音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

乗車マナーに関するワタクシ的一考察

都内近郊の電車の路線図を見たことがある人ならわかると思うんですが、
JRや私鉄、地下鉄が網の目のように入り組んでいて、
目的地へ行くためにはどの路線に乗れば良いのか迷う方も多いそうです。
地方から上京してきた人でも、そういうのにすぐ慣れてしまう人もいれば、
未だに路線検索などのアプリを使用している方もいらっしゃいます。

東京にいる人の大半は地方民である、とはよく言われていることですが、
往々にして電車でのマナーは地方へ行くほど良くなっている傾向です。

回りくどい言い方なので、単刀直入にいうと、
都内の電車マナーって本当に悪いんですよ。
大都市の電車はほとんどそういう状況なんでしょうけど、
関西にいた頃に利用していた電車よりも、
今自分が利用しているJRだったり私鉄だったりのマナーが最悪です。


とまあ愚痴っぽいところから書き始めてしまいましたが。


昨日のお話をします。
仕事帰りに電車に乗っていたときのことです。
目的の駅まであと3駅というところで、
20代~30代で構成された5人組の男性が乗り込んできました。
しかも二人は巨漢、つまりデブですね。
それだけでも悪い意味で幅を利かせているわけですが、
あろうことかその5人組、乗ってきたドアからそのまま真ん中に居座ってしまったんです。
ま、実際座ったわけじゃなくて屯していただけなんですけども。
まだ奥には結構スペースに余裕があったんですけど、
彼らはトークに夢中でそんなことに全く頓着していない様子でした。
で、その巨漢の一人が背負っていたリュックが、
ずっとその近くで吊革を持って立っていた壮年の男性の背中に何度も当たってたんです。
そのことをずっと気にしている様子だったんですが、
当の巨漢はやはり仲間との話に興じていて気づく様子すらありません。
結局目的の駅までその状況は続いてました。

例えば、その5人組の若者がもう少し奥に陣取っていたとしたら。
途中駅で乗り込んだり降りたりしていくお客さんも迷惑には思わなかったでしょう。
前述の巨漢が、あの時よりももうちょっとだけ触覚に鋭敏だったのなら、
きっとあの壮年の男性がリュックが常に当たり続けているということもなかったでしょう。



そう、ほんの少しの「気づき」、それだけである程度のことは改善されるはずなんです。



鉄道会社がそうした迷惑行為に対して、
吊り広告や張り出したチラシなどを利用して警告をしているイラストをよく目にします。

荷物を床や網棚ではなく自分の席の隣においている人、
キャリーバッグを足で挟んでしまい、通常よりも多くの幅を取って座っている人、
リュックを背負ったまま満員電車に乗り込んでうしろの様子に全く気づかない人、
イヤホンから割りと大きめな音漏れがしているのに当人だけ気づいていないこと、
大声で話しているのは自分たちだけなのにそんなことに頓着してない様子の人、
マスクやタオルで隠すこと無くくしゃみや咳を多量にしている人、
偉ぶっているのかなんなのかわからないけど、
やたらと股を広げて座って隣りにいる人の怪訝な顔にまったく気付いてない人。


電車内には様々な人がいます。
そして、得てしてそういう迷惑行為をしている人は、
そんなことに自身が全く気づいていないことが圧倒的に多いです。
わかってやっている確信犯もいないとは言いませんけど(笑)。
そうした人たちがちょっとでも周りに視線を動かせば、
ほんの少しだけ気づきを持ってくれていれば、環境は変わるはずなんです。


こういうことを書くと、
「最近の若いもんは・・・」という言葉を口にしそうになる方も多いと思いますけど、
私は年齢でそういう区別はしません。
残念ながら、上述の迷惑行為は年齢性別とは全く無縁です。
若い人の方が比率として多いのかもしれませんが、
私の体感としてはじじいやババアの方が圧倒的に多い印象です。

私が老人を敬う感情に乏しいのも、こうした行為も一因としてあるかもしれないですね。
あ、誤解のないように言いますけど、ちゃんと席は譲りますし、
車内で困っているご老人がいれば手を差し伸べたりします。
すべての老人が嫌いというわけじゃなく、
ごく一部のクソジジイやクソババアが嫌いなだけです。



こういう迷惑行為に対していろいろと複雑な思いを持っている人というのが、
私を含めてたくさんいると思うんですけど、
そういうのを面と向かって注意をすることが出来る人っていないんですよね。
まあ私もそういう多数派の一人であるんですけど。
昨今、他人と極力関わりになろうとしない人が増えました。
凶悪な事件やちょっと常識外れなことが増えてきて、
そういうことに巻き込まれるのは御免被りたいという風潮が拡がってしまい、
隣同士に住んでいるのに一度も顔をあわせたことがないなんてことも、
実は日常になってしまっているようです。

他人と関わることが昔に比べて圧倒的に減っているってことですね。
そんな状況だから、「気づき」にくいことが多いんだろうなぁとも思うんです。
迷惑行為をしている人が気づかないのも、
そういう時代がもたらした弊害のひとつなのかもしれないですよね。

見方を変えればいろいろと気づくことも多くなります。
一方向に固執すること無く、多方面から物事を分析する、
というのは私が昔から行っている癖でもあるんですが、
統計的に見ると、物事に固執している、あるいはしやすい人が圧倒的に多いんです。
私が少数派である、と言いたいわけではなく、
先に言ったとおり、ほんの少しの「気づき」に気づいて欲しいだけなんです。
(気づきに気づくって言葉もちょっとおかしいですけど・・・)


だらだらとここまで書いてきました。
言いたいことが見えない、と自分で書いてても思います。
そりゃそうです、話をまとめようなんてこれっぽっちも思ってませんから。

あくまでも「一考察」ということで、ここはひとつ(笑)。