子供のころ、家に内風呂というものがありませんでした。
なので毎日夜、親と一緒に銭湯に行くのが習慣となっていたんですね。
昔は一区画に銭湯1件は必ずありました。
私が小学生のころによく通っていた銭湯は家から歩いて5分くらい、
隣に郵便局があり、近くにおいしい洋食屋などもあって、
帰りにそこのオムライスを食べるのが月に一度の楽しみでもありました。
そんな銭湯の思い出の一つに「知らないオッサンとの交流」というのがあります。
今みたいに個人主義が横行する前の話ですから、
プライバシーなんてあってないようなものでした。
銭湯に行くと、当たり前のように知らないオッサンから、
「おい、ちゃんと肩までお湯につからんかい!」とおしかりを受けたり、
「コーヒー牛乳飲むか?」と見ず知らずの人からおごってもらったり、
といったことが日常として普通に営まれていた時代です。
老害、という言葉があります。
あまり好んで使わない言葉ではあるんですが、
SNSなどでもよく見かける言葉ですね。
若い人から見て、年寄りの方々の異常な言動に対しての悪口、
と書くと多少語弊があるような気もするんですが。
「老人」の「害悪、被害」という意味合いなのでしょうかね。
銭湯での思い出話、今の人から考えると「老害」の一種になるんでしょうね。
「見ず知らずの人から話しかけられたら逃げましょう」
といった極端な行動原理を子供に教え込んでいるような現代社会で、
一昔前の光景は、時代を経て非常識へと変貌しています。
今日、2018年7月6日。私はTwitterやめました。
正確には「こむ」というメインアカウントを削除しました。
(サブアカは残してます)
SNSをやめた原因はいろいろとあるのですが、
大きなものの一つは、いろいろついていけないことでした。
あと、単純に疲れました・・・
私自身、グループ活動に向いていないとは以前から思ってたんですけど、
SNSを通じて仲良くしていただいてる人たちがいて、
(とあるゲームを通じて仲良くなった人たちです)
その人たちとの交流が心地よかったんです。
でも、
ここ最近、その心地よい居場所が少し居づらく感じられるようになりました。
はたから見ると、いじめともとられかねない言動を、
特定の1人に、ある集団がやっているのを見たんですね。
飲み会でのノリでやっていることは前後からわかってましたし、
冗談で言っていることも頭ではわかってました。
でも、そのノリに私はついていけませんでした。
単純に、その言動をした人たちのことを不快に思いました。
当事者同士が、何事もなかったかのように今も交流を続けているのを見て、
「ああ、私も老害の仲間入りをしたんだな」と思いました。
気は若いと思っていても、身体は正直ですし、思考回路も正直です。
若い人たちが自分たちの暗黙のルールで行動していることを見て、
仲間たちと思っていた人たちに、ついていけなくなったことを自覚しました。
前述のいじめのくだりで、
私がしゃしゃりでて「いじめよくないよ」なんてコメントしたら、
きっと、した側からもされた側からも白眼視されていたことでしょう。
やろうとしましたけど(笑)。
若い方々のノリについていけなくなったことを自覚したとき、
自分の中で何かが音を立てて崩れていくのを実感しました。
SNSなんだから、ミュート機能なりブロックなりすれば、
そうした言動をみなくて済むんじゃないか、という意見もあると思います。
確かにその通りです。
ごく一部の人のそうした言動を見てげんなりしたことは事実ですが、
あくまでそれは一部の人のことです。その他大勢の人は関係ありません。
エゴなんでしょうね、きっと。
逃げなんでしょうね、きっと。
だからしばらくしたら後悔するんだろうなぁと思ってます。
でも、今は逃げたかったし、見たくないからやめようと決めました。
正しくない選択なんでしょうけど、今はそうしたかったんです。