音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

音のファン、人のファン

辛口、と自分で書いておきながら、

その実、このブログそれほど辛口じゃないじゃん、と思われるのも癪なので、

ちょっと思うところを辛口に書いてみようと思います。

 

私が生まれた70年代、80年代というのは、

フォークブームとかアイドルブームとかがあったそうです。

 

物心つくまでに、私の家庭ではあらゆる音があふれていたんですよ。

父親は演歌大好きだし、母親はクラシック(時々ジャズ)好き、

上の兄は洋楽ばかり聞いてましたし、下の妹はアニソンやゲーム音楽が好きでした。

そうした雑多な家庭だったこともあり、

私は当時のブームにいまいち乗り切れていなかったんです。

 

とはいえ、テレビでも歌番組が数多く放送されていましたし、

同じ曲を何度も聞いていると自然と覚えてしまうものです。

当時の流行曲をテレビやラジオで覚えて、

学校でも話題についていけなくなることはほとんどありませんでした。

 

そうした複雑な家庭だったこともあり、

私は「人のファンから入らず、音のファンから入る」ことが多かったんです。

 

あふれる音楽の説明なんてほとんどありませんでしたから、

家族に聞いたり、その曲のデータを収集したりして、いろんな曲を覚えていきました。

当時はインターネットなんて便利なものはないですから、

たいていは口伝だったんです。なんでもすぐに検索なんてできません。

図書館に通ったり、あるいは知り合いのレコード店に聞きに行ったり、

知らないことを知っていく喜びを、当時は味わっていたんだな、と、

今にして思うと、プラスに考えることができますけど、

その当時の私は、そんなこと全く考えていなくて、

ただ純粋な興味のみであれだけアクティブに動けていたんだな、と思います。

 

だからなのでしょうけれど、

今でもふと耳にする曲を「あ、これいいな」と思って調べることは多いです。

ただ、そうして調べた人物の曲をもっと聞いてみたい、とはなりません。

 

映画のオープニング曲がたまたまバラエティ番組などで流れて、

その曲のことは調べようとしますし、その映画のサントラも買いますけど、

サントラ全部聞いて「サントラ収録曲すべていいわ~」とはあまりなりません。

どんな作曲家のものであっても好き嫌いはあるんです。

 

私が尊敬しているベートーヴェンラヴェルの曲も、

そのほとんどすべてを聞いているはずですけど、

だからといってその人の作るものすべてを受け入れているわけではないんです。

ベートーヴェンの曲でもあまり好みじゃないものもあります。

 

こういうところは前述の家庭の事情に大きくかかわってくるんですが、

「作曲者で音楽を聞かない」んだな、と。

音楽があふれかえっている家庭で、いちいち「これ誰の曲?」なんて質問することはほとんどありませんでした。

「これ、何の曲?」とは尋ねますけど(笑)

 

さて。

フォークブームやアイドルブームがあったころ、

やっぱりそのアーティストのファンが多くいらっしゃいました。

中には、親衛隊などと称する方々も登場し、

そのアイドルが歌う場には必ず親衛隊も姿を現し、応援します。

 

今も昔も「人のファン」は多くいらっしゃいます。

好きなアーティストがいればそれを追いかけていきます。

そういう人が大半であることは頭では私もわかってはいるんですけど、

複雑な家庭の事情やその他もろもろの理由があって、

私は「人のファン」ではなく「音のファン」になりました。

 

以前はアーティストのファンになろうと努力したこともあったんです。

ゲーム音楽の作曲家さんが結成したバンドにも何度か参加しましたし、

某ロックバンドのライブにもなるだけ参加するようにしました。

一部のファンの心ない言葉や、ファンの発する異様な雰囲気などに圧倒されて、

今はもうそういう努力をするのをやめたんです。

 

音楽はこの先ずっと、一生好きでい続けられるコンテンツですし、

古いものも新しいものも受け入れていくつもりではいます。

ただ「〇〇さんが作曲!」だとか「△△さんが歌う!」といったものを、

漫然と受け入れてしまうことだけは、この先ずっとできないんだろうなと思います。

 

誤解のないようにここで補足しておきたいんですが、

作曲家を尊敬していないわけではありません。

編曲家というのは作曲家の作品を尊敬してなんぼの世界ですから。

ただ、自分でその世界を狭めることはしたくないだけです。

 

やっぱり私は「オタク」になれないんだな・・・(笑)