最近よくこういう言葉を聞きます。
「愛のあるホニャララ」というフレーズです。
その昔、私が編曲の仕事をしていた頃は、
自分自身はその曲に愛をもって接していたつもりでいたのですが、
今、その完成された曲を聴いてみると、
「ああ、これは作業編曲になってしまってますわぁ・・・・」
という気持になってしまいます。
つまり、愛の無い編曲ということですね。
海外の音楽学校へ行って、帰国してからやった仕事というのが、
カラオケの「オケ」の製作であったり、演歌やポップスの編曲でした。
それこそ流れ作業のごとくやっていた20代でしたから、
そこに愛をこめていたか、と言われるとなかなか断言しづらいものもあります。
編曲に愛は必要でしょうか。
作曲に愛は不要でしょうか。
編曲とは、作曲者が作った珠玉のメロディに対して、
いろいろと手を加えていくという作業です。
(細かい話はいろいろとあるんですが、大雑把に言うとこういう仕事です)
作曲者の思いの詰まったメロディでありコード(和音)を、
活かすも殺すも、この編曲という作業にかかっていると言っても過言ではないです。
どうしても小手先のテクニックに頼ってしまって、
その楽曲への愛が不足しているな、と作り終わってから感じたこともありました。
会心の出来だと自分で納得した編曲が、ものの見事にボツを食らったこともありました。
愛にもいろいろな形はあります。
原曲に対する編曲者本人のリスペクト愛。
その作曲者の作品全般に対する愛。もしくは作曲者本人への信頼愛。
そして、音楽に対する形容しようのない特別な愛。
それぞれ形は違うとは思いますが、編曲にも愛は必要かもしれません。
私が編曲の仕事をしていた頃、
それはそれはたくさんの作曲家の方々のデモテープを聞きました。
ちなみに、デモテープというのは、
作曲家の人が作ったメロディを様々な形態で奏されているテープのことで、
歌手が歌を覚えるときに使われるものや、
私のような編曲家へ聞かせるためのものもあります。
きっちりと楽譜に書き込みをしてくる作曲家の方もいれば、
ギター一本で朗々と歌い上げているテープのみ送られてくるということもあります。
また、電子楽器やパソコンなどを使用して、
イントロから最後まできっちりと作られているデモテープもありました。
そんなデモテープ、たくさん聞いていると、
その作曲家の人たちの癖みたいなものがおぼろげながらわかってくるんです。
そんな時に、とある作曲家のメロディを聴いたときにふと思うわけです。
「この人、音楽に対して愛情を持っているのか」
例えば悪いかもしれませんけど、
お風呂場で鼻歌まじりに作ったような、極薄のメロディと感じたんです。
もちろんそんな本音を押し殺して編曲作業をするわけですけど(笑)。
ただ、こういう愛の無い作曲を見たり聴いたりしてしまうと、
テンションはあまり上がりませんし、やる気も削がれてしまいます。
結局そのデモテープから編曲作業をするためにメロディやコードなどを譜面に書く時、
指定されているコードをあえて外してみたり、
通常そのジャンルではあまり使わない音を使ってみたり、
いろいろと編曲作業を通して抵抗を試みることもありました(笑)。
こういう感情的なところがあるからプロとして成功しなかったんでしょうけどね。
プロデューサーなどの方向性を決めることの出来る人たちの意向で、
いろいろと制約もある業界ではあったんですけど、
結構自由にやらせてもらってたことだけは嬉しかったですね。
愛の無いメロディに愛を加えていく作業、とでも言えばかっこいいんでしょうけど、
ピアノやキーボードなどの音が出るものがひとつもないところで、
ベルトコンベア式にずっと楽譜書いてただけでした(笑)。
というわけで、懐かしいお話の一節でした。