音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

むかしがたり 1

自分のことを語るのはあまり好きじゃないんです。

 

自尊心だけは一人前だけど、

基本的にはガキの頃と何も変わってない精神構造ですから。

でもまあ、このブログは「記録」が目的でもあるので、

いつかやらねばなぁとは思っていました。

週一回ペースでだらだらと書いてみるつもりですが、

あまり読んでて気持ちの良いものではないことだけは予めご了承ください。

(特に小学校時代はなかなかヘビーです・・・)

 

 

母親がクラシック音楽などがとても好きで、

だけど自分自身は音楽とは無縁の境遇だったこともあって、

自分の子供には音楽教育を施そうとしたのだそうです。

私にピアノを習わせようとしたのもその一環だったんでしょう。

上の兄にも習わせようと思ったそうですけど、

興味が無いから嫌だ、という理由で断ったみたいでした。

 

幼稚園に通いつつ、ピアノのお稽古をはじめることになります。

それがまさに地獄の始まりでもありました。

 

それほど裕福な家庭ではなかったこともあり、

母は近所のピアノ教室を練り歩き、一番安いところに私を通わせました。

月謝の安いところがすべて待遇が悪い、とは言いませんが、

私の通っていたピアノ教室は、ほんとうに最悪でした。

 

先生の手書き譜面をただひたすら練習する日々。

間違うと容赦なく手や足が飛んできました。

「もっとピアノに集中!」と何度も言われ、

小学校へあがるころには若干ノイローゼ気味になっていたらしいです。

それでも月に3回ピアノ教室へ通い続けました。

当時の私はピアノが楽しいものとは全く思えなかったんですが、

それでも少しずつ指が動くようになると嬉しかったですし、

前には全く歯が立たなかった譜面もちょっとできるようになったり。

一度もミスなく演奏することが出来ると、先生は最大級に喜んでくれました。

 

今思うと、なんでそんな思いをしてまで教室に通っていたのか、

当時の自分に聞いてみたい気もしますが、深い理由はなかったと思います。

なけなしの貯金を少しずつ切り崩しながらも通わせてくれた母に、

少しでもスキル面で報いようと思っていたのかもしれませんし、

ピアノが嫌いで嫌いでしょうがなかったと自分自身思っていたけれど、

その実、ピアノに愛着めいたものがわいていたのかもしれません。

 

結局、10歳を目前にしたある日、

スパルタ指導に我慢の限界を迎えて、キレて教室をやめることになるまで、

ずっとピアノ教室に通い続けたことになります。

 

そのきっかけは、先生のとある一言でした。

ここでその一言を書きたくないので、発表はしませんが、

その言葉に私自身深く傷つきました。

私のことは良いとしても、私の近しい人のことを言われたことに、

私は怒りもあらわに先生に殴りかかろうとします。

「このババァ、ええ加減にせーよ!!」と言いながら。

結局、勢いに任せて殴ろうとしてつんのめってしまって、

自分の方が怪我をしてしまうという感じでしたが(笑)

 

母親はピアノをやめることについて当時も今も何も言いません。

ピアノを続けてほしかったのでしょうけれど、

腕にミミズばれや赤い痣めいたものが毎週出来ている様子も知っていたでしょうから、

あんな教室に何年も通わなくてもよかったのに、とも思っていたのかもしれません。

帰省した時、ごくたまにその話題になると適当にごまかされてしまって、

母親からは二度とその時の心境を聞くことは出来ないんだろうな、と、

今ではあきらめにも似た思いを持っています。

 

だからなのか、今でもそうなんですけど、

ピアノ講師と呼ばれる人たちには少し引け目を感じることがあります。

仲の良い友人や知人に対してはそういう思いは全くないんですけども。

 

私の幼少期に通っていたピアノの先生は、

24年前の阪神淡路大震災の頃、病で亡くなられたのだそうです。

「あの頃、なんで生徒に厳しかったんですか」と聞きたかったんですけど、

その回答は永遠に得られることが無くなってしまいました。

 

 

 

小学校の低学年時代。

ピアノを演奏する男子はまだ珍しかったんです。

少なくとも私の周りにはほとんどいませんでした。

そして、家庭の事情もあって家にピアノを置けなかったので、

家でピアノの練習をすることが出来ませんでした。

当時は月3回のピアノレッスンだけだったこともあって、

何とかピアノを弾ける環境が必要だと思った私の母は、

私の通う小学校の音楽担当の先生にお願いして、

「休憩時間と放課後だけ」という条件付きで、

音楽室(もしくは講堂)のピアノを使わせてもらえることになったんです。

 

そんなある日、音楽室でいつものようにピアノを演奏していると、

「おい、あいつピアノ演奏してるぞ」という声が聞こえてきて、

同じクラスの男子数人が入ってきました。

「わぁ、男のくせに女みたいなことやってる」

「気持ち悪い、おとこおんな!」

という罵詈雑言が続けて聞こえてきました。

 

それが小学校低学年時代のいじめの始まりでした。

 

仲の良い友人もいて、その当時はやっていたアニメやテレビ番組のBGMを

ピアノで演奏したりすると、うれしそうに笑ってくれたりすることもありましたが、

「出る杭は打たれる」ということはよくあるわけで、

私は、ピアノが弾けるという理由で奇異の目で見られることも多くなりました。

例えば。

国語の時間に朗々と感情を入れながら教科書を音読したり、

休憩時間にカップルみたいに仲良さそうに二人で会話していたり、

音楽室でアニメやバラエティ番組の音楽を奏でたり、

外見が特徴的だったり、言動が常人のそれではなかったり、

といった「普通の人と違う」ことは注目の的となることと同義でした。

 

いわゆる、イジリ系のいじめですね。

人と違うところをあげつらっていじり倒す感じです。

物理的に暴力を振るわれたりはしないのですが、精神的にはかなりきついです。

 

いじる側は必ず複数人で近寄ってきます。

ピアノを弾くという行為が彼ら彼女らにとっては珍しいもの、

そして自分たちにはできないことであることから、

私に対して「異端」というレッテルを貼りつけるわけです。

「ピアノは女性が演奏するもの」と決めてかかってきて、

反論などしようものなら、その何倍もの屁理屈を浴びせかけられます。

そんな状態が何か月も続きました。

 

それが嫌で、学年が変わると上手い具合に立ち回って、

いじられる側からいじる側へと路線変更することに成功しました。

 

いじめられる側からいじめる側へ。

 

すでにそのころにはピアノ教室もやめてましたし、

いじられる要素も意識的になくしました。

言い方を変えれば「自分を殺していた」時代です。

目立つこともせず、変な取り巻きにも不用意に近づかせない。

その代わり、親友と家に帰ったりする時とか、

友人が遊びに来たり、あるいは友人宅へ遊びに行くときには、

思いっきりいつもの自分を解放します。

当時この時間がもしなかったら、息がつまってどうにかなっていたかもしれません。

 

 

これが私の小学校時代までのあらましです。

続きはまた次回。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、こんなの投稿して良いんだろうか・・・

まあいっか。月初めだし(笑)