音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

フランスへ

このブログを投稿しているころ(自動投稿設定してます)には、

すでに私は機上の人になっていると思いますが。

 

今週金曜までフランスへ行きます。

なので、ブログの更新が滞るかもしれません。

 

昨日(というか、ブログ書いてるの日曜なんですけど)、

Eテレクラシック音楽館見てたんです。

ショスタコーヴィチピアノ協奏曲第2番

大好きな曲です。

 

その2楽章を見てて、ふと思い出したのが、

フランスの作曲家モーリス・ラヴェルのピアノ協奏曲でした。

 


Ravel, Piano concerto in G - II Adagio assai (L. Bernstein)

 

1楽章や3楽章の洒脱な展開のある曲調に目が行きがちなんですが、

この2楽章Adagio assaiがすごく好きなんです。

昨日見たショスタコーヴィチのピアノ協奏曲2番の2楽章も、

緩徐楽章がラヴェルのそれと重なって、涙ぐみそうになりました。

泣いてないですけどね(笑)。

quasimode / daybreak【ジャズのススメ 68】

2015年に解散したジャズカルテットグループのクオシモード。

実は私はそれほど好きじゃないです。

 

「音楽に好き嫌いはない」というのが私の持論です。

ただ、合う合わないは絶対にあるとは思っています。

そういう意味でいうと明らかに彼らの音色は私には合わなかったです。

じゃ、なんで紹介しているのかというと、

友人が彼らの大ファンだったからです(笑)。

 

daybreakはそんな友人のおススメ、なのだそうです。

 

Daybreak

Daybreak

 

 

音色が洗練されているといいますか、

特に欠点もない感じがしますけど、個性もあまり感じないんです。

60年代の古くさいジャズが好きな傾向にある私にとっては、

ちょっと新参者っぽい音色だな、という印象でした。

 

ジャズフュージョン、とてもカッコいいですけどね。

 


Quasimode - All is One

 

Incidental Music Vol.17

松尾早人さん、昔から大好きなんですよね。

それこそ、すぎやまこういちさんのところにいた頃に、

テレビゲームやアニメの音楽を担当されていたあたりからずっと。

オーケストレーションの技術もさることながら、

プログレにも造詣が深くて、そのあたりのアルバムも聞きまくってました。

 

今は、作曲家の田中公平さんも所属されている音楽事務所イマジンに入られて、

テレビアニメの音楽やアレンジャーとしてもよく知られています。

 

怪盗セイント・テールというテレビアニメが放送されていたのは、

今から20年ほど前のことになります。

私の妹が原作本を買うほど好きなアニメだったみたいですが、

私も見てました(笑)。

もちろんこの「怪盗セイント・テール」のアニメの音楽を担当されていたのも、

松尾早人さんその人です。

 


Saint Tail Main Theme

 

サウンドトラックもすべて買って持っているんですけど、

このメインテーマが本当に好きでして。

起承転結がはっきりした名曲、といえます。今でもよく聞いてます。

SNS疲れと老害

子供のころ、家に内風呂というものがありませんでした。
なので毎日夜、親と一緒に銭湯に行くのが習慣となっていたんですね。

昔は一区画に銭湯1件は必ずありました。
私が小学生のころによく通っていた銭湯は家から歩いて5分くらい、
隣に郵便局があり、近くにおいしい洋食屋などもあって、
帰りにそこのオムライスを食べるのが月に一度の楽しみでもありました。

そんな銭湯の思い出の一つに「知らないオッサンとの交流」というのがあります。

今みたいに個人主義が横行する前の話ですから、
プライバシーなんてあってないようなものでした。
銭湯に行くと、当たり前のように知らないオッサンから、
「おい、ちゃんと肩までお湯につからんかい!」とおしかりを受けたり、
「コーヒー牛乳飲むか?」と見ず知らずの人からおごってもらったり、
といったことが日常として普通に営まれていた時代です。


老害、という言葉があります。
あまり好んで使わない言葉ではあるんですが、
SNSなどでもよく見かける言葉ですね。
若い人から見て、年寄りの方々の異常な言動に対しての悪口、
と書くと多少語弊があるような気もするんですが。
「老人」の「害悪、被害」という意味合いなのでしょうかね。

銭湯での思い出話、今の人から考えると「老害」の一種になるんでしょうね。
「見ず知らずの人から話しかけられたら逃げましょう」
といった極端な行動原理を子供に教え込んでいるような現代社会で、
一昔前の光景は、時代を経て非常識へと変貌しています。


今日、2018年7月6日。私はTwitterやめました。
正確には「こむ」というメインアカウントを削除しました。
(サブアカは残してます)

SNSをやめた原因はいろいろとあるのですが、
大きなものの一つは、いろいろついていけないことでした。
あと、単純に疲れました・・・

私自身、グループ活動に向いていないとは以前から思ってたんですけど、
SNSを通じて仲良くしていただいてる人たちがいて、
(とあるゲームを通じて仲良くなった人たちです)
その人たちとの交流が心地よかったんです。

でも、
ここ最近、その心地よい居場所が少し居づらく感じられるようになりました。


はたから見ると、いじめともとられかねない言動を、
特定の1人に、ある集団がやっているのを見たんですね。

飲み会でのノリでやっていることは前後からわかってましたし、
冗談で言っていることも頭ではわかってました。

でも、そのノリに私はついていけませんでした。
単純に、その言動をした人たちのことを不快に思いました。


当事者同士が、何事もなかったかのように今も交流を続けているのを見て、
「ああ、私も老害の仲間入りをしたんだな」と思いました。
気は若いと思っていても、身体は正直ですし、思考回路も正直です。
若い人たちが自分たちの暗黙のルールで行動していることを見て、
仲間たちと思っていた人たちに、ついていけなくなったことを自覚しました。

前述のいじめのくだりで、
私がしゃしゃりでて「いじめよくないよ」なんてコメントしたら、
きっと、した側からもされた側からも白眼視されていたことでしょう。
やろうとしましたけど(笑)。

若い方々のノリについていけなくなったことを自覚したとき、
自分の中で何かが音を立てて崩れていくのを実感しました。

SNSなんだから、ミュート機能なりブロックなりすれば、
そうした言動をみなくて済むんじゃないか、という意見もあると思います。

確かにその通りです。
ごく一部の人のそうした言動を見てげんなりしたことは事実ですが、
あくまでそれは一部の人のことです。その他大勢の人は関係ありません。

エゴなんでしょうね、きっと。
逃げなんでしょうね、きっと。

からしばらくしたら後悔するんだろうなぁと思ってます。
でも、今は逃げたかったし、見たくないからやめようと決めました。

正しくない選択なんでしょうけど、今はそうしたかったんです。

現代音楽を聞く その27

オーストリアの作曲家、アントン・ウェーベルン

以前紹介したシェーンベルクに師事し、十二音技法の継承者の一人として、

後進の作曲家にも多大な影響を与えた。

というのが一般的な彼のプロフィールです。

 

私自身もそれほど傾倒していた作曲家ではないこともあり、

あまり彼の曲を聞いてなかったんですが、

最近になって少しずつ聞くようになりました。

彼の後期の代表作の一つ「協奏曲 作品24」は、

精緻な音符運びと計算された音色が特徴的な楽曲です。

 


Anton Webern - Concerto for nine instruments, Op. 24

 

 

KV449

何の暗号だろうと思った方も多いと思いますが、

これ「ケッヘル番号」と呼ばれるものです。

その昔、ケッヘルという人が、

古典派の大作曲家であるモーツァルトの作品を時系列順に番号を振った、

と言われている番号のことを指します。

今回のKV449というのは、

モーツァルト円熟期に作曲された「ピアノ協奏曲第14番変ホ長調」のことですね。

 

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この楽譜は、ピアノ協奏曲第14番の第一楽章の終盤、

ピアノによるカデンツァ直前のTutti(全合奏)部分です。

一番上はオーボエ、その下がファゴット

その下、3段目と4段目はピアノ、その下の4段は弦楽部です。

 

この楽譜では、

ピアノの右手のトリルの途中で弦楽の力強い旋律が入ってきます。

(下の動画でいうと、7分52秒~ですね)


Mozart, Piano Concert Nr 14 Es Dur KV 449 Rudolf Buchbinder Piano & Conducter, Wiener Phi

 

なんですけど、もう一つの動画をご覧ください。

(下の動画では6分46秒~あたりです)


Mozart - Piano Concerto No. 14 in E-flat major, K. 449 (Murray Perahia

 

こちらの動画では、

ピアノのトリルが完全に終わってからTuttiが始まります。

 

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ちょうど楽譜が途切れる箇所だったので二枚になってますが(笑)。

 

この楽譜では、右手のトリルが終わって、

ひと呼吸おいた後でTuttiが始まっています。

 

違和感あります(笑)。

最初にこっちを聞いていたら、前者の方に違和感があると思うんです。

どっちが正しいのかということよりも、

どちらが音楽的にフィットしているか、完成されているのか、

という判断基準になるかと思うんですけど、

正直「どっちでもええわ」っていうのが私の感想です。

 

昨日、たまたまこの曲を聞いててふと思い出したので、

記録がてら書いてみました。

昔の音源を聞く

6月は第一四半期の締め月ということもあり、多忙を極めておりました。

そのため、ブログ更新が滞り気味となってました。

すいません。

今月はもう少し余裕がありそうなので、6月よりは更新できそうです。

 

 

日曜日、時間があったのでパソコンでデータの整理をしてたんです。

そこで、学生時代やアマチュアバンドやってた頃の音源が出てきまして。

今聞くと、恥ずかしいところもあるんですけど、

アレンジとか聞くと、すでに完成してるところもあったりして、

あのころからあまり成長していないんじゃないかとも思ったり(笑)。

 

今もそうですけど、当時からヒネクレモノでしたから、

理論を勉強しつつ、それとは違うことをやりたくなる性分で、

それはそれで「反骨精神」といえば聞こえはいいですけど、

要するに「めんどくさいことは嫌い」ってことでして(笑)。

 

原曲をジャズ調やクラシック調に編曲する仕事とかやってたんですけど、

仕事ではありましたが、いやでしょうがなかったんです。

今でもそういうお仕事をすることがたまにあるんですが、

ジャズ好きってこともあって、原曲を大幅に変更して、

でも、原曲よりも素晴らしいものを作ろうという意識が強くなりました。

 

パロディはパロディで楽しいことも多いんですけど、

音楽を作る側にいるものとしては、

「パロディをやるなら真剣に、原曲を超える勢いで」

という意識でやることが多くなりました。

自己満足の極みとも言われそうですけど・・・

 

これからも真摯に音楽と向き合って、

楽しいものを提供していければな、と思います。