音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

音楽の多様性とその功罪

堅苦しいタイトルにしてみましたけど、内容はそれほど堅苦しくならないと思います。

だって書いてるのが私ですから(笑)

 
先日、とあるSNSの投稿で、
「ジャズの濁った響きがよくわかりません」という内容の質問に対して、
真摯に回答をされている方がいらっしゃいました。
その回答に私自身も共感したんですが、
いろいろと複雑怪奇な思いがこみ上げてきたので、
ここでこうしてその思いを整理するつもりでブログを書いてます。
 
音楽って数限りないジャンルがあります。
クラシック音楽やジャズ、ロック、ポップス、演歌、ハードコアなどなど。
多様性という一言で片づけるのは簡単なんですけど、
そうしたジャンル一つ一つにそれぞれコアなファンがついています。
一つのジャンルからさらに細かく分類されていき、
果てはアーティストへの激しい愛情になっていきます。
 
 
サブカルを例に挙げるのってほんとは気が進まないんですけど・・・
 
国民的RPGと言われるドラクエやFFって、
そのゲームで使われている音楽にもファンが数多くいらっしゃいます。
公式、非公式と問わず様々なジャンルへと進化した、
それらの音楽を演奏するイベントなども催されて、活況を呈しています。
ちょっと多すぎじゃない?とも思ったりしますけど。
 
そうした音楽へ熱烈な愛情を注いでいる人がいる反面、
ドラクエやFFの音楽に対して快く思わない人も存在します。
・・・なんて書くと反感を買いそうですけど(笑)
 
今年は昨年よりゲーム音楽の演奏会に顔を出す予定でいるのですが、
私の嗜好として「最大公約数的なアレンジを好まない」んですよね。
俗にいう「置きにいってる」音楽ってことですね。
ニッチな音作りをしてますっていうと聞こえはいいんですけど、
ゲームのファンにも音楽のファンにも気に入ってもらおうと、
一挙両得なアレンジを施そうとして結局一兎をも得られない状態というんでしょうかね。
かといって「独りよがりな自己満アレンジ」を聞かされるのは、
私にとっては何とも言えない苦痛を呼び起こしてくれます。
クラシックなどでピアニストが陶酔しながら演奏するのはまだいいんですけど、
編曲という分野で自己陶酔しているのは、それだけで罪です。
 
 
熱が入ってきて、話がそれそうなので少し戻します。
 
 
Aという人が好むジャズの名曲を、
ジャズにあまり詳しくないBという人が聞いて、
Aさんと同じような感想を抱く確率って五分五分だと思うんですよ。
ジャズというのが、前述した「最大公約数的な音楽」ではないからです。
慣れない人が聞くと騒音レベルともとられかねない音楽です。
 
そうなんです。合わない人にはいくらやっても合わないんです。
 
人類皆兄弟、という言葉もありますけど、
どうやっても相いれない人というのは存在します。
好き嫌いはおのずとできてくるものです。
音楽も同じです。
音楽それ自体に多様性があるのと同様に、
その音楽に対する感じ方も多様性があるのは至極当然です。
 
このブログの一番最初に書いたクラシックオタク話のこともそうですけど、
例えばお気に入りの楽団や指揮者がいたとして、
それを強烈にすすめてくる一方で、
それ以外の指揮者や楽団をこき下ろすことを良くされてます。
SNSなどの投稿でそのあたりは顕著だと思うんですけど。
多様性をないがしろにして自分が信じる音だけを奉ってしまう人のなんと多いことか。
 
そうなってくると私が忌み嫌う「信者」となってしまいます。
 
 
ジャズが合わないのならそれはもう仕方ないことです。
合わないものは合わない。
特に音楽において「第一印象」ってのはとても重要です。
それを払しょくするのは並大抵のことではありません。
クラシック音楽で、最初に聞いた音色がいい例ですね。
その人にとってのベースがその音色によって出来上がります。
すると別の演奏を聞いたときに違和感を抱くことになります。
その違和感が払しょくされるには、
一番最初に聞いた音色の印象をいかに壊してもらえるかによります。
 
 
音楽は自由であると同時に、人によっては不自由な代物へと変貌します。
このブログは音楽のおすすめを提供するのが主な投稿になっているので、
これまで話してきたことと矛盾した行動に思えますが(笑)。
 
多様性を認め、その功罪を理解する。
音楽だけに当てはまらないことかもしれませんけど、
あとほんのちょっとだけ心の余裕をお互いに持てれば良いですね。