音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

とりやめ

今週末のパリ行きがとりやめとなりました。

 

現地の政情不安であるとか、先方のご都合などいろいろな理由があるんですが、

ちょうど私自身、少し意気消沈しているところではあったので、

タイミングとしてはちょうどよかったのかもな、と思ってます。

また日程を変更して行くことにはなりそうですけれども。

 

 

ふと思い出したことがありました。

先月NHKで早朝に放送された「ここから」という番組で、

作家の辻村深月さんが故郷である山梨を歩いて、心境を語る、

というようなインタビュー番組があったんです。

そこで、

「何か一つこだわったもの、ゆるぎないものを1つ持つこと」

「そこを邪魔されたら立ち向かえるだけのものがあれば・・・」

といった主旨のことをおっしゃられてたんです。

(うろ覚えなので少し文章が違うかもしれませんけど・・・)

 

そこまで考えてはたと気づくんです。

私にとってゆるぎないものってなんだろう、と。

 

そう考えると、そこまで自信をもって言えるものを、

私自身が何も持っていないことに気づかされました。

 

「音楽」は確かに私の中でも重要な位置を占めるものですが、

ジャズやクラシックからハードコアまで幅広く聞いている割には、

専門の知識を有している人に比べると、その知識量は足元にも及びません。

 

そう考えると私自身は「オタク向きではない性格」なんだろうなぁと思いました。

 

例えば。

好きな作曲家は大勢いますけど、

その作曲家全ての作品を好きかと聞かれると何も言えなくなります。

 

好きなゲームシリーズがあるんですけど、

そのシリーズ全てが好きかと聞かれると返答に窮します。

 

好きな漫画のシリーズがあるんですけど、

ストーリーや構成に感心したり感動することはあっても

キャラクターに感情移入することはまずありません。

 

テレビとかでナレーションやPVなどの映像を見て、

「あ、この声は〇〇さんだ」っていう声マニアの方(俗に声豚ともいいますが)のコメントなどを見ると、感心するよりも先に声豚様方への嫌悪感が来てしまいます。

(そもそも声優さんをほとんど知らないんですけど・・・)

 

信仰、あるいは信者と呼ばれるようなファンの方と比べると、

その熱量はかなり低いと認めざるを得ないところです。

非オタ、という用語もありますけど、

今の自分はまさにその「非オタ」なのかもしれません。

 

100%熱量を注ぎ込めるものにまだ私が出会っていないからなのか、

それとも、私が年を取ったことでそうした興味が失われてしまっているのか、

その両方かもしれませんし、そうではない別の理由があるのかもしれません。

 

楽しみにしていたパリ行きがとりやめになってしまって、

つい愚痴とも文句とも言えないことを書いてしまいました。

 

やっぱり年齢を重ねると言葉数が多くなる傾向というのは事実みたいです(笑)