以前にも、リアレンジ(再編曲)のことについては、
このブログでやや感情的に書かせていただきました。
その昔、合唱曲「大地讃頌」をとあるバンドがリアレンジして、
作曲者からクレームが入ったという有名な事件がありました。
その合唱曲に対して、リスペクトを持ってリアレンジされたと思うんですが、
それが作曲者の逆鱗に触れた、という椿事として報道されたことは記憶に新しいです。
もともとある曲をもう一度編曲することをリアレンジ(再編曲)といいます。
ジャズの世界では当たり前に行われていますし、
オーケストラの楽曲を吹奏楽へ編曲するというようなものもあります。
私自身はジャズの世界が長いこともあり、
そうしたものには全く抵抗がないんですが、
どの世界にもモンスタークレーマーと言われる人は存在します。
そして、残念なことにそうした一部の声というものが、
ただ一つの音楽を壊してしまうことは往々にしてあります。
壊された側からすると、たまったもんじゃありません(笑)
原曲至上主義といいますか、原曲厨といいますか、
そういう人たちの気持ちというのもわからなくはないんですけどね。
想像していたものとリアレンジされたものと大きくかけ離れていたとしたら、
聞く側としてはそりゃ落胆もしますし、怒りもします。
音楽というのは感覚に直接訴えかける一面もありますから。
ただ、編曲する側から少しだけ弁解させていただくと、
制約やら無茶振りやら、そりゃもう裏面の事情というのはいろいろとあります。
そういう事情を、聴く側はもちろん知りませんから、
忖度のない意見というのは出て然るべきだとは思います。
頭ではわかってるんです。
ただ、理屈として理解しているからといって納得できるかというとそういうわけでもありません。
人間ですから、感情もあります。
ボールをあらゆる角度から投げ続けられると傷つきますし疲弊もします。
打たれ強い人ならばともかく、打たれ弱い人ならそれだけで心が折れてしまいます。
私もそうして心が折れたものの一人ではありますけど・・・
そういう人が他のジャンルと比べて比較的少ないから、
私は今でもジャズを好んで聞いているのかもしれませんね。
いや、それだけではないんですけど(笑)
今は聞く側として演奏会に参加しているので、
どちらかというとクレーマー的な立場に慣れて楽になりました。
癖でどうしても楽曲を分析しながら聴くことはどうにもやめられないですけど、
それでも、客として音楽を聞くことでわかったことがあります。
それは、リアレンジはもろ刃の剣である、ということですね。
その編曲が受け入れられれば英雄視され、
その編曲が受け入れられなけれればリスペクトが足りないとレッテルを貼られる。
今もリアレンジ案件をやってたりするわけですけど、
英雄になるかレッテルを貼られてしまうか、いまから戦々恐々としています。
まあ、嘘なんですけどね(笑)