音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

SOUND LIKE

Google翻訳でこれを入れると「~のように聞こえる」という言葉で出てきました。LIKEが「~のように」、SOUNDは「聞こえる、聴く」ってことですかね。

 

Youtubeニコニコ動画などのサイトで不正にUPされているサントラの音楽だったり、ゲームから引っこ抜いた音楽だったりを聴くことができます。私も利用したことがない、というと嘘になります。ただ、なるべくそうして聴いたものについてはちゃんと後から買ってますし、製作者へ還元しようという意識がどうしても働いてしまいます。もともと音楽業界にいた人間ですからね。

でそうした動画サイトで音楽を聞くこともあるんですが、そのコメント等を見ているとよく目にするのがこの「sound like」という言葉なんですよ。「あ、この曲、~に似てる」ってことですね。私、この言葉があまり好きではないんですよ。語彙力のなさをそうした似ているコメントでカバーしているんでしょうけど、全然カバーできてないですよね。むしろアホさ加減をさらしているような気がします。

例えばクラシックの音楽、ショスタコーヴィチストラヴィンスキーなどの現代作曲家の音楽を聴いていると「これなんかドラクエのあの音楽にそっくり」っていうコメントをするアホがいます。すぎやまこういちさんが様々な音楽に影響を受けていて、ロシア音楽もまたそのひとつであることは知られてます。ドラクエよりも前に作られた音楽をドラクエと比較するというアホなことを平気でコメントしているのを見てると、虫酸が走るんですよ。そこしか比較対象がないのであればしょうがないんですけど。数多くの音楽を聴いているとショスタコーヴィチストラヴィンスキーの独自性であったりパロディであったりというものもわかるとは思うんですけど、一般的にクラシック音楽を統計的に、あるいは分析を加えながら聞く人ってそれほどいないんだなってことを再認識させられます。

1月~3月クールで唯一見ていたアニメ「鬼平」というのがあるんですけど、このOPがとてもかっちょいいんですよ。私の敬愛する田中公平さんの手によるOP曲。確かに聴いてみると「COWBOY BEBOP」のOP「TANK!」との類似性ってのもあるっちゃあるんでしょうけど、それって無粋じゃないかと私なんかは思っちゃうんですよね。鬼平には鬼平の、ビバップにはビバップの音楽の良いところ悪いところはかならずあるわけで。それを単に「似ている」という一言で片付けてしまうのはどうなんでしょうね。率直な感想という人もいるのでしょうけれど、それは感想ではなく比較です。

とはいえ、製作者も狙って似せて作ることがもちろんあるわけなので、一概にそうした感想を否定するのもどうかとは私も思います。ただ、そういうコメントしか書けないアホもちょくちょくいるんですよ。アホはどこまで行ってもアホってことですかね。

「~風」というオーダーを、私も編曲者時代に受けたことは一度や二度ではありません。一応当時はプロを自認していたのでそうしたオーダーを毛嫌いすること無く精一杯アレンジをしていた記憶があります。内心はともかく(笑)。こういう感想を書かれるようにこちらから仕向けているという意識もあったので、その葛藤で少し心を痛めていた時期もありました。すぐに「ま、いっか」ってなりましたけど。

 

「~に似てる」「~のパクリ」とコメント書いたりする前に、もう少し音楽勉強したほうが良いかもしれませんね、その手の方々は。自分の不勉強をわざわざ自分から申告してるようなもんですよ。気をつけましょう。

 

 

 

 

公平さんと鷺巣さん

私が敬愛する日本の劇伴作曲家である田中公平さん。

その公平さんの公式ブログに、

同じく敬愛する作曲家である鷺巣詩郎さんとのツーショット写真がありました。

ちょっとうれしくなったので追加で投稿してみました。

 

詳しくはこちらへ

田中公平のブログ My Quest for Beauty

ART PEPPER / the art of pepper【ジャズのススメ 28】

通常だと、名前は大文字と小文字、

そしてアルバム名は大文字のみという書き方を意識しているんですが、

(例外も多数ありますがw)

今回こういう表記にしたのは、アルバムに則ってるだけです(笑)。

 

アート・ペッパー、大好きなんですけど、

周りに好きな人があまり見当たらないのは何でなんでしょうね。

そしてこのアルバム「ジ・アート・オブ・ペッパー」も、

ファンの間で賛否がわかれるタイトルです。

 

 

ジ・アート・オブ・ペッパー

ジ・アート・オブ・ペッパー

 

 


Art Pepper Quartet - Body and Soul

 

ジャズサックス奏者といえば、

まずはチャーリー・パーカーという方も多いと思います。

たしかに彼の演奏は素晴らしく天才肌であるんですが、

のちにパーカー流、あるいはパーカー派と言われるほど影響を与えた彼の演奏、

実は私自身それほどたくさん聞いているわけではないんです(笑)。

好きなんですけどね。

 

そんなパーカー流とは一線を画するアート・ペッパーの音色。

明るさも多少感じられるんですけど、

どちらかというと胸に迫ってくるような音色のように私は感じます。

そこも彼の演奏の好きなところなのですけど。

 


Art Pepper - Begin the Beguine

ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドの音楽のこと

※若干ネタバレ要素がありますのでご注意ください。

 

 

昨日、ようやく両機種でクリアをしました。

 

ゼルダの伝説Breath of the Wild(BotW)、

WiiU版、Switch版両方を順番にやったんですけど、

さすがに昔のように徹夜でゲームするほどの体力もなく、

ちまちまと遊んでおりました。

 

まあ、Switch版は発売後4日でクリアしてしまいましたが(笑)。

 

その後、Switch版をやり込んで二度目のクリアをした後、

WiiU版を最初からプレイして3週間ほどかけてクリアしました。

とはいえ、まだまだやりこみ要素がたくさんあるみたいなので、

しばらくはこのゲームをやり続けることになるんだろうと思います。

 

ということをTwitterでつぶやいたのですが、

ものの見事に反応がなかったので(笑)、

こちらでその話題を記録しているという次第です。

 

 

さて、このゲーム、音楽も大変素晴らしいものでした。

歴代のゼルダシリーズとは一線を画しているゲームシステムであるがゆえに、

音楽も歴代のものとは一線を画している構成となっています。

ゲーム音楽ではあまり使われることにないピアノをメインにして、

かなり音楽のレンジが大きい音楽群となっています。

具体的に言うと、メインテーマや「ここぞ」というところでは迫力のある音楽、

そしてフィールドで歩いている時は環境音のようなピアノの音色が聞こえたり、

風の音や虫の声などの音が聞こえてくる、というような感じになっています。

 

で、こういう音楽に拒否反応を示している人も少なからずいるようです。

 

ゼルダシリーズと言えば勇壮なフィールド曲がこれまでも流れていたのに、

今回のBotWでは環境音がメインとなりゲームがダレるという理由みたいなのですが、

少なくとも私はそう感じませんでした。

逆にこれだけ広大なフィールドを長時間冒険するわけですから、

大音量でフィールド曲が流れてしまうと、それこそ耳障りになってしまう、

という可能性も否定できないと考えます。

 

ゼルダシリーズのひとつである風のタクトの広い海原では、

終始勇壮な曲がずっとかかっていましたが、

フィールドが広いがゆえにダレてしまうという声もありましたから、

音楽が勇壮であっても無くても結局はダレてしまう、ということかもしれません。

であれば、無くても一向に問題はないと私は思います。

というか私は全くダレることはありませんでした。

舞台のそこここに仕掛けが施されており、それを探索するだけでワクワクするんです。

このフィールド曲を無くすという判断、私は正しかったと考えます。

 

 

ただ、不満というわけではないんですけど、

BotWでは、シリーズの名曲のアレンジが割と多かったんです。

それはそれでファンとしては歓迎すべきことなのでしょうけど、

出来れば新曲ももっと聴きたかったという感想も私の中ではあります。

確かに、某村で風のタクトの名曲のアレンジが聴けますし、

それ以外にもそこここにシリーズを知っている人ならニヤリとする旋律が登場します。

それはそれで楽しいとは思うのですが、

やはりBotWならではの曲をもうちょっと聴きたかったという印象も拭いきれません。

 

 

そういう意味では、Twitterでも昨日つぶやいたんですが、

カカリコ村で流れる曲は良いアレンジだったなあ、と思うんです。

かなり和風なアレンジになっていたんですが、

この曲の一部分で、前のシリーズで使われたカカリコ村のメロディの断片が、

ちゃんと使われているんですよね。

こういう音楽的仕掛けも、ここ最近のシリーズでは常套となってますけど、

最初にこの曲を聞いたときは、おおお!と驚いてしまいました。

 

あと、わかりやすいところで言うと、

ゲーム序盤に行くことが出来る「時の神殿跡」という場所では、

印象派のようなピアノのメロディが聞こえてくるんですが、

そのメロディをよく聴いてみると、

シリーズ屈指の名作のひとつ、時のオカリナで登場した「時の唄」なんですよ。

アレンジされすぎてて最初聴いたときはわかりにくいかもしれませんが、

じっくり聴いてみると、途切れ途切れで時の歌が聞こえてくるはずです。

 

あと、神獣戦の音楽がどれもかっこよかったですね。

特にゾーラの里のヴァ・ルッタ戦は燃えました。

戦いもそうですけど、うしろで流れている音楽がとても勇壮で。

よく聴くとこのヴァ・ルッタ戦の音楽が、

英傑の一人であるミファーのテーマのアレンジであることに気づくはずです。

最初に聞いたときは音楽どころじゃなかったんですけど(笑)。

2周目やったときにはじっくり聞くことができました。

 

 

たぶんこの他にも音楽的な仕掛けが実はあるんでしょうけど、

そこまで分析をしているわけではないので、あとは専門家におまかせします(笑)。

 

 

ちなみにBotWなんですが、とてつもなく面白いです。

ゼルダシリーズで一番面白い、とかいう言葉は、

シリーズ内の比較となってしまいますので、私はあまりいいたくありません。

人によっては時のオカリナが一番、いやいや、神々のトライフォースの方が、

といった声もSNSやブログ等でささやかれていますが、どうでもいいです。

ゼルダシリーズはどの作品も名作ですし、どれを遊んでも最高に楽しめます。

 

今作ゼルダBotWもその例に漏れることのない傑作です。

興味がある人はやってみてください。きっと後悔はしないと思います。

Donald Byrd / FUEGO【ジャズのススメ 27】

ピアニストのデューク・ピアソンが好きなんです。

「TENDER FEELIN'S」というアルバムがすごく好きで、

いずれこのブログでもこのアルバムのことを書くと思うんですけど、

じゃあなんでデュークではなく、ドナルド・バードのこのアルバムなのかというと、

なんとなくノリです(笑)。

 

Fuego

Fuego

 

 

ジャズトランペッターの代表格というとマイルス・デイビスなんでしょうけど、

彼とは違うトランペットの音色をファンキーに堪能できるこのアルバムは、

かなりテンションの上がるラインナップが揃っています。

最初の表題曲「FUEGO」からラストの「Amen」まで、

緊張を緩めること無く聴くことが出来る稀有なアルバムでもありますが、

二曲目の「Bup a Loup」はヘビロテするくらい好きな曲のひとつです。

 


DONALD BYRD, Bup A Loup

 

あとは「Lament」のゆったりした感じも大好きです。

 


DONALD BYRD, Lament

 

愛のある編曲、愛のない作曲

最近よくこういう言葉を聞きます。

「愛のあるホニャララ」というフレーズです。

 

その昔、私が編曲の仕事をしていた頃は、

自分自身はその曲に愛をもって接していたつもりでいたのですが、

今、その完成された曲を聴いてみると、

「ああ、これは作業編曲になってしまってますわぁ・・・・」

という気持になってしまいます。

つまり、愛の無い編曲ということですね。

 

海外の音楽学校へ行って、帰国してからやった仕事というのが、

カラオケの「オケ」の製作であったり、演歌やポップスの編曲でした。

それこそ流れ作業のごとくやっていた20代でしたから、

そこに愛をこめていたか、と言われるとなかなか断言しづらいものもあります。

 

編曲に愛は必要でしょうか。

作曲に愛は不要でしょうか。

 

 

編曲とは、作曲者が作った珠玉のメロディに対して、

いろいろと手を加えていくという作業です。

(細かい話はいろいろとあるんですが、大雑把に言うとこういう仕事です)

作曲者の思いの詰まったメロディでありコード(和音)を、

活かすも殺すも、この編曲という作業にかかっていると言っても過言ではないです。

 

どうしても小手先のテクニックに頼ってしまって、

その楽曲への愛が不足しているな、と作り終わってから感じたこともありました。

会心の出来だと自分で納得した編曲が、ものの見事にボツを食らったこともありました。

 

愛にもいろいろな形はあります。

原曲に対する編曲者本人のリスペクト愛。

その作曲者の作品全般に対する愛。もしくは作曲者本人への信頼愛。

そして、音楽に対する形容しようのない特別な愛。

それぞれ形は違うとは思いますが、編曲にも愛は必要かもしれません。

 

私が編曲の仕事をしていた頃、

それはそれはたくさんの作曲家の方々のデモテープを聞きました。

 

ちなみに、デモテープというのは、

作曲家の人が作ったメロディを様々な形態で奏されているテープのことで、

歌手が歌を覚えるときに使われるものや、

私のような編曲家へ聞かせるためのものもあります。

きっちりと楽譜に書き込みをしてくる作曲家の方もいれば、

ギター一本で朗々と歌い上げているテープのみ送られてくるということもあります。

また、電子楽器やパソコンなどを使用して、

イントロから最後まできっちりと作られているデモテープもありました。

 

そんなデモテープ、たくさん聞いていると、

その作曲家の人たちの癖みたいなものがおぼろげながらわかってくるんです。

そんな時に、とある作曲家のメロディを聴いたときにふと思うわけです。

「この人、音楽に対して愛情を持っているのか」

例えば悪いかもしれませんけど、

お風呂場で鼻歌まじりに作ったような、極薄のメロディと感じたんです。

もちろんそんな本音を押し殺して編曲作業をするわけですけど(笑)。

ただ、こういう愛の無い作曲を見たり聴いたりしてしまうと、

テンションはあまり上がりませんし、やる気も削がれてしまいます。

結局そのデモテープから編曲作業をするためにメロディやコードなどを譜面に書く時、

指定されているコードをあえて外してみたり、

通常そのジャンルではあまり使わない音を使ってみたり、

いろいろと編曲作業を通して抵抗を試みることもありました(笑)。

 

こういう感情的なところがあるからプロとして成功しなかったんでしょうけどね。

 

プロデューサーなどの方向性を決めることの出来る人たちの意向で、

いろいろと制約もある業界ではあったんですけど、

結構自由にやらせてもらってたことだけは嬉しかったですね。

愛の無いメロディに愛を加えていく作業、とでも言えばかっこいいんでしょうけど、

ピアノやキーボードなどの音が出るものがひとつもないところで、

ベルトコンベア式にずっと楽譜書いてただけでした(笑)。

 

というわけで、懐かしいお話の一節でした。

ジャミロクワイの新しいアルバムを聴く

「AUTOMATON(オートマトン)」というタイトルも意味深ですが、

私のような、初期の作品愛好家からすると、

ここ最近の彼の音楽性、というよりも、千変万化なサウンドに戸惑うこともあります。

嫌いじゃなくて好きなんですけどね。

どのアルバムも良いところはありますし。

 

「The Return Of The Space Cowboy(スペース・カウボーイの逆襲)」は、

たぶんCD擦り切れるくらい聴き込んだ作品ですので、

やはりジャミロクワイAcid Jazzという印象は崩れてないです。

ただ、そういう印象が強い人(つまり古いファン)からすると、

ここ最近、といっても今回のアルバムは7年ぶりのアルバムで、

前作となると2010年リリースとなってますが(笑)、

ここ最近のアルバムは賛否あるみたいですね。

 

オートマトンGoogle Play Musicで何度か聞いてますけど、

相変わらずヴォーカルのJason Kay(JK)の歌声は心地よいですね。

今作もちゃんとCD買って聴き込んでみようと思います。

 

Automaton

Automaton