2018年11月に普門館に行きました。
私自身は、このブログで何度も申し上げております通り、吹奏楽に明け暮れた学生時代ではありませんでしたので、「普門館」という名称を聞いても感慨はありません。
もちろん、普門館が「全日本吹奏楽コンクール」の決勝の舞台であることは以前から存じていましたし、それに向けて練習を繰り広げていることも知っています。
じゃあ、なんで普門館の最後を見届けに行ったのか。
未だに何故行ったのか、私自身も実は把握しかねています。
カッコよく言うなら「呼ばれたから」かもしれませんね。
制限時間はありましたが、実際に普門館の舞台に立つこともできました。
この場所に立つと、得も言われぬ感情にとらわれます。
たくさんの熱気ある吹奏楽の音色をずっと浴び続けてきた会場だからこそ、
その熱気の残滓のようなものがここから垣間見えるような気さえします。
多くの人が自分の楽器を持って舞台に上がられていました。
そして、ごく自然に「宝島」の演奏が始まったんです。
吹奏楽でいう「宝島」といえば、
もともとはT-SQUARE(当時はTHE SQUARE)の楽曲を、
普門館閉館前に、自然に始まったその「宝島」の演奏は、
楽器の絶対数も少なく、けして上手とは言えないものだったかもしれませんが、
舞台上で聞くその音色を聞いて涙を流している人が多くいらっしゃいました。
私もやっぱり泣いてしまってました。
終始明るい楽曲なのに、聞いていると泣いてしまうのはなぜなんだろう、
昔から原曲も含めてたくさん聞いてきたはずなのに、
と思ってずっと悩んでいたんですけど、
普門館で聞いたその「宝島」を聞いてその理由の一つが分かったんです。
それは演奏者の曲への愛情を感じることが出来たからなんです。
常日頃から「演奏に愛情なんていらない」「愛情よりも技術」と思ってましたが、
音楽っていうのは技術だけではないんだな、ということを、
その演奏を聴いてまざまざと自分のつたなさを恥じ入った次第です。
今聞いてみると、やはり名編曲だなと思います。
編曲をされた真島さんは4年前に他界されてしまったんですけど、
彼の紡いできた楽曲、編曲されたものは未だに演奏され続けています。
音楽って、思いも大事な要素なんだな、と改めて思いました。