマネのままなのだろうな、と。

「モノマネ上等」と腹をくくって、

モノマネに徹していらっしゃる方もかなり多いのは承知してます。

そうした心意気って演奏にもあらわれているような気がしますし。

 

以前の私ならばそうしたものを嬉々として聴いていたんでしょうけど、

今はあまりそうしたものに対して食指が動かなくなってしまいました。

 

人は変わるものなのですね・・・

現代音楽を聞く その1

イギリスの現代音楽作曲家、ブライアン・ファーニホウ。

学生時代にハマってたことがあるんですけど、

そのきっかけというのが、

バスクラリネット独奏による「時間と運動のための習作 第1番」です。

 

当時、現代音楽に傾倒していた私は、

古今東西のありとあらゆる「音」を貪るように聴いていたんです。

今もその傾向は強いんですけど(笑)。

 

今回の現代音楽シリーズも少し継続してやるつもりではあるのですが、

個人的な感想はできるだけ書かないようにします。

こうした音楽というのは好き嫌いがはっきりと分かれるものですし、

嫌いな人は拒否反応すら抱くことも重々承知しているので、

ここで「いやぁ、この曲刺激的で良いですよね~!」なんて軽々しく書くのは、

私の心理的側面からも憚られます。

 

ということで、シリーズをまたひとつ立ち上げてしまいましたが、

ジャズもプログレももちろん続けていきますのでご安心ください。

現代音楽

現代音楽、という名称自体それほど好まないんですけど(笑)。

コンテンポラリーとかかっこいい言い方もあるんですが、

それだと分かりにくいので「現代音楽」で通します。

 

わたくし、作曲科というところで勉強をしていたこともあって、

現代音楽も多少なりと知っていると言えば知っているのですが、

どのあたりからどのあたりまでが現代音楽なのか、

という具体的な説明は全くできません(笑)。

 

聞く人が聞くと、退屈な音楽、わけがわからないといった、

否定的な意見も多く見られる現代音楽ですが、

古典的手法から切り離されて、時間や空間も超越した音楽、

なんて書くとちょっと格好いいものに思えてくる、ような気もします。

 

日本の音楽大学に行ってない人なので、

そこでどういう学問が施されているのかは定かではありませんが、

作曲科=現代音楽、という図式がある種必然のように語られることが多いです。

もちろん海外でもそうした図式はある程度当てはまるんですけども。

 

法則性であったり規則性であったり、

そうしたものを発見する楽しさというのも現代音楽にはあるんですが、

通して聴いてみると、かなり難解であるようです。

 

例を挙げると、

武満徹さんの「弦楽のためのレクイエム」という曲があるんです。

 


武満 徹 作曲  弦楽のためのレクイエム

 

どういう音楽でも嗜好というものがあるので、

好き嫌いというのは存在するはずなんですよ。

ただ、現代音楽については、

スノビズムの温床ともいえる状況があちこちに見受けられます。

「こんな偉大な音楽を理解できないとは、なんてかわいそうなんだろう」

というのがスノビズムの基本理念なのですが、何とも嫌味です(笑)。

 

私自身はこの武満徹さんの曲、嫌いではないです。

こうした現代音楽を好んで聴いていた時期も確かにありました。

今もちょくちょく、こうした音楽を聞くようにしています。

(なんて書くと、私もスノビズムの理解者と思われるんでしょうけど・・・)

 

無調、音群作法といった小難しい言葉を知らなくても、

こうした現代音楽を聴いていると、

聞く人それぞれに何かしらの感情や感覚がわいてくると思うんです。

それが良いものであれ悪いものであれ、です。

 

なんでも良いと思うんです。

「小難しい音楽」と思ってもそれはその人の正解ですし、

「素晴らしい音楽」と思ってもそれはその人の正解です。

つまりは「音楽に正解なんてない」ってことです。

 

現代音楽が嫌いでも全然問題はないはずなんですよ。

それは嗜好性の違いですからね。

ただ、それを是とはしないで、スノビズムに感化されて、

理解できない人たちに対して上位者ぶるというのはちょっと考えものです。

 

どんな音楽でも楽しむ権利は個人にこそあります。

クラシックやジャズ、ポップス、ロックなどなど、

世の中には魅力的な音楽があふれています。

 

そんな中に現代音楽が入っていても何も不思議はありません。

このブログでもそうした魅力を少しでも伝えていければなとは思ってますが、

かといって押し付けることだけはしたくないので、

気楽に気軽に聴いてもらって、ダメだったらやめてもらって良いと思いますよ(笑)。

 

音楽は自由なんですから。