私の場合、
「編曲」という立場なのでゼロからメロディを作っているわけではないんですけど、
それでもイントロや伴奏を作るとき、
最初は思い付きを優先することが多いように思います。
何も考えないで、音楽理論もなるだけ意識しないようにして、
自分の指が動くままに五線紙に向かいます。
(アナログ人間なのでパソコンではなく五線紙で作業をしています)
五線紙の最上部にはタイトルを付けるための下線のあるものがあって、
劇伴作曲家の方であれば番号を書いたりしています。
(M-1とかMA-11とか機能的な番号です)
編曲家の場合は、曲名だったり作った人のお名前だったり、
そういうのを入れたりしているんでしょうけど、
私が楽譜を書く時は空欄になってます。
「無題」ってことですね。
すでに作曲者から情報を得ている段階なので、
区別をつけるためになにがしかのタイトルをつける方がいいんでしょうけど、
そうしてしまうと、筆が進まないというのが私の傾向みたいですね(笑)
なので、すべての作業を終えるまでは無題のまま放置することが多いです。
四半世紀以上の期間をそうして費やしているので、
もはやそれが癖というか習慣めいたことになっています。
チームで行っている場合は違うんでしょうけど、
往々にして音楽を作る作業というのは孤独なものです。
作曲もそうですけど、編曲も孤独です。
もちろんクライアントの要望もあるので、
必要最低限のコミュニケーションはとっているはずなのですが、
作業中はひとりで机に向かっていることがほとんどです。
音を確かめるためのピアノなどの楽器もそばに置かないので、
ただひたすら紙と鉛筆(またはシャープペンシル)のみでの作業です。
はたから見ると「大変そう」って思う人も多いみたいです。
実際私がそうした作業をしている時の姿は「痛々しい」のだそうで(笑)
本人は楽しくやっているつもりなんですけど・・・
そうして書き上げた「無題の楽譜」をふと眺めると、
ニヤニヤしたり落ち込んだり、テンションアゲアゲになったり、
その時々によってさまざまなリアクションがあるにはあるのですが、
おわったー!!という開放感めいた思いはほとんどわいてきません。
機械的に仕事をしている、というわけではないんですけどね。
元来がネガティブな性格をしていることに起因しているんでしょう、きっと。
昨日もこの作業を夜やってました。
そして一つの仕事が終わった時、疲労感とともに、
「終わっちゃった」という少し寂しい気持ちになりました。
昔からそうなんですけど、
例えば小説を読んでいるとしますよね、
すると終わり近くになると読むのが億劫になってくるんです。
まだ終わってほしくない、結末を知るのが嫌だ、
という感情が頭をもたげてきます。
ゲームをやっていても漫画を読んでいても、
エンディング近く、最終巻の最終話になるとそんな気持ちがむくむくと出てきます。
だから必然的にその時間を延ばそうと画策します(笑)
それは編曲というお仕事でも同じです。
終わり近くにあると一度頭から五線紙を見直したりします。
さっさと終わらせてじぶんのやりたいことをすればいいのに、
とも思ったりしますし、実際いろいろとやりたいことはあるんですけど、
作業終わりかけの無題の五線紙を眺めていると、そんな複雑な気持ちが起こります。
そして最後にようやくタイトルを書き入れるんです。
無題の五線紙が無題ではなくなってしまう瞬間です。
その途端に疲労感にも似た感覚が巡ってきて、作業終了となります。
この時の感情を言い表すのは難しいんですけど、
自分が書いたものなのに、タイトルを入れてしまうことで、
それが自分のものではなくなってしまうような、喪失感を味わいます。
たぶん、そんな気持ちになりたくないから、
書き終えるその時まで無題を貫いているんでしょうね。
昨日、作業しながらこんなことを考えてました。