戦時中、国民の士気を高めようという目的で、
軍事映画が頻繁に公開されていたんだそうです。
私はその時代には影も形もなかったでしょうから、もちろん伝聞ですけど、
そうすることで国民の思想制御を施そうとしたみたいです。
芸術と思想というのは切っても切れない間柄、だとは私は思っていません。
残念なことにそういうところは意外とドライな人間なんです(笑)
映画の監督が少し胡散臭い人であったとしても、
その映画が楽しめるものであればその作品は評価されるべきだと思っていますし、
人として問題のある音楽家が作った音楽だったとしても、
その音楽が素晴らしいものであれば、両手を上げて賛美します。
そのあたりはちゃんと棲み分けができているんだと私は思ってるんです。
作品は評価しても、人は評価されるべきではない、というと賛否ありそうですけど、
そのあたりはきっちりと分けて考えることにしています。
ただ、世間的にはそうした考えというのは異端なんでしょうね。
モノを作る人は清廉潔白で危険な思想を有しない人でなければならない、
なんて誰が決めたわけでもないのに、そういうものを求めようとします。
だから、麻薬で逮捕された人が出演している映画やドラマは、
作品に何ら罪はないにもかかわらず、お蔵入りされたり修正されたりします。
まあ、気持ちはわからなくもないんですよ。
テレビをつけて、いきなり生理的嫌悪感をもよおす人が出てたら、
そりゃ不快に思うでしょうし、「出すな」と言いたくなるでしょう。
それは思想ではなく、悪口雑言の類だとは思いますけど・・・
「嫌いだから見ない」ではなく「嫌いだから出すな」というのは、
少し横暴にも聞こえてしまうんですけど、
言ってるご本人は、きっとそう思わないんでしょうね。
音楽を聞いて、その作曲者の才能を褒め称えるのは良いと思うんですよ。
それが才能ではなく人柄や性格にまで及んでくるといよいよ怪しくなってきます。
「この人の作る音楽が好き」というのは当たり前ですけど、
「この人はこういう音楽を作るから温厚なんでしょう」ってなると、
それはもう決めつけ以外の何物でもありません。
ゴーストライターで一時世間を賑わせたとある作曲家が作った交響曲があるんです。
私も一度生で聞きに行ったんですけど、とても素晴らしかったです。
もちろん、その作曲家がハンデを乗り越えて作ったというおまけはありましたけど、
それがなかったのだとしても、
ただ純粋に音楽だけ切り取ってみても、とても良くできた音楽でした。
今でもそう思ってます。
ただ、その音楽には何ら罪はないはずなんですけど、その音源は葬られました。
簡単に個人で作品を垂れ流せる時代になったのは良いことですけど、
それに伴って製作者のモラルみたいなものまで求められる時代というのは、
世知辛いような、まあでも、時代の必然なのかもしれないですね。
よくわからないですけど、今の鬱屈とした思いの一端は吐き出せました。