音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

現代音楽を聞く その83

ブルガリアを代表する作曲家の一人、パンチョ・ヴラディゲロフ。

一通り彼の作品は聞いているんですけど、

最初に聞いたのは「2つのブルガリアパラフレーズ」だと思います。

現代音楽というよりも、後期ロマン派の印象の濃い曲なんですけどね。

 

そんな彼の息子であるアレクサンドル・ヴラディゲロフも作曲家です。

代表作といえば「ディルマノ・ディルベロによる変奏曲」になるんでしょうか。

「ディルマノ・ディルベロ」というのは、

ブルガリアに古くから伝わる民謡の一つですね。

 

www.hmv.co.jp

 

このアルバムの最後に、アレクサンドルの曲が入ってます。

それ以外はすべて父パンチョの作品ですね。

中でも「ブルガリア狂詩曲<ヴァルダル>」は私もかなりお気に入りです。

 

現代音楽というカテゴリーではないのかもしれませんけど、

こういうのも聞いてるよ、というアピールです(笑)

丸25年

あの日から25年経ちました。

いろいろあって今日という日を関東地方で迎えています。

明日、例年通りご挨拶もしなきゃならないので帰省しますけどね。

 

「あのことを忘れてはならない」

という言葉が常套句化してしまい、言葉だけがひとり歩きして、

被災者の一人である私としては複雑な心境にいます。

 

震災のことを風化させてはならないというのはわかるんですけど、

修羅場、あるいは地獄絵図を当時目の当たりにしてしまったこともあって、

私自身も、同じく被災者の一人である我が母も、

「もうあの時のことは忘れてしまいたい」と思っています。

ただ、忘れたいのに忘れることが出来ないんです。

 

人が目の前にいて助けることが出来ない状況でした。

古いアパートが倒壊し、その下敷きになっている人が目の前にいて、

なのに、火の手が強くて消火器だけではどうしようもない。

目を背けてしまいたいことなのに、なぜか目を離せない。

そんな光景を25年経った今でも、やはり忘れることが出来ないです。

トラウマになっていない、といえばうそになります。

だからこそはやくあの事を忘れてしまいたい、そう心から願っています。

 

当事者の全員が「忘れてはならない」と思ってないということだけは、

分かってほしいとは言わないまでも、知っていてほしいことだと思います。

 

あれから25年。

当時の友人、あるいは恩師が命を落としたあの日から四半世紀が経ちました。

これだけ時間が経ったんですが、あの時刻になると自然に目が覚めてしまいます。

(毎年というわけじゃないんですけど・・・)

 

 

まだまだ、忘れられる日は来ないみたいです。

 

 

新年の出来事

こちらのブログについては音楽に関するネタを主に書いてます。

そして、音楽に関すること以外の内容のもの、

あるいは鑑賞したコンサートやライブなどの感想などについては、

こちらのブログではなく、もう一つのサブブログで書いています。

ヒロユキの世迷い言

サブの方はちょいと辛口です。そしてめんどくさい内容が多いです(笑)

 

という宣伝をしたところで。

 

毎年、わたしの誕生日に、

ボストンに住む私の友人から音楽のプレゼントをもらっている、

という話を以前にしたと思います。

 

以前にも書いているんですが、

その友人というのがジャズピアニストとして活躍しており、

また、日本のアニメやゲームにも精通し、日本語もぺらぺら、

結婚した相手は私の中学時代の同級生というおまけつきです。

そのピアニストの友人とも中学時代からの付き合いなので、

四半世紀以上の長い関係となっています。

困ったときや困ってないときも連絡を取り合ってる大親友です。

 

その友人から新年の年賀状代わりに一つの動画が送られてきました。

ピアノ演奏動画なんですけど、

演奏しているのがアニメの主題歌のピアノアレンジだったんですね。

6年ほど前にアニメ化もされているようなんですけど、

ヤマノススメ」というアニメの主題歌でした。

彼はこの作品を漫画連載し始めた頃からのファンだそうで、

舞台となっている埼玉県飯能市にも何度か行ったことがあるそうです。

私は今年になって作品の名前を知りました(笑)

 

こういう時に頼りになるのが、

私が勤めている会社の同僚でかなりアニメ好きなやつです。

今週の頭、年明け初出勤をした時に「ヤマノススメ」の話をしたら、

機関銃のごとく作品のことをまくしたてられて、

そして、今日コミックスを10巻分貸してくれました。

読み終えたら続きも貸してくれるみたいです。

ほんと、いいやつです(笑)

アニメのDVD(Blu-ray)も今度貸してくれることになってます。

(どうやらAmazon Prime Videoとかで配信もされているみたいですけど)

 

Spofityで検索してみると、

ヤマノススメ」の主題歌がすべて配信されていたので、

今それらを聞きながら仕事をしています。

それで、ボストンの友人が演奏してくれたのが

「夏色プレゼント」という曲だと知りました。

ちゃんと原曲をリスペクトしてピアノアレンジしてるんだ、

そして、アニメが本当に好きなんだなぁと、

彼が演奏している様子を思い出してそんなことを考えました。

 

こういうのが「愛のある演奏」というんでしょうね。

愛のある演奏でもテクニックがダメだと聞く気が失せるんですけど(笑)

だったら愛がほどほどの上手い演奏の方が聞きたいと思います。

 

以上、新年一発目に起こった出来事の顛末でございました。

ぼくがそこから逃げたワケ

何もかも投げ出して逃避行したい、と思うことありますか?

ぼくはあります。

 

昔から「逃げ癖」というのがぼくにはあるみたいです。

嫌なことがあったら逃げる、ってのはもちろんですけど、

嫌ではないことからも逃げてしまうことがあるんです。

 

唐突ですが。

自分の企画でオフ会をやっていた時期がありました。

(オフ会というのは、オフラインミーティングともいわれるもので、

ネットなどで知り合った人たちと実際に会っていろいろやる会みたいなもんです)

 

好きなゲーム関連のオフ会というのは以前からも積極的に参加してたんですが、

そういうものを繰り返すうちに、自ら企画してやってみようと思ったんですね。

音楽系に少し強みがあったので、レンタルカフェを使って、

音楽理論みたいなものをわかりやすく伝えるようなオフ会や、

ゲームのマルチプレイをするオフ会みたいなのもやりました。

ゲームをプレイするだけでは物足りなかったので、

そのゲームにまつわる音楽クイズをやったりして、

なるだけ楽しく過ごせるコンテンツをいろいろと試行錯誤していたんです。

 

で、一昨年のある時期からそうしたオフ会の企画はもとより、

いろんな人たちが企画していたオフ会への参加からも離れるようになったんです。

ぼくが突然、だれにも何も告げずにそうした行動をしてしまい、

多少後悔の念もあるにはあったんですけど、

いざそうした場から離れてみると、意外と冷静になっている自分がいました。

 

オフ会でやりたい企画はそれこそ他の人に売るくらいにはあるんですけどね。

 

実は最後に私が企画したオフ会のあと、すぐに次の企画をすすめてはいたんです。

マルチプレイのオフ会がメインではあるんですが、

前回の音楽クイズがとても好評だったこともあって、

クイズ大会をサブ企画としてやりたいと考えました。

ただ、クイズを早押しなどでやるのはあまりに芸が無いので一計を案じたんです。

QRコードを使ったオリエンテーリングみたいなものですね。

みんなにランダムでコードを貼り付けたカードを配って、

そのコードを手持ちのスマホで読み取ると、クイズが数問出題されて、

正解すると次のコードが隠されている場所のヒントが記されているんです。

徐々にクイズの難易度も上がってきて、最終的に大ボスが登場して、

レベルの高いクイズに正解すると、見事クリアというものでした。

クイズではなく「謎解き」にしようかとも思ったんですが、

ひらめきを重視する謎解きよりも、純粋な知識で争うクイズの方がぼくは好きなので、

そういうクイズの問題をいろいろと仲間たちと作り続けていたんですけど、

それも結局は企画だけで、やることは無くなってしまいました。

 

離れた理由は、その時の心境だったりメンタルだったり、

複数の要因があるにはあるんですけど、

大きなものの一つは「責任を感じた」ってところが大きかったんです。

 

最後のオフ会で、ぼくは皆の前で仲間の幹事の人を大声で叱咤してしまったんです。

オフ会に参加した一人が途中退席して帰ることになったんですけど、

その時にぼく以外の幹事が遊びに興じてしまってそのことに気づかなかったんです。

で、思わず大声で幹事を怒った風で呼んでしまったんですよね。

あとになってそのことは大いに反省はしたんですけど・・・

その時は準備やらなにやらでかなり疲れていて、

「幹事だったらちゃんとお見送りはしなきゃだめだろ」と感情的になって、

それが一気に爆発してしまいました。なんと幼い発想でしょう。

 

それと、そのオフ会後に参加メンバーが親しくなっていったのは良いんですが、

特定の人に対してSNS上で「いじり」をはじめだしたんです。

おそらくはその人たちもお互い冗談でやっていたことなんでしょうけど、

普段そういうことをしそうになかった人までが「いじり」に参加し始めて、

「ああ、ぼくの責任だな」と感じてしまったんですね。

今から思うと、それは本人のせいであることはわかるんですけど、

それでもその時はメンバーのほんの一部が豹変していくことに対して、

出会いを提供してしまったことへの責任と、

どうにもできない感情があふれ出して苦しかったんです。

 

そこで「逃げ癖」が登場してきます。

 

そうしたものを見たくない聞きたくない、と思ったぼくは、

突然TwitterやLINEのアカウントを閉鎖して、内に閉じてしまいました。

それで何が変わるというわけではないのにも関わらず。

 

 

ぼくがそこから逃げたワケは、こんな感じです。

 

今では逃げたことに多少なりと後悔していますし、

ただ、いまさらのこのこ戻ったところで居場所は無くなっていて、

すでにぼくが昔企画していたものも、

別の人が同じような企画を立ててオフ会をされているようなので、

今後もゲーム関連のオフ会の企画や参加はしないんだろうな、と思ってます。

(しないんだろうな、と書くところがぼくの覚悟の無さをあらわしてますね)

 

じゃ、逃げなきゃよかったんですけど(笑)

後悔先に立たず、とはまさにこのことですね。

 

 

長々と書いてきて、何が言いたいかというと、

「人の振り見て我が振り直せ」ってことです。

自分の行動が、他人から見てどのように映るのか、

それ自体にあまり興味があるわけではないんですが、

こういうことをするとこういう結末になる、というルーティンみたいなものが、

この歳になってもわかってないってところを笑ってもらえるとありがたいです。

Incidental Music Vol.76

新年を迎えて六日目。

御屠蘇気分も抜けて、今日から仕事始めという方も多いのではないでしょうか。

 

なんていう、全く心のこもっていない挨拶から始めるのは、

ひねくれものの私にとってはかなり面映ゆいものなんです。いや、ほんとに。

型通りのことを型通りにこなすことがあまり好きではない人間なので、

どうしても型破りなことをしてみたい衝動に駆られるわけですが、

そればっかりというのも飽きられてしまうでしょうから、

そのあたりのバランスをどうしたものか、と日々悩んでます(笑)

 

 

新年一発目の劇伴をなんにしようかとあれこれ悩みました。

たぶん年明けで最初に聞いたのは「笑ってはいけない24時」の音楽なんでしょうけど、

それだと何の曲かわからないですし、

バラエティ番組の音楽って、何かしらの劇伴の流用がほとんどなので、

それはそれで紹介しても面白いんでしょうけど。

 

なんてことを書きながら思い出した音楽があります。

 

ショパンのバラード第1番ト短調 Op.23です。

 


Seong-Jin Cho - Ballade No.1 In G Minor, Op.23 | Yellow Lounge

 

日本人にはかなり好まれている作曲家の一人であるショパンですが、

私はどちらかというと苦手な範疇に入る作曲家です。

 

ただ、このバラードの第1番はアニメ「四月は君の嘘」でも効果的に使われていて、

その印象が強いせいか、割とすんなり聞ける稀有な楽曲の一つになってます。

なんて書き方すると、ショパン好きな人に後ろ指さされそうですが・・・

恭賀新年

謹んで新年のおよろこびを申し上げます。

といいつつ、実はこれ書いてるの2019年なんですけどね(笑)

 

これがUPされる頃には2020年になっているはずです。

 

で、今年のことなんですが。

2020年の夏にスペインへ行くことになりました。

お盆休みを含めて約3週間ほど、バスク州ビルバオというところに行きます。

何をやるのかということはまだここでは発表できないんですけどね。

すでに去年の秋ころにはお話をいただいていて、

やるかどうかはかなり迷っていたんですが、

普段のお仕事も少しゆるくなってきて時間も取れるということで、

昨年のうちに長期休暇申請をして、決意いたしました。

 

その準備のためにいろいろと作らなければならないものがたくさんあって、

今年の最初からそれにかかりっきりとなることが決定しております。

去年買ったゲームもまだ開封しかしていないですし、

読書とか映画鑑賞とか観劇とかやりたいことが多くあるのですが、

昨年パリで行ったレコーディングのやつの本番のこととか、

アメリカにいる我が友がジャズライブを春にやるので見に行ったりとか、

今年も夏の終わりまではノンストップで駆け抜けていくことになりそうです。

 

そんなわけで、こちらのブログですが、

昨年末から同様に、少し不定期となってしまうことお詫びいたします。

新年からこんなこと書くのって良くないんですけど、まあそういうことで・・

 

 

そろそろ本気で海外移住とかやりたくなってきました(笑)

ボストンにいる友人からも毎年のようにラブコールがありますし、

今の日本にいてできることってどうしても限られてきますんで、

(日本でしかできないことももちろんあるにはあるんですけど)

今のメインが海外での音楽のお仕事なので、

それ一本で食べていけるくらいになれば、ワンチャン・・・

 

それはまあ冗談なんですけど。

 

そんなわけで、今年の正月がゆっくりできる5日間になる模様です。

家でゲームしまくりたいところではあるんですが、

きっと何か作業しながら、ずっとあれやこれや考えているんだろうなぁと思います。

 

そんなこんなで、今年もどうぞよろしくお願いします。

ネタバレあならいず

「ねた」が「ばれ」る、略してネタバレ。

映画や小説、アニメやゲームなど、作品の内容や設定、最後の結末など、

見ないとわからないことを見ていない他者にバラすことを言います。

 

拡散力の高いSNSなどでネタバレをする人たちの心理って、

自分の優位性を確かめる行為の一つなんだと思いますけど、

私から見ると、優位性を確かめる術としてどうなんだろうって考えます。

 

そして、ネタバレって意識的する場合と、無意識にしてしまう場合があるんですよね。

 

例えば、映画を見に行く人がいて、そのことをSNSに投稿するとします。

SNSには検索の機能もありますから、該当するキーワードを入力するだけで、

ネタバレしてやりたい投稿群を簡単に見つけられます。

そうしてターゲットを見つけて、

手当たり次第にネタバレをその投稿に返信していくんです。

ネタバレに抵抗があまりない人もいらっしゃいますので、

そういうことをやられても平気な人もいるかとは思いますが、

ネタバレに抵抗がある人にとって、そうした悪意のある行為は、

そりゃあもう筆舌に尽くしがたいほどのダメージを被ります。

 

ただ、意識的に悪意を持ってネタバレする場合は、

悪意を持っている側に非があることは明らかなんですけど、

無意識にネタバレをしてしまうケースも往々にして存在します。

やる側はネタバレをしたという自覚が無いまま、

結局はネタバレされた側が割を食うことになってしまいます。

 

このメカニズムってなんなんだろう、と考えていた時期がありました。

 

小説の結末を知ってからでないと読むことが出来ない人がいます。

映画のネタバレをしても気にしない、という人もいます。

「結果より過程」という人が実は結構多いことに気づかされます。

結果を先に知っても、その作品の面白さは保証されているということですね。

そうした「結果より過程」の人たちの割合がどの程度なのかは、

統計を取っていないので何とも言えないのですが、

少なくとも私は「過程も大事だけど結果も大事」と思っていて、

ネタバレはなるだけ忌避したいと考えている人間です。

だから、楽しみにしている小説を読んでいる時や、

映画やドラマ、アニメなどの映像作品を見る前、あるいは見た直後、

あるいはゲームをプレイしている時などについては、

ネタバレ回避の行動を取るようにしています。

 

こんなことを言うと身もふたもないと思いますが、

価値観なんて人それぞれなんだから、しょうがないんですよ。

ただ、その基本的な考え方を理解していない方が多いんです。

価値観なんて人それぞれ、って思ってない人って意外と多いんですよ。

 

「みんなそう思ってます」「国民の総意です」

「~って思わないなんて絶対おかしいですよね」

「~というのが普通じゃないですか」

「~が好き(嫌い)な人っていない」

 

なんて言葉を平気で言う人を私は少し警戒するようにしています。

「絶対」とか「普通」とか「総意」とか「みんな」とか、

そういうキーワードを多用している人は、特に警戒レベルを一段階上げてます。

こういう考え方って、危険なにおいがプンプンしますし、

そもそも「自分と他者の価値観が同じである」という前提のもとで、

無意識あるいは意識的にこうした言葉を発しているということです。

 

たぶんネタバレを積極的にする人ってこういう心理もあるのかもしれません。

その人の価値観というか個性がそういう軽い犯罪行為をおこさせるんでしょうか。

小学校時代の児童会みたいなやつで、

「川の柵の周辺では遊ばないようにしましょう」とか、

「ゲームセンターには立ち寄らないようにしましょう」とか、

教師同席の中で生徒同士の話し合いによる決定がされていく中で、

そうした禁止事項が出てくるとあえてその禁を犯したくなる心理と似ています。

 

サイコパス的に「相手に傷を負わせてやろう」として、

その行為をすることに恍惚感をおぼえる方も中にはいるんでしょうけど、

そこまでの恍惚感は無いにしろ、

おふざけ半分という心持ちでネタバレを仕掛ける人もいらっしゃいます。

 

先にも書いた通り、優位性を保つ(マウントを取る)ことで、

歪んだ自尊心を大いに満足させる人って結構多いんです。

公式のアカウントに大喜利みたいなネタを返信したり、

自分の言いたいことだけまくし立てたり、

(こういう返信を【クソリプ】と言うんだそうです)

そういう児戯ともいえる行為は、おふざけにしろ真剣であるにしろ、

傍から見てる分には、ちょっと歪んでるんだよなぁ、と思うこともしばしば。

 

ただまあ、クソリプ好きっていう奇特な人もいらっしゃるようですけどね(笑) 

 

さらに厄介なのが、そういう歪みを自覚している人ならまだしも、

自分が歪んでいることを知らない、あるいは認めない人もいらっしゃいます。

「私は歪んでいない。私の周りこそが歪んでいるんだ!」

地動説を唱えたガリレオみたいなカッコいいセリフですけど、

彼の中では地動説ではなく天動説を唱えているということに気づいていません。

いや、気づいているけど認めたくはないだけなのかもしれませんけど。

 

いろいろと書いてはみましたけど、

特に「ネタバレはこう防ごう」なんてことは書けません。

防ぐ方法はいろいろあるんでしょうけど、

一番効果的なのは「SNSに近寄らない」に限るわけでして(笑)

 

 

残念ながら、悪意を持っている人ってたくさんいます。

程度の差こそあれ、そうした悪意は常にそこかしこに転がっていて、

何かのきっかけで一斉にあふれだしてきます。

それは正義感の裏返しともいえるものです。もしくは不必要な善意ともいえます。

 

芸能人をはじめとした有名な人たちの不祥事やいけないことなどに反応して、

徹底的に断罪してやろうという、歪んだ正義感に由来するものだと思います。

本人としては善意で言っていることだという認識です。

不必要な善意ですね。

それが悪意に満ちたものでも、不必要な善意に起因する行為でも、

やってる方の一部は大喜利の延長線上みたいな軽いノリなんですよね。

「好きな人にちょっかいをかけよう」とする心理にも近いんでしょうけど、

人生そのものに飽いているから、ちょっとした刺激を求めて、

猛威を振るっている悪意に便乗している人も一部にはいらっしゃいます。

 

 

ちょっと話がそれてしまいました。

 

 

ネタバレを分析するという題目でしたが、

結局何の提案もできないまま、だらだらと書いてしまいました。

結論の出ないことをうだうだと語るのが好きなんでしょうね、わたしは。

 

ネタバレはなるだけ控えてもらえるとありがたいです・・・