音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

ネタバレあならいず

「ねた」が「ばれ」る、略してネタバレ。

映画や小説、アニメやゲームなど、作品の内容や設定、最後の結末など、

見ないとわからないことを見ていない他者にバラすことを言います。

 

拡散力の高いSNSなどでネタバレをする人たちの心理って、

自分の優位性を確かめる行為の一つなんだと思いますけど、

私から見ると、優位性を確かめる術としてどうなんだろうって考えます。

 

そして、ネタバレって意識的する場合と、無意識にしてしまう場合があるんですよね。

 

例えば、映画を見に行く人がいて、そのことをSNSに投稿するとします。

SNSには検索の機能もありますから、該当するキーワードを入力するだけで、

ネタバレしてやりたい投稿群を簡単に見つけられます。

そうしてターゲットを見つけて、

手当たり次第にネタバレをその投稿に返信していくんです。

ネタバレに抵抗があまりない人もいらっしゃいますので、

そういうことをやられても平気な人もいるかとは思いますが、

ネタバレに抵抗がある人にとって、そうした悪意のある行為は、

そりゃあもう筆舌に尽くしがたいほどのダメージを被ります。

 

ただ、意識的に悪意を持ってネタバレする場合は、

悪意を持っている側に非があることは明らかなんですけど、

無意識にネタバレをしてしまうケースも往々にして存在します。

やる側はネタバレをしたという自覚が無いまま、

結局はネタバレされた側が割を食うことになってしまいます。

 

このメカニズムってなんなんだろう、と考えていた時期がありました。

 

小説の結末を知ってからでないと読むことが出来ない人がいます。

映画のネタバレをしても気にしない、という人もいます。

「結果より過程」という人が実は結構多いことに気づかされます。

結果を先に知っても、その作品の面白さは保証されているということですね。

そうした「結果より過程」の人たちの割合がどの程度なのかは、

統計を取っていないので何とも言えないのですが、

少なくとも私は「過程も大事だけど結果も大事」と思っていて、

ネタバレはなるだけ忌避したいと考えている人間です。

だから、楽しみにしている小説を読んでいる時や、

映画やドラマ、アニメなどの映像作品を見る前、あるいは見た直後、

あるいはゲームをプレイしている時などについては、

ネタバレ回避の行動を取るようにしています。

 

こんなことを言うと身もふたもないと思いますが、

価値観なんて人それぞれなんだから、しょうがないんですよ。

ただ、その基本的な考え方を理解していない方が多いんです。

価値観なんて人それぞれ、って思ってない人って意外と多いんですよ。

 

「みんなそう思ってます」「国民の総意です」

「~って思わないなんて絶対おかしいですよね」

「~というのが普通じゃないですか」

「~が好き(嫌い)な人っていない」

 

なんて言葉を平気で言う人を私は少し警戒するようにしています。

「絶対」とか「普通」とか「総意」とか「みんな」とか、

そういうキーワードを多用している人は、特に警戒レベルを一段階上げてます。

こういう考え方って、危険なにおいがプンプンしますし、

そもそも「自分と他者の価値観が同じである」という前提のもとで、

無意識あるいは意識的にこうした言葉を発しているということです。

 

たぶんネタバレを積極的にする人ってこういう心理もあるのかもしれません。

その人の価値観というか個性がそういう軽い犯罪行為をおこさせるんでしょうか。

小学校時代の児童会みたいなやつで、

「川の柵の周辺では遊ばないようにしましょう」とか、

「ゲームセンターには立ち寄らないようにしましょう」とか、

教師同席の中で生徒同士の話し合いによる決定がされていく中で、

そうした禁止事項が出てくるとあえてその禁を犯したくなる心理と似ています。

 

サイコパス的に「相手に傷を負わせてやろう」として、

その行為をすることに恍惚感をおぼえる方も中にはいるんでしょうけど、

そこまでの恍惚感は無いにしろ、

おふざけ半分という心持ちでネタバレを仕掛ける人もいらっしゃいます。

 

先にも書いた通り、優位性を保つ(マウントを取る)ことで、

歪んだ自尊心を大いに満足させる人って結構多いんです。

公式のアカウントに大喜利みたいなネタを返信したり、

自分の言いたいことだけまくし立てたり、

(こういう返信を【クソリプ】と言うんだそうです)

そういう児戯ともいえる行為は、おふざけにしろ真剣であるにしろ、

傍から見てる分には、ちょっと歪んでるんだよなぁ、と思うこともしばしば。

 

ただまあ、クソリプ好きっていう奇特な人もいらっしゃるようですけどね(笑) 

 

さらに厄介なのが、そういう歪みを自覚している人ならまだしも、

自分が歪んでいることを知らない、あるいは認めない人もいらっしゃいます。

「私は歪んでいない。私の周りこそが歪んでいるんだ!」

地動説を唱えたガリレオみたいなカッコいいセリフですけど、

彼の中では地動説ではなく天動説を唱えているということに気づいていません。

いや、気づいているけど認めたくはないだけなのかもしれませんけど。

 

いろいろと書いてはみましたけど、

特に「ネタバレはこう防ごう」なんてことは書けません。

防ぐ方法はいろいろあるんでしょうけど、

一番効果的なのは「SNSに近寄らない」に限るわけでして(笑)

 

 

残念ながら、悪意を持っている人ってたくさんいます。

程度の差こそあれ、そうした悪意は常にそこかしこに転がっていて、

何かのきっかけで一斉にあふれだしてきます。

それは正義感の裏返しともいえるものです。もしくは不必要な善意ともいえます。

 

芸能人をはじめとした有名な人たちの不祥事やいけないことなどに反応して、

徹底的に断罪してやろうという、歪んだ正義感に由来するものだと思います。

本人としては善意で言っていることだという認識です。

不必要な善意ですね。

それが悪意に満ちたものでも、不必要な善意に起因する行為でも、

やってる方の一部は大喜利の延長線上みたいな軽いノリなんですよね。

「好きな人にちょっかいをかけよう」とする心理にも近いんでしょうけど、

人生そのものに飽いているから、ちょっとした刺激を求めて、

猛威を振るっている悪意に便乗している人も一部にはいらっしゃいます。

 

 

ちょっと話がそれてしまいました。

 

 

ネタバレを分析するという題目でしたが、

結局何の提案もできないまま、だらだらと書いてしまいました。

結論の出ないことをうだうだと語るのが好きなんでしょうね、わたしは。

 

ネタバレはなるだけ控えてもらえるとありがたいです・・・