音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

特化型、汎用型

ちょうどこのブログを書き始めるときに、

ジャズトランぺッターの近藤等則さんの訃報を知りました。

彼のこともいずれ「ジャズのすすめ」で書こうと思ってたんですけど。

たぶん、今週末あたりに勢いで書いちゃうかもしれません。

ということで、この話はその時にします。

 

 

今回のタイトルなんですけど、読んでいくとおいおいわかると思いますので。

 

 

私の若い頃、10~20代のころですけど、

本当にたくさんの音楽を聞いていました。

ありとあらゆるものを、片端から聞きまくっていたんです。

だからなのかもしれませんけど、

音楽に対しての拒否反応がほとんどありません。

全くないということはないんですけど、苦手なものが無い感じですかね。

生理的に嫌いって歌手は一人だけいるんですが、この話は墓場まで持っていきます(笑)

 

編曲という、見る人が見れば特殊な職業についているわけですけど、

そこでアレンジするジャンルは雑多きわまりないものでした。

それこそアイドルグループの歌から歌のないオーケストラアレンジまで、

なんでも屋さんというと聞こえはよくないですが、

自分の持っている拙さの残る知識と膨大な音源バンクだけが拠り所でした。

 

 

以前、とある作曲家の人が何かでお話されていたんですけど、

「なんでもマルチに曲を作ることができる人が少なくなった」んだそうです。

その方は、打ち込みが全盛となる以前からコンピュータによる音楽を手掛けたり、

オーケストラ音楽からロック調まであらゆる音楽を手掛けています。

でも、そういう「なんでもござれ」な汎用型の作曲家が減ってきて、

「このジャンルなら得意」という特化型の作曲家が増えてきたといいます。

 

コンピュータで音楽を作る「DTM(DeskTop Music)」が進化して、

それほど音楽知識を必要としないで、音楽が自由に作ることができるようになり、

4つ打ちなどのダンス系の音楽が得意な人が増えてきたんだそうです。

そういう人でも、オーケストラ調の曲を作ってみたりしてる人もいますが、

聞いてみると、楽器の使い方がちぐはぐでとっちらかったものが多い印象です。

 

特化型の人でも努力をしている人もいれば、そこに安住してしまってる人もいます。

ストリングス(弦楽)アレンジできないから得意な人に頼もうとか、

ここにブラス(金管)のアンサンブルほしいけど書けないから専門家を呼ぼうとか、

はなから自分で作ろうともせずに、別のアレンジャーに頼んだりすることは多いです。

そういう時に便利屋みたいに私が呼ばれることもしばしばです(笑)

 

私はそれほど汎用型を自認しているわけではありません。

今でも合唱曲とかフルオーケストラの譜面を書くのはびくびくものですし、

得意なビッグバンドや室内楽の譜面を書くときも少しびくびくしてます。

「自信と覚悟」が足らないというのは昔から師事していた人に言われてましたけど・・・

でも、苦手だとしても自分でアレンジしてみようとは思いますし、

そうすることでスキルが身につくのならもうけものです。

 

 

前にもこのブログで書いたと思うんですが、

今のそうした特化型の人たちというのは、分析力が圧倒的に足りないんですね。

いろんな曲を聞いて、自分なりにでもいいから分析をして、

それを己の糧としていく、ということをほとんどやらないみたいです。

 

これって作曲と編曲の関係にも当てはまる気がします。

編曲はすごく上手いのに、作曲となるとパッとしない人はたくさんいますし、その逆もたくさんいます。

得意じゃないから他人に任せるというのは、悪くありません。

むしろ弱点を補うという意味では有効ですし、そうするべきものです。

それで曲のクオリティが上がるのなら結構なことだとは思います。

 

ただまあ、なんとなく釈然としないものも感じるんですけどね。

このまま特化型ばかりが量産されていき、文字通り量産型が増加することで、

音楽そのものが徐々に偏ったものになってしまうんじゃないか。

そんな一抹の不安も、実は抱えていたりします。

 

聞く人はそんな裏面の事情なんて関係ないですし、

聞いてて気持ちいい曲、楽しい曲をこれからも追いかけていくのでしょう。

 

 

 

 

・・・なんだかわかりませんが、少しやる気が出てきました。

もう少しこの業界で頑張っていけそうです。