「ギャラ」という言葉があります。
ギャラが高いとか低いとか、その人の「サラリー」に相当する意味ですね。
ただ、英語でいう「GUARANTEE(ギャランティ)」はまた別の意味です。
「ギャラ」という言葉は和製英語の一つ、ということになりますね。
そんな余談はさておき。
人が人として生活していく以上、
お金の問題というのは切っても切れない事柄のひとつです。
労働の対価として報酬を得る、というのは、
日本の法律でも規定されていますし、
額の大小は不平等ながらも、規定されたお給料を得て生活をしていくことになります。
以前にもお話した通り、編曲のお仕事は「ギャラ制」です。
売り上げ云々には関係なく、一つの作業に対して支払いが発生します。
それに対して、作詞や作曲、あるいは歌唱する人には、
その売り上げに応じて印税と呼ばれるものが発生します。
(この辺りの詳しい話は長くなるので、ふんわりとしか言いませんw)
10代のころからこうした仕事をしていた私は、
「お金のために仕事をしていたわけじゃない」と本気で思っていたので、
ギャラ制についてあれこれ忖度することは全くありませんでした。
20代半ばくらいになるとさすがにそのあたりは意識し始めましたけど(笑)
今日、こうしてギャラのことを考えるきっかけとなったのは、
「芸能人声優に挑戦」問題を想起させるニュースがあったからです。
大作のハリウッド映画やディズニー映画、あるいは日本のアニメなどに、
声優を本業としていない俳優さんを使うケースが多いみたいです。
私自身それほど声優さんに精通しているわけではないので、
友人からのまた聞きでの情報ではあるんですけど・・・
歴としたその道のプロがいるにもかかわらず、
あえて俳優さんをはじめとした芸能人を使うというのは、
製作陣、特にお金を出しているところの思惑なのかもしれません。
芸能人が声優をつとめることで、
バラエティ番組などで呼ばれ、その映画を宣伝することが出来る上に、
その芸能人には番組出演のギャラが発生することになります。
情報番組などでも「〇〇さん、声優に挑戦」という見出しで、
ニュースにもなりますし、その効果は絶大です。
まあ、この辺りは私の友人の憶測以上のものではないんですが(笑)
映画を作った側からすれば、かかった経費以上の利益を出したいと思ってますし、
経済を回すうえで、少しでも集客を見込める手段があるのであれば、
「声だけの芝居が下手くそな芸能人より声優を使え」、
という声に代表される、声豚(声優ファンの俗称)の少数意見など封殺して、
俳優をはじめとする芸能人をあてがった方がメリットはあります。
「声優さんの演技は画一的で面白みが無いから、俳優さんを使う」
という意見もあり、その意見も一理あると思える、
といったのもその辺の事情に詳しい私の友人の言葉ですけど、
結局は高いギャラを支払ってでもそうした方向に進んでいるというのは、
その方が圧倒的に得をするから、なんでしょうね。
おっと、話があらぬ方向へ進んでしまったので戻します。
音楽に限らず、創作物にはそれ相応の対価が発生します。
原価というものが存在して、そこに対価を加えたのが、
創作物に対しての価格あるいはギャラです。
「こんなの300円もあれば作れますよね?なんで1,000円も取るんですか?」
「使ってるのはどうせパソコンだけなんですから、その絵をただで譲ってください」
といった意見が横行するのには、
そうした「創作者への対価」のことを全く想像できていない輩だからなんでしょうね。
演奏するのにもそれ相応の準備時間が必要ですし、
楽譜を作るのだって紙と鉛筆(もしくはパソコンとマウス)が必要です。
コンサートを開くのにも、たくさんの準備が必要となります。
(法律上、無料公演としなければならない事情もありますけど)
創作物への礼賛や批判は自由に行われるべきでしょうけど、
創作物の対価を関係ない第三者が勝手に決めつけるというのはどうなんでしょうね。
でも、そういうバカはこの世に五万といるんだろうなと思うと、
少し暗澹とした気分になりそうですけど(笑)
なんにせよ、ギャラはちゃんと払ってほしいです(切実)