ドイツ語はあまり得意というわけではないのですが、
勇気を出してタイトルにつけてみました。
Todというのは「死」、undは英語で言うところのandと同義です。
そしてVerklärungですが、どう訳すのが正しいんでしょうね。
一応「変容」という言葉があてがわれていますけれども。
ドイツの作曲家、リヒャルト・シュトラウス。
その若き時代の交響詩「死と変容」を今日聞いていました。
で、そのタイトルの原題をドイツ語で書いたというわけです。
このブログでも何度か書いているかと思いますけど、
私はオーケストレーションというのがそれほど得意というわけではないのですが、
管弦楽法は一通り勉強していますし、
いろいろな曲を聞いてその術をたくさん吸収していきました。
そのなかでも、
フランスの作曲家であるベルリオーズ、そしてラヴェル、
ドイツの作曲家であるリヒャルト・シュトラウス。
この3人の管弦楽はとても熱心に分析してました。
交響詩「死と変容」は彼のかなり若い頃の作品ではありますが、
その作風はすでに完成された域に達しています。
自己陶酔感が無きにしもあらずではありますけど、
それを言い出すと、世に出ている作曲家はみんなそうですから(笑)。
同じ「変容」を扱った彼のもう一つの作品が「メタモルフォーゼン」ですね。
彼が81歳の頃に作った傑作の一つで、私も大好きな曲です。
テーマが同じなのに、これだけ違う作風というのは、
もちろん年齢的な意味合いももちろんあるのかもしれませんが、
「解釈の違い」というのもあったのではないか、と思っています。
この話を詳しくし始めると、作曲家としての彼の半生を書く必要があるので、
ここでは語らないことにしますけど、
「一つのテーマでも見方によっては大きく相違する」ということを、
リヒャルト・シュトラウスから学んだような気持ちにさせられます。
年令を重ねて「死」というものを意識することが多くなりました。
コロナ禍でもあり、そうした心持ちになってしまうのは仕方ないのかもしれません。
この40年以上生きてきた中で「死」を選ぼうとしたことも一度ならずありますし、
留学での屈辱は私にとって「変容」の一つとなったのかもしれません。
交響詩「死と変容」はカタルシスの音楽という感じがします。
死を受け入れて、違う形へと変容を遂げていくわけですけど、
その過程が「浄化」という形となって音楽であらわれます。
ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」と似てますよね。
最初「ジャジャジャジャーン」という有名なフレーズで苦悩的なところから始まり、
最終楽章ではファンファーレのような勝利の音楽といった印象で終わる、あれです。
音楽的カタルシスというのは、興奮させられるなにかがあるんですよね。
なんだか、書いてて意見が全くまとまらなくなってきましたけど、
要するに何が言いたいかというと、「死と変容」はいい曲だよってことです。
若干25歳の天才が作り出したこの交響詩。ほんと、好きです。
あ、もちろん晩年の傑作「メタモルフォーゼン」もおすすめですよ。
というわけで、年始の挨拶以来また少し間があいてしまいました。
4日から仕事始めで金曜日までみっちりとお仕事。
そして今日は打ち合わせでいろいろと大変でした。
今年も結構なお仕事量で、すでに息が上がりそうです。
みなさまも、お身体にはくれぐれもご注意の程を・・・