現代音楽、という名称自体それほど好まないんですけど(笑)。
コンテンポラリーとかかっこいい言い方もあるんですが、
それだと分かりにくいので「現代音楽」で通します。
わたくし、作曲科というところで勉強をしていたこともあって、
現代音楽も多少なりと知っていると言えば知っているのですが、
どのあたりからどのあたりまでが現代音楽なのか、
という具体的な説明は全くできません(笑)。
聞く人が聞くと、退屈な音楽、わけがわからないといった、
否定的な意見も多く見られる現代音楽ですが、
古典的手法から切り離されて、時間や空間も超越した音楽、
なんて書くとちょっと格好いいものに思えてくる、ような気もします。
日本の音楽大学に行ってない人なので、
そこでどういう学問が施されているのかは定かではありませんが、
作曲科=現代音楽、という図式がある種必然のように語られることが多いです。
もちろん海外でもそうした図式はある程度当てはまるんですけども。
法則性であったり規則性であったり、
そうしたものを発見する楽しさというのも現代音楽にはあるんですが、
通して聴いてみると、かなり難解であるようです。
例を挙げると、
武満徹さんの「弦楽のためのレクイエム」という曲があるんです。
どういう音楽でも嗜好というものがあるので、
好き嫌いというのは存在するはずなんですよ。
ただ、現代音楽については、
スノビズムの温床ともいえる状況があちこちに見受けられます。
「こんな偉大な音楽を理解できないとは、なんてかわいそうなんだろう」
というのがスノビズムの基本理念なのですが、何とも嫌味です(笑)。
私自身はこの武満徹さんの曲、嫌いではないです。
こうした現代音楽を好んで聴いていた時期も確かにありました。
今もちょくちょく、こうした音楽を聞くようにしています。
(なんて書くと、私もスノビズムの理解者と思われるんでしょうけど・・・)
無調、音群作法といった小難しい言葉を知らなくても、
こうした現代音楽を聴いていると、
聞く人それぞれに何かしらの感情や感覚がわいてくると思うんです。
それが良いものであれ悪いものであれ、です。
なんでも良いと思うんです。
「小難しい音楽」と思ってもそれはその人の正解ですし、
「素晴らしい音楽」と思ってもそれはその人の正解です。
つまりは「音楽に正解なんてない」ってことです。
現代音楽が嫌いでも全然問題はないはずなんですよ。
それは嗜好性の違いですからね。
ただ、それを是とはしないで、スノビズムに感化されて、
理解できない人たちに対して上位者ぶるというのはちょっと考えものです。
どんな音楽でも楽しむ権利は個人にこそあります。
クラシックやジャズ、ポップス、ロックなどなど、
世の中には魅力的な音楽があふれています。
そんな中に現代音楽が入っていても何も不思議はありません。
このブログでもそうした魅力を少しでも伝えていければなとは思ってますが、
かといって押し付けることだけはしたくないので、
気楽に気軽に聴いてもらって、ダメだったらやめてもらって良いと思いますよ(笑)。
音楽は自由なんですから。