音楽業界からはちょっと離れてしまっているわけですけど、
それでもフリーランスとしてちょこちょことお仕事しています。
あ、私、編曲というお仕事やってます(笑)。
学生時代にこの業界に手を染めてから四半世紀ほど経ちました。
昔と違って、
楽譜が読めなくても、
コードを知らなくても、
そもそも楽器を演奏できなくても、
文明の利器を使って音楽を紡ぎだすことが出来るようになりました。
私みたいな、音楽を専門的に学んで、
パソコン全盛のこの時代でも、五線紙を買って楽譜を書いている人なんて、
あまり見かけなくなりました。
そして、その文明の利器の質の向上に比例して、
編曲家の質はどんどん下がってきているように思えます。
特に「弦やブラスのアレンジができる人が少なくなった」んです。
よくCDなどを見ていると、
「ストリングスアレンジ」とか「ブラスアレンジ」という言葉を目にすることがあります。
ストリングス(弦楽器)やブラス(管楽器)部分だけの編曲を行うって意味なんですけど、
それってつまりは、
その部分の編曲をするスキルが備わっていないことを露呈してるわけで。
出来るのにやらない人もいるんでしょうけど、
今の編曲の方の多くはそうしたスキルを身につけないまま、
デビューして一線で活躍をしているんですよね。
それも時代の流れっていうことになるんだろうとは思うんですが、
どうなんだろうな、と忸怩たる思いも若干感じるんです。
音楽の専門的教育を受けた人、
音大や専門学校などで修練を積んだ人の中でも、
こうしたストリングスアレンジができない人はいらっしゃいます。
逆に、そうした教育を受けていない人でも、
バリバリのオーケストレーションをやってのける天才もいます。
スキルが備わってない=ダメ、というわけじゃないんです。
ただ、今の環境に慣れてしまっていて、
編曲家としてのスキルを向上しようという意欲がなくて、
現状に甘んじてしまっている人が結構いらっしゃるんです。
(当社比)
ストリングスの音が欲しいけど、自分じゃアレンジできないから、
出来る人にその部分だけお任せしよう、というのは、
間違ってはいないんでしょうけど、何かこう、違う気がします。
この手のお話ってこのブログでも何度か書いてるんですが、
その時にも話したんですけど、
「人の曲を分析する癖を持ってない」人が圧倒的に多いんですよ。
自分の得意分野だけに精通してて、
それ以外の音楽には触れようともしないんです。
特化することは良いことなんでしょうけど、
それって自分のスキル不足を認めているってことですよね。
私は、音大時代にもプロとして仕事をしていたころも、
ずっと師事していた人たちから「分析を怠るべからず」と、
口を酸っぱくして言われ続けていました。
彼を知り己を知れば百戦殆うからず、と言ったのは孫子ですけど、
自分とは違う人の作曲や編曲について分析することは、
まわりまわって自分自身にとっても大きな武器になると思います。
あとほんの少し、視野を広げてみるのも悪くないんじゃないかなと。
ま、プロじゃなくなった私が言うのもおこがましいんですけど(笑)。
先日、古くからの友人と話をしててふと思ったので、こんな文章を書いてみました。
いろいろとたまってたんでしょうね、わたしも・・・