音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

Sam Rivers / Contours【ジャズのススメ 141】

サム・リヴァースというと器用な演奏家という印象があります。

だからなのか、少し個性の強い演奏を好む私からすると、

少し敬遠しがちな演奏家の一人であることは否めません。

 

Contours

Contours

  • アーティスト:Rivers, Sam
  • 発売日: 2004/08/26
  • メディア: CD
 

 

このアルバムは、友人にすすめられて購入したわけですけど、

メンバーの豪華さに目を取られがちになります。

そりゃそうです。

ハービー・ハンコックロン・カーターフレディ・ハバードといった、

プレイヤーが揃って演奏しているわけですから、音色が悪いわけがありません。

個人的には、ドラムスのチェンバースのリズムがものすごく心地よいです。

 

独特の緊張感を感じさせてくれるこのアルバム、

久々に聞くと、やはり良いんですよね。

なんで、当時の私は彼のアルバムを敬遠していたのか、未だによくわかりません(笑)

 

ちなみに、このアルバムから数十年の時を経て、

「Celebration」というアルバムが彼の80歳の記念で出たんですけど、

こちらもなかなかに刺激的な音色を聞かせてくれています。

どっちもお気に入りなのですが、どっちも人を選びそうなアルバムです・・・

現代音楽を聞く その97

ドイツの作曲家、ヨハン・ツィレンチェク。

彼の作品って、生で聞いたことが全くありません。

そもそも、現代音楽自体がなかなか演奏されにくい状況なんでしょうね。

 

バッハ、モーツァルトベートーヴェン

あるいはチャイコフスキーラヴェルドビュッシーといった、

有名どころというのは、それこそ何度も演奏されるわけですけど、

近現代の名も知られていないもの、というと、どうしても機会が減ります。

興行的にそうした挑戦的なプログラムを組むのが難しい、

という裏面の事情というのもあるにはあると思うのですが、

私のような奇特な人もいることですし(笑)、

もうちょっと増えてほしいなと思います。

 

さて、ツィレンチェクです。

私が彼の曲で最初に聞いたのは、交響曲第2番「葬送交響曲」です。

まだ無調や十二音技法といったものを駆使する以前の曲です。

ドイツの堅牢な音を具現化したような曲になっています。

もちろんこちらもオススメではあるんですけど、

私が当時繰り返し聞いていたのは、

「ホルンとオーケストラのための協奏曲」でしょうか。

1982年の作品ですので、ゴリゴリの現代音楽になってます。

 

ホルンやユーフォなどの、中低音の金管の音色って魅力的ですよね。

トランペットやピッコロのような輝く音色ももちろん大好きなんですけど、

現代音楽という分野でも、ホルンはやはり温かみのある音色を響かせてくれます。

この曲、学生時代も含めてかなり聞いた曲です。

 

 


Cilensek - Concertino for Horn and Orchestra (1982)

 

1.17

今年もこの日となりました。

 

hw480401.hatenablog.com

 

去年のこの日にもこうしてブログを書いています。

毎年、この日になると書くようにしています。

 

特に去年書いたブログは、やや感情的になった感もあり、

今読み返すと、反省する面もあるなぁ、と思いますが。

 

あれから、今年で26年目となります。

 

関西出身である、という話をすると、

「全く関西弁が出ないよね」と言われることが多いんです。

脳内にスイッチみたいなものがあるみたいで、

地元を離れると、標準語スイッチみたいなものが働くようです。

地元の友人や、関西生まれの人と話すとすぐに関西弁になります(笑)

 

そして、私が神戸生まれであると知ると、

大抵の人が「地震、大丈夫だった?」と聞いて来ることが多いです。

大丈夫だからこうして生きているんだよ、という気持ちと、

大丈夫じゃないから今もこうしてあの頃のことを思い続けてるんだよ、

という気持ちがないまぜになって、あまりいい気持ちはしません。

 

去年のブログにも書きましたけど、

私自身は、早くあの震災のことは忘れたいと心から願ってます。

でも、きっと死ぬまで忘れないんだろうな、ということも頭ではわかってます。

さすがに、狂乱することも、涙が出ることもなくなりましたが、

それでも、凄惨な光景というのはどうしても拭い去ることはできません。

この日が来るまでは、机の引き出しの奥の方にしのんでいるそれが、

その日になると、ほんの少しの隙間からでもそれが垣間見えてしまうんです。

そして、少し心が落ち着かなくなります。

 

現地に行って黙祷をするのは、

そんな気持ちを少し慰める意味も込められていたのかもしれません。

今年はさすがに帰省はできませんけど、

現地へこの思いが届くように、今年はこちらで祈りたいと思います。

ブラスぷらす Op.32

マーチを聴くと元気になるくらいには、単純な性格をしています。

ひねくれものなんですけど、根は結構単純です(笑)

子供の頃にスーザ名曲集とかずっと聞いてましたし、

クラシックの名行進曲といわれるものもたくさん聞いてきました。

このブログでも紹介した、真島俊夫さんの「五月の風」も、

8分の6拍子という、なかなか難しいテンポではありますが、これもマーチです。

 

吹奏楽=マーチ、というレッテルはあまり好きではありませんが、

学生時代に吹奏楽部の演奏に合わせて行進をさせられた経験は、みなさんあるんじゃないでしょうか。

 

いつだったか忘れましたが、

競技会だか運動会だかに、何故か私も誘われていくことになったんですけど、

そのときに使われていたのが、岩井直溥さんの「明日に向かって」でした。

この曲の選曲をした人のセンス、私は大好きです。

 


シンコペーテッド・マーチ「明日に向かって」/岩井 直溥

 

マーチと銘打ってはいますが、

「シンコペーテッド・マーチ」と書いてます。

シンコペーテッドというのはシンコペーションと同義で、

簡単に言うと「リズムやアクセントをずらしたりする」ことです。

なので、この「明日に向かって」というのは、

マーチと銘打ってはいますが、かなり行進しにくい曲ってことですね(笑)

 

もう一度だけでいいので、この曲で行進しているところを見てみたいものです。

Tod und Verklärung

ドイツ語はあまり得意というわけではないのですが、

勇気を出してタイトルにつけてみました。

Todというのは「死」、undは英語で言うところのandと同義です。

そしてVerklärungですが、どう訳すのが正しいんでしょうね。

一応「変容」という言葉があてがわれていますけれども。

 

 

ドイツの作曲家、リヒャルト・シュトラウス

その若き時代の交響詩死と変容」を今日聞いていました。

で、そのタイトルの原題をドイツ語で書いたというわけです。

 

このブログでも何度か書いているかと思いますけど、

私はオーケストレーションというのがそれほど得意というわけではないのですが、

管弦楽法は一通り勉強していますし、

いろいろな曲を聞いてその術をたくさん吸収していきました。

そのなかでも、

フランスの作曲家であるベルリオーズ、そしてラヴェル

ドイツの作曲家であるリヒャルト・シュトラウス

この3人の管弦楽はとても熱心に分析してました。

 

交響詩死と変容」は彼のかなり若い頃の作品ではありますが、

その作風はすでに完成された域に達しています。

自己陶酔感が無きにしもあらずではありますけど、

それを言い出すと、世に出ている作曲家はみんなそうですから(笑)。

 

同じ「変容」を扱った彼のもう一つの作品が「メタモルフォーゼン」ですね。

彼が81歳の頃に作った傑作の一つで、私も大好きな曲です。

テーマが同じなのに、これだけ違う作風というのは、

もちろん年齢的な意味合いももちろんあるのかもしれませんが、

「解釈の違い」というのもあったのではないか、と思っています。

 

この話を詳しくし始めると、作曲家としての彼の半生を書く必要があるので、

ここでは語らないことにしますけど、

「一つのテーマでも見方によっては大きく相違する」ということを、

リヒャルト・シュトラウスから学んだような気持ちにさせられます。

 

 

年令を重ねて「死」というものを意識することが多くなりました。

コロナ禍でもあり、そうした心持ちになってしまうのは仕方ないのかもしれません。

この40年以上生きてきた中で「死」を選ぼうとしたことも一度ならずありますし、

留学での屈辱は私にとって「変容」の一つとなったのかもしれません。

 

 

 

交響詩死と変容」はカタルシスの音楽という感じがします。

死を受け入れて、違う形へと変容を遂げていくわけですけど、

その過程が「浄化」という形となって音楽であらわれます。

ベートーヴェン交響曲第5番「運命」と似てますよね。

最初「ジャジャジャジャーン」という有名なフレーズで苦悩的なところから始まり、

最終楽章ではファンファーレのような勝利の音楽といった印象で終わる、あれです。

音楽的カタルシスというのは、興奮させられるなにかがあるんですよね。

 

 

なんだか、書いてて意見が全くまとまらなくなってきましたけど、

要するに何が言いたいかというと、「死と変容」はいい曲だよってことです。

若干25歳の天才が作り出したこの交響詩。ほんと、好きです。

あ、もちろん晩年の傑作「メタモルフォーゼン」もおすすめですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、年始の挨拶以来また少し間があいてしまいました。

4日から仕事始めで金曜日までみっちりとお仕事。

そして今日は打ち合わせでいろいろと大変でした。

今年も結構なお仕事量で、すでに息が上がりそうです。

みなさまも、お身体にはくれぐれもご注意の程を・・・

恭賀新年 2021

あけましておめでとうございます。

本年も昨年と変わらずマイペースでのんびりと更新していくブログとなります。

音楽系のお話ばかりではなく、時には愚痴めいたことも書きますが、

政治ネタはSNSやブログで書かないと決めているので、

(めんどくさい人が絡んでくる可能性が高いからです)

そのへんについてはご安心いただけると幸いです。

 

さて、大晦日から一夜明けた途端に新年モードになるというのは、

これだけ長く生きてきた私から見てもいまだに慣れないんですけど、

そういう人って少数派なのでしょうか。

まあ、どうでもいいですね、こんな話は(笑)

 

年が明けましたが、ワタシのやることは以前と変わりありません。

平日はデスクワークでパソコン漬け、

休日は打ち合わせやら作業やらで譜面とにらめっこ、

という、文系全開の日々を今年も過ごすことになるんだと思います。

 

今年はなんとか海外へ、具体的にはアメリカに行きたいんですよね。

私の第二のふるさとでもあるボストンに。

私の親友がそこで今でも音楽活動を続けています。

早く会っていろんな話がしたいんです。

英語、サビついてなければいいんですけど・・・全然英語話していないので。

まあ、あっちは日本語ペラペラだから安心ではありますが(笑)

 

会いたいのに会えない、という人がたくさんいます。

今はこういう情勢なので、如何ともし難いところもあるのは理解していますが、

やっぱりとてもさびしいですね。

今すぐ実家に帰りたいとも思うし、アメリカに行きたいとも思いますし、

フランスやイギリスにいる知人にも全然連絡とってないですし、

日本国内でも色んな人達と直接あって話せない状況がこれだけ長く続くと、

鬱屈とした感情が心に影を落としていきます。

 

いつ会えるんだろう、いつ話せるんだろう。

 

今年の目標として「会いたい人に会いたい」というのも一つ加えておきましょうか。

前向きなことを考えていないと、すぐネガティブになってしまいそうになるので。

元日早々、やっぱり明るい話題にはなりませんね・・

 

 

今は南米のとある国からの依頼でいろいろと音楽を聴きあさっているところです。

あちら方面の音楽ジャンルは得意分野ではあるのですが、

得意だからこそ、気を引き締めて取り掛かろうと思います。

本当は夏くらいに南米に行くつもりだったんですけど、

その頃に情勢がどうなっているのか、未だ予測がつかないので、

具体的に動くことができないというのが実情です。

きっと、今より良くなっていることを祈ってます。

 

あとはあれですね。

アレンジした曲を、許容範囲内で動画サイトなどにUPしてみたいとも考えてます。

著作権とかいろいろと問題もあるので、そういうのは難しそうですけど。

実は以前、Soundcloudという配信サイトに高校時代の音源をUPしてたんですけど、

あまりに恥ずかしいのでほとんど削除しちゃいました。

少し音源のほうが整理できたら、高校時代のものではなく、

音大時代のものとか、大人になってからのものとか、順次あげられればと考えてます。

まあ、ひねくれもので怠惰な人間なので、やらない可能性も否定できませんが・・・

 

 

のべつまくなしに話してしまいました。

元日からいろいろとあって、ちょっとブルーだったんですが、

格付けチェックを見てて、結構元気になりました。単純なんです、実は(笑)

 

では、本年もよろしくお願い申し上げます。

 

暮れの元気なご挨拶

日清サラダ油セットの昔のCMのセリフそのままパクりました(笑)

 

さて、いよいよ年の瀬となり、私も昨日、公的な仕事納めがありましたが、

今日も打ち合わせのため外出(都内ではないです)、

明日も打ち合わせのため外出予定(都内ではないです)、となります。

なので、実質的な仕事納めは明日ということですね。

ちなみにいうと、正月三が日は何もありません。

 

さて、今年最初のブログ「恭賀新年」を読み返していました。

 

hw480401.hatenablog.com

 

 

まだ感染症のかけらすら感じていなかったあの頃、

私は今年の夏にスペインへ行くと申しておりました。

残念ながら、そのスペインでのイベントはもちろん中止、

渡航制限やらビザやらいろいろな絡みがあり、私も今年はずっと日本にいました。

これだけ移動の少ない年というのもかなり珍しい感じとなります。

 

来年の今頃、つまり2021年の年末は果たしてどうなってるんでしょうね。

感染症の流行がおさまるまで、数年はかかると見られています。

つまりは、今年流行開始となったわけですから、

計算上は来年の今頃も流行は続き、新しい日常が継続している公算が大です。

 

当たり前に行われていたことが、当たり前ではなかったことがわかり、

私もコロナ失業というものを経験しました。

今は新しい仕事をバリバリとやりつつ、細々と音楽的活動も継続しています。

今日明日の打ち合わせも、その音楽関係のものです。

感染症によりワタシの暮らしも大きく変わりました。

職場が近くなって通勤が楽になりましたが、仕事内容は結構きつめです。

まあ、デスクワークではあるんですけど(笑)。

 

暇がないというのは良いことでもあるとは思ってます。

暇があると、変なものに手を出すかもしれませんから、

抑止力という意味でも仕事というのは大きいものだと考えてます。

ただ、忙しすぎると余裕もなくなります。余裕がないと心にダメージが生まれます。

私も10年ほど前にやらかしてしまったので、その辺のバランスには気をつかいます。

 

 

 

と、ここまで書いてきて、

「元気なご挨拶」が全くできてないことに気づきました(笑)

 

 

今年のはじめのブログ「恭賀新年」でも話しておりますが、

やっぱり日本を離れたいという気持ちは未だくすぶってます。

海外での仕事が多いことももちろんあるにはあるんですけど、

それよりも、ありていにいうと、日本に飽きてきました。

極度の飽き性なので、それはもうしょうがないことなのかもしれませんが、

コロナが落ち着く数年後には、そのあたりのことも少し考えて、

老後の生活というものに対して真摯に向かってみようかと思ってます。

 

というわけで、書いているうちに大晦日になりました。

打ち合わせに行って、帰宅後に年越しそばを作って、

テレビ東京系列の東急ジルベスターコンサートを見る予定となっています。

笑ってはいけないとか紅白とかチラチラと見ながら、

年越し前になるとチャンネルをジルベスターコンサートに固定して、

クラシック音楽とともに年を越すというのが定例となりました。

今年は生誕250年だったベートーヴェンの運命で年越しになるみたいです。

今から楽しみです。24時間後なんですけど(笑)

 

というわけで、引き続きマイペースで更新を続けてまいりますので、

来年も何卒よろしくお願いいたします。