先日、辻村深月さんの「クローバーナイト」が文庫化されたので、
じっくりを読みふけっておりました。
内容は、保育園活動やお受験などをテーマにした、
ほんの少しミステリー風味のある小説だったんですが、
とても興味深く、また、とても空恐ろしい体験でした。
デフォルメされているとは思うのですが、
今の子供教育界の光と闇というのが詳細に描かれていて、
昔の自分の子供時代のことを思い出しながら読了しました。
母親に聞いたことがあるのですが、
私は3歳半になるまでまともに言葉を発しなかったんだそうです。
なにをやるにしても黙々とやっていたらしく、
「手間がかからん子やったわ、3歳までは」と小言のように言われました(笑)
それが4歳になる数か月前に突然堰を切ったように言葉をおぼえて、
私と意思疎通ができるようになったと泣いて喜んだのだとか。
そのころのことは全く記憶にないんですけど、
すでに小学校へ通いだしていた私の兄とは毛色が違い、
内気な性格のくせに我が強い性格だったんだそうです。
従順で何をやらせてもそつがない兄に対して、
言葉には出さなかったとは思いますが、コンプレックスを感じていたんでしょう。
昔、私の家には赤いミニピアノ(おもちゃピアノ)がありました。
2オクターブ半くらいしかない小さなピアノで、
私が高校に上がるくらいまでは現役だったと思うんですが、
私が2歳か3歳くらいの時にはすでに鍵盤をさわっていたんだそうです。
「CMソングを聞いてその曲をちゃんと弾いてた」と母は今でも豪語してますが、
前述の通り、その辺の記憶も全くないので嘘だとおもいます(笑)
そんな2~3歳くらいの頃、ミニピアノを弾きながら、
いつも口にしていたのがボンタンアメでした。
でした、なんて書いてますけどその辺も全く覚えてません。
ただ、今ではほとんど口にしなくなったそれを、
中学くらいまでずっと食べてたのは憶えてます。
近所の駄菓子屋で、粉ジュースや丸ガムには目もくれず、
ボンタンアメを買い続けてましたから(笑)
今にして思うと、なんでそこまでボンタンアメにこだわってたのかはわかりません。
乳幼児に食べさせて良いものかどうかは知りませんけど、
かなり幼い時から食べていたらしく、
私がピアノ教室へ通っていた時も、カバンにはいつも入ってましたし、
音大時代にピアノを弾いているときにも、
なんとなく口の中がボンタンアメのほのかな香りがしていた気がします。
留学先で売ってたのかどうかは定かではないですけど(笑)、
無性に食べたくなる時があったような気がします。
とまあ、思い出話を書いたのは、
今日仕事場でボンタンアメをもらったからなんですよね。
子供の頃は、この飴の周りについていたオブラート状のものが苦手で、
はがして食べていた記憶があるんですけど、
久しぶりに食べると、
神戸で過ごした子供時代や、留学時のことを思い出して、
ちょっと切ないような恥ずかしいような気持ちにさせてくれます。