前回のお話はこちら。
(最初から読みたい方も上記リンクからたどれます)
今回は高校時代のお話。
といっても特にここで書くようなエピソードはあまりないんですけどね(笑)
いじめられたり、いじめたりは日常茶飯事でした。
進学校特有の空気なのかどうかはわかりませんけど、変わった人が多かった感じです。
ただ、変わった人の割合が多かったこともあって、
当人たちは、変わってるという自覚が無かったみたいです。
今の私の、フラットで中庸な性格を形成したのは、
この中高時代になるんだろうな、とは思っています。
中学時代から他人との接触を極力避けていましたが、
それは高校時代になってもあまり変わらなかったと思います。
私自身は変人という自覚はなかったんですが、
高校時代の学校内の空気に感化された気がしなくもありません(笑)
中学時代にいじめられてた連中がこぞって勉強を頑張り、
そこそこ有名な学校へ進学すると、
中学時代にたまっていた負の感情が一気にあふれ出して、
人よりも優位に立とうとする、つまりはいじめる側になろうとするわけです。
派閥争い的なものもあったとは思いますが、私はずっと「我関せず」状態。
そんな中でも共通項を持つもの同士は結託するものでして。。。
高校時代、まがりなりにも友人と呼べる人が何人か出来ました。
ジャズ好きの奴もいましたし、ゲーム好きもいました。
後から聞いた話によると、
N高って個性の集まる高校である、と巷では噂になってたんだそうです。
中にいる間は気づかないもんです(笑)
だから、普通の高校生みたいなことをやってる人も少なかったんだなぁ、と、
今思い起こすと気づくこともいろいろとあります。
私や友人みたいに、ゲームセンターに行くとか、
友達の家に遊びに行く、ということが当たり前なんだということを、
その当時の私は当たり前だと思っていなかった節があります。
たぶんこの高校時代に音楽好きに拍車がかかったんだろうなぁと。
ジャズやクラシックのCDでは飽き足らず、
好きなゲームの音楽CDや歌謡曲、果ては演歌なども買いあさる日々。
当然お金もすぐ底をつくので、祖父母の家に行ってバイトしてました。
今でいうと「家事手伝い」的な意味合いになるんでしょうけど、
足腰が弱っている祖父母たちの代わりに、
近所の商店街へ買い物に行ったり、後片付けしたり。
稼ぐためにやっていたことは事実ですけど、
私は昔からずっとおじいちゃんっ子でしたから、それが本当に楽しかったんです。
祖父はヘビースモーカーでした。
だから、近所のタバコ屋さんにいってタバコを買うのもバイトの一つだったんです。
一回行くだけでゲームセンターで数日遊べるくらいのお金をもらってました。
私に甘かった祖父とは違って祖母は厳格な性格です。
きっと私の母も祖母に似たんだろうと思います(笑)
祖父のそうした甘いところを邪険に思いながらも、
一家の長ということもあってか、口に出して不満を言うことはほとんどなかったです。
すでに祖父も祖母も亡くなって久しいのですが、
高校時代、と聞くと真っ先に思い出すのはこの二人のことです。
この稼ぎのおかげでいろんな音楽を聞くことが出来ましたし、
まあ結局本当に高校時代にアルバイトをすることになってしまうんですけどね。
欲しいコンポやCDを買うための資金調達が主な理由でしたけども。
わたしのCDのコレクションは一万枚以上になります。
家に入りきらないものは、近所にスペースを借りて保管しています。
そのコレクションの4割以上はこの高校時代に買ったものですね。
よくもまあこれだけ買ったもんだ、と当時の私をほめてやりたいくらいですが、
CDを買わずに貯金していれば、留学費用も難なく捻出できたんだろうな(笑)、
と今思い返すと、うれしいやら恥ずかしいやら・・・
本格的にアメリカへ音楽留学する準備を密かにすすめていました。
母親に知られると烈火のごとく怒ることは確実だったので、
ボストンに住む友人と秘密裏に事を進めていたわけです。
ピアノのレッスンも、当時関西では有名だった方についてしごかれてましたし、
留学に必要な英語力も、半ば独学ではありましたけど、
友人などの助力もあって少しずつ英会話力も身についていきました。
その成果は、高校時代のテストにも影響を及ぼしていたようで、
英語の成績が学年上位となったんです。母親が狂喜していました(笑)
そんな母親を裏切っているような気がして、当時はつらかったですね。
でも、さすがに何もかも秘密にしたままでアメリカへ行くことは出来ません。
留学するためには相応の費用が必要になります。
私自身がアルバイトをして稼ぐにしても限界がありますから、
親の助けがどうしても必要だったので、いつかはきちんと話さねば、
と思いつつずるずると日程をのばし続けて、高校二年生の終わりころになりました。
さすがにそのころになると何かを察したのか、
母親も眉間に皺の寄っている日が少し多くなっていました。
えい、ままよ!と冬休みのある日に、
私は「アメリカへ音楽留学したい」ということを母親に告白します。
(つづく)