このブログを書いている日の前日、出張から帰ってきました。
その帰りの飛行機で一緒に出張に行った人と音楽談義をしたんです。
私はクラシックやジャズから最先端まで音楽に関してはカバーしている人なので、
世代を問わず音楽談義出来ることが私の数少ない自慢のひとつでもあります(笑)。
「ハードロックって苦手なんですよね」
その人はこういう言葉をふと吐き出したことからその会話は始まります。
「へー、どうして?」
ハードロックも好きな私としてはその理由を質すことはアタリマエのことでした。
「だって音楽として聞くに堪えないじゃないですか。っていうかアレってそもそも音楽といえるんですか?ヘヴィメタルとかハードコアとか」
「まあ、そういう考え方もあるよね」
ハードロックやメタルをことさら嫌う彼のその言葉にほんの少しだけ不快感を抱きながら私は、ことさら冷静になってその考えを飲み込もうとしていました。
「日本人なら日本の歌手の曲を聴くのが当然でしょ。[Alexandros]とかSuchmosとか最高じゃないですか」
「うん、たしかに彼らの音楽『も』すごくいいよね」
ほんの少しの不快感が私の『も』に込められていることなど、ハードロック嫌いの彼が気づくことなど無くその後も延々と好きなアーティストの話をし続けました。
そもそも[Alexandros]ってロックバンドじゃないか、と心のなかでツッコミ入れつつ。
私は数限りなくこういう経験をしています。
ジャンルの垣根なく音楽を聴いている人の方が実は圧倒的に少ないということを、この数限りない経験で私は否応なく叩き込まれました。
それぞれのアーティストに思い入れがないというわけじゃないんですけど、
物事を鳥瞰図のような視点でいつも見てしまっている人なので、
悟りを開きそうな感じ、と私をよく知る人には言われることがあります(笑)。
私の悪癖のひとつってことは理解しているんですけど、
職業病的にそういう風に音楽を聞いてしまっているんですよね。
だからもちろん、[Alexandros]もSuchmosも私は聴いてますし、
それと同時にMEGADETHだったりルイ・アームストロングだったりモーツァルトだったりGReeeeNだったりも並行して聴いたりしているわけです。
そういうことが当たり前だと思っていた私にとって、
前述のような経験はまさにカルチャーショックでした。
音楽の好みでヒトをはかること。
確かに同じ好みだったら嬉しいですし、
その共通項を取っ掛かりにして仲良くなることが出来る可能性が広がります。
ただ、その共通項だけならいいんですけど、
あまり知らないアーティストや嫌いな歌い手さんについて、
相手の人がそのアーティストが好きかもしれないのに、
平気でこき下ろしたり悪口雑言を並べ立てたりすることって、
言われる方のこと考えてないんだろうな、と思うんですよ。
排他的な人って結構多いんですよね。
Aが好き、でもBは嫌い。
それはそれで感情に由来しているものだし仕方のないことでもありますけど、
その嫌いという感情を伝播しようとする人たちがいるんです。
「私はBが嫌い。だからお前も嫌いになれ」と単刀直入には言わないでしょうけど、
「お前ももちろん嫌いだよな?」というニュアンスをこめてきます。
そしてその予想を覆す返答をすると、
そういう人たちはその人の好みを否定し、しまいにはその人自身を攻撃します。
音楽性の違い、というだけの理由でその人格さえ否定してしまう、
そういう行為が当たり前のように行われています。
直接だったりSNSなどを経由して間接的だったり、
その形は様々ですが、自分の好みや嫌悪を押しつけてきます。
そしてその空気は伝播します。
何を好きになろうと嫌いになろうと、それは個人の裁量です。
ただそれが個人という枠をこえてくるんです。
個人を超えてやってくるその好きや嫌いという感情を、
スルースキルがある人ならまだしも、
スルーすら出来ずその身に浴び続けてしまうとどうなるんでしょうね。
私は音楽の好みを押し付けることはないです。
ブログで好みを垂れ流しているだけです(笑)。
そもそも押し付けるだけの好みを持ち合わせてないですから。
音楽の好みでヒトをはかること、はしたくないです。
好きな音楽をオススメして嫌いになられると凹みますけど・・
好きも嫌いも人の常、ですよね。