今日はお仕事です。
基本的にこのブログは平日、つまり働いているときに書いています。
平日は平凡なサラリーマンなのですけど、
朝はかなりゆるい割り振り(フレックス)になっておりますので、
こうして毎日ブログを更新することが出来るわけです。
その仕事と並行して、フリーで編曲のお仕事もやってます。
そんなに数多くこなしているわけじゃないんですけど、
それでもそんなに間が空くことなく、コンスタントにこちらもやってます。
いろいろとお金の管理とか調整がめんどくさいことこの上ないんですが(笑)
どんなお仕事もそうですけど、特にこうしてフリーでやっていると、
仕事が無くなることへの恐怖心、みたいなものは常に感じます。
だからサラリーマンやってるところもあるんですけど・・・
音楽で食べていけないから、食い扶持を稼ぐために仕事をする。
好きな音楽活動をしたいから、やりたくない仕事をする。
そういう人も結構多いんじゃないかな、と思います。
老後までの潤沢な資金があって、働かなくてもよいというのなら、
今すぐにでもサラリーマンやめたいとは思ってません(笑)
今のこのお仕事にも誇りをもってますし、やりがいもあります。
10代でデビューして、20代、30代初頭まではプロとして音楽をやってたので、
サラリーマンとしての実績は実はそれほど長くはありません。
自由業から会社員へとクラスチェンジしても、
やっぱり自分を構成する根っこのようなものはほとんど変わってないんですよ。
だから、フリーランスでこういう活動を続けていられるのも、
そのときそのときで真摯に音楽と向かっていられるからなんでしょうね。
経済的な余裕というのはやっぱり大きいです。
そうした余裕がないと、音楽なんてなかなかできません。
昔は「お金なんてなくても好きなことが出来るほうが良い」と思ってました。
今も近しい感情は持ち合わせていますけど、
サラリーマンとなって、懐にちょっとしたものが出来るようになると、
安心感が芽生えてくるのを自覚せざるを得ません。
夢をあきらめた、とまでは言いませんけど、
この年齢になると、夢よりも現実を直視する時間が多くなってくるんです。
根拠のない自信を持っていた若いころと比べると、心も体も老いてきました(笑)
そういう状況なので、フリーランスというスタンスで、
今も、積極的とまではいわなくても音楽と関われているのはうれしいです。
自分の持っている知識や経験が今も必要とされていることに、
ちょっとした感慨を覚えることもあります。
等といいつつ今も五線紙と向き合ってるところなんですけど・・・
生きることは「はたらく」こと、とは私は思っていません。
はたらくことで経済的にも精神的にも健全でいられるのであれば、
それは不健全である状態よりもいくぶんかはマシなのではないかということです。
「ボロは着てても心は錦」と歌ったのは水前寺清子さんですけど、
(引用:「いっぽんどっこの唄」より)
今の時代は少し違うような気もします。
「ボロを着てると心もボロに」というと言い過ぎた感もありますけど。
だらだらと書いてしまいましたけど、
要するに「はたらく、はたらかないは自由」ってことです。
その人にとって必要なら労働は値千金の価値もあることだと思いますし、
必要ではないというのなら、その人にとって労働は二束三文なんだってことです。
でも、何をするにも先立つものがないというのは、やっぱり辛いです・・・