以前、こういうブログを書きました。
Twitterにつかれてメインアカウントを削除した話を、
私自身の心情を交えて語ったものです。
ま、今では削除してしまったことにほんの少し後悔がまじってます。
そりゃそうです。
今まで仲良くしていた人と離れる、という選択をしてしまったということですから。
でもやらざるを得なかったとも思っています。
そのまま続けていたら精神衛生上好ましくない結果になっていたでしょうから。
結果として、Twitterのメインアカウントを削除して、
LINEも新たにアカウントを作り直しました。
オフ会で知り合った方とは、一部を除いて縁切りすることとなりました。
とあるゲームのオフ会で集った人たちと、
こうして縁を切るという行為は少なからず精神的ダメージを被ります。
前述のブログ記事でも書きましたけど、
やっぱり若い人についていけなくなったことは大きいです。
そしてその一部の方たちが、
セクハラまがいの発言を(冗談で)したり、
特定の一人に対して(冗談で)「キモい」と連発したり、
特定の一人に対して(冗談で)いじめともとられかねないことをしたり、
そうした様子をTwitterのタイムラインで流れてくるというのが、
どうにもこうにも耐えられなくなってしまいました。
私にとっては、それが内輪での冗談であろうとなかろうと、
いじめを助長する、あるいはいじめそのものとなっているというのが、
見てて心苦しいですし、忌避すべき事象であると認識しています。
自分の主宰したオフ会がきっかけとなり、そうしたことが起こってしまったことに、
分相応の責任を感じていることも付記しておきます。
Twitterをやめて一か月ほどたった頃、つまりは8月初めに、
オフ会参加者メンバーの4人が集まってご飯を食べたんです。
私がすでにTwitterをやめたということはみんな知っているのに、
私自身からもメンバーからもその話をするということなく、
そして必然的に会話はまったく盛り上がることなく、
腫れ物にでも触れるような会話に終始した、すこし居心地の悪い食事会でした。
その雰囲気を作り出していたのが自分自身であるというのは棚に上げときます(笑)
私とほぼ時を同じくしてTwitterをやめたオフ会メンバーの方が、
「同調圧力」という言葉を使われていました。
例えば、駅前で広報活動をしている某宗教の勧誘の方に誘われて、
その宗教の説明会のようなものに行ったとします。
自分以外の人はその宗教の熱心な信者であることから、
勧誘された側に対して「その宗教に入信するメリット」を懇々と説くわけです。
まさに「自分以外はすべて敵」状態です。
その同調の波に飲み込まれてしまい、
その方のメンタルだったり物理的耐性にもよりますけど、
入信を決心せざるを得ない状況に追い込まれる可能性もあります。
例えば、オフ会に参加した人同士で後日ご飯に行って、
自分は関わりたくないのに、
面白半分で前述のような(冗談で)いじめをし始めて、
自分のその波に乗らないといけない状況に追い込まれたりすることがあります。
こういう事象のことを総じて「同調圧力」というのだそうです。
周りが示し合わせたかのように、意見を同調することにより、
自分も同調せざるを得ない状況になることですね。
そりゃメンバーから離れたくもなります(笑)。
価値観は人それぞれです。それが当たり前なんですけど、
同調圧力を用いて相手に食って掛かる人の中には、
そうした当たり前のことにまで判断が及ばない方がいらっしゃいます。
若さゆえの行動ということなんでしょうね、きっと。
私なんかが想像もつかない思考回路があって、
その思考に準じているだけなんでしょうね、きっと。
ただ、その思考に私自身はついていけなくなりました。
そういう思考回路を持っていることを、
自覚、無自覚問わず相手に強要させようとする、
つまりは同調圧力を与えて相手の同意を得ようとすることに、
やはり私は疑問を感ぜざる得ないわけです。
「ついてこれない人が悪い」
「いやならやめればいい」
確かにその通りだと思います。
でも、嫌だからやめたというわけじゃないんですけどね・・・
ただ老婆心ながら言わせてもらうと、
そういう考え方ってやっぱり健全ではないと思うんですよね。
そういう思考回路が、どんどん閉鎖的な空間へと変わっていって、
気が付くと同調する人だけが周りに残ってしまって、
クローズドサークルが完成してしまうように思えてなりません。
その昔、大好きな作曲家の方がいました。
その作曲家の人がバンドをすることになって、
その公演に足しげく通っていたことがあったんです。
ただ、そのバンドの公演は素晴らしかったんですが、
来る人が固定されてきてしまって、
その作曲家のファンで大勢がしめられることになりました。
私自身がそういう空間がどうにも苦手でして。
「一見さんお断り」というわけではないんでしょうけどね。
いつもいつも大半のお客さんが同じ顔触れで占められているというのは、
演奏する側としても聞く側としてもWin-Winの関係なんでしょうけど、
同じ顔触れが毎回続くということに、私自身が飽きてしまうんです。
生来の「極度の飽き性」がここでいかんなく発揮されることになります(笑)
ま、飽き性ってだけではなくてですね、
閉鎖的な空間に、この上ない息苦しさを感じてしまうわけです。
この場合の「閉鎖空間」というのはもちろん、
物理的な意味合い(狭い空間)ではなくて、
精神感応的な意味合い(いつも同じ顔触れ)が強いんですけど。
若干閉所恐怖症なところも無きにしもあらずですが・・・
長々と書いてしまいましたけど、
7月の縁切りについて若干モヤッとした思いが続いているので、
気持ちを整理するつもりでこうして書いてみました。
これがすべて本音かどうかはご想像におまかせしますが、
まあ、いろいろと後悔することもあったりして、
やっぱりまだ少しいろいろと不安定なんだろうな、とは思います。
きっとすぐに慣れてしまうんでしょうけど。
その場に留まることもできたんでしょうけど、
離れてみてわかることもきっとあるんだな、と今はそう考えています。