ブログのタイトルは大仰ですけど、内容は薄いと思います(笑)
編曲の定義ってものすごく難しいと思うんですが、
誤解を恐れずに言うと「作曲家の作ったものを装飾する」作業になります。
歌の伴奏付けはもちろんのこと、前奏や間奏、後奏などなど、
作曲家の作ったものを膨らませ、あるいは裏切りつつ、
なるだけ意に沿った、あるいは沿わないものを作る作業になります。
私の場合は、フルオケ(もどき)のものからアイドルソング調なものまで、
割と広範囲で編曲を施すことが多かったんですが、
作曲家が選んだ和音などを忠実に再現する場合と、
私の独断と偏見と感性で思いのままにやる場合と、
お偉い人たちの意向に沿った形で自分を殺して編み込む場合と、
いろんなパターンで編曲作業をやっております。
私自身はメロディメーカーというわけではないので、
(伴奏に使う旋律とかイントロとかでメロディを作ることは多いんですけど)
まずは作曲した人のメロディを最大限いかすようにします。
どういった方向性でいくのかというのは、
作り手の意向とかお金を出している方々の思惑など、いろんな要素をはらんでいます。
特に、企業やお偉いさんの思惑というのが本当にめんどくさかったので、
私がプロとして大成できなかった理由の一つなのかなと思ってます。
私の話はおいておいて・・・
ゼロから作る楽曲を編曲する場合はこんな感じなんですが、
例えばすでに商業的に浸透している音楽を編曲する場合は、
それはそれでいろいろと気をつかうことが圧倒的に多いんです。
SNSとかで既成曲をピアノアレンジで演奏したりRemixしたりする動画があって、
著作権的にどうなのよ、とか、
曲を作った人がそうした動画を見てどう思うか想像しているんだろうか、とか、
そういうことを考えたり考えなかったりしますが、それはさておき。
(この話はいずれちゃんと書きたいと思ってますけど)
原曲のあるものを再編曲(リアレンジ)する場合、
原曲にどれだけ寄せるべきなのか、
あるいはどれだけ原曲を裏切るべきなのか、というのがあったりします。
自分自身はジャズから音楽にどっぷり入った人間なので、
アドリブとか即興的なものに憧れに似たものを感じることが多いです。
だから、そうしたリアレンジものを聞く場合には、
どれだけ原曲を裏切ってくれるのか、というのを期待します。
と同時に、原曲にリスペクトを感じないものも中にはあるので、
そうしたものについては、アレンジの妙を楽しむと同時に、
裏切られた思いを同時に感じることがあります。
「なんで、この旋律を省いてるんだろう」
「いやいや、ここで終わるんだ。編曲した人絶対リスペクトしてないよね」
といった思いを、原曲が好きな人たちが抱くことは往々にしてあると聞きます。
そうしたアレンジに嫌悪感めいたものを抱く気持ちもわかります。
ただ、そういうアレンジになってしまった裏面の事情ってのもあるんですよ。
私の中では、そうした感情的な思いと俯瞰的な思いが同時に交錯します。
時間と曲目だけざっくりと提示されて「あとはよろしく」という感じなのか、
それともその編曲自体、編曲者の考えを十二分に表したものなのか、
そのあたりは想像で補完するしか術が無いんですが、
モヤモヤした思いや残念な気持ちを抱く人も多いんだろうなと思うんです。
そうしたモヤモヤした思いを共有したい気持ちは私にもありますが、
お客さんがたくさんたむろしているところで声高に言うのは少しはばかられます。
不平不満を持つ人もいるのと同様に、演奏に感動した人も多くいらっしゃいます。
マウントを取りたいというわけでもないでしょうし、
そうした不満を少しでも早く共有したいという思いが強いんでしょうけど、
そういうのは会場を出た後で個人的にやった方が良いんだろうな、とも思いました。
品格、という言葉があります。
私自身大嫌いな言葉の一つではあるのですが、あえてここで使わせていただきます。
編曲者に品格は必要なのか、と以前聞かれたことがあります。
残念ながら、今は品格至上主義の傾向が少し強いように感じられます。
品行方正な音楽家の方が、素行の悪い音楽家よりも好まれるという傾向です。
人格破綻している品格のない人間が、天使のようなメロディを作ったとしても、
すでにレッテルを貼られてしまっている音楽家は忌み嫌われることが多いんです。
そしてあまつさえ、その忌み嫌う感情が作品にまで派生します。
良い音楽をつくるのだから、品格も必要であるという論調に対して、
音楽に品性は必要ではない、と常日頃から思っている私にとって、
品格という言葉それ自体が邪魔者以外の何ものでもありません。
かたや、鑑賞者に品格は必要か、と問われると、
それはある程度必要なのかもしれません、と今なら応えるでしょう。
心のアルバムという言葉がスマホの登場により露と消え、
全ての思い出はスマホのカメラを通して残すべきだという怨念にとらわれ、
ところ構わずシャッターを切る姿は、私から見るとかなり滑稽です。
撮影禁止とアナウンスされているところや、
あるいは撮影禁止ではないにしてもそうした行為が憚られるようなところで、
何も考えず、思い出をうつしとりたい衝動に抗うこともなく、
ただただスマホを構えて写真を撮る姿は、
品格うんぬんというよりもその人の品性を疑ってしまいます。
撮影することで満足して、SNSにその写真をUPして、
あとはスマホのメモリの肥やしになるだけなんでしょうけど・・・
おっと、また話が脱線してしまった・・・
音楽というのはとても奥が深いものです。
それは作詞、作曲だけでなく、編曲にも大いに当てはまります。
共同作業で協力しながら作品を作り上げることもありますが、
作業自体は非常に孤独なものです。めげそうになることもあります。
若い時はそうした気持ちを熱意でカバーできることもあるのでしょうが、
熱意は無尽蔵というわけではありません。ずっと上がりっぱなしではないんです。
それに気づいたのは、私がすでにフリーランスに両足を浸しきった頃ですけど(笑)
品格も品性も乏しい私ではありますが、
それでもこうして細々と音楽活動を続けていられるのは、
やっぱり人脈と信頼なのだろうな、と改めて思います。
なんだか脈絡のない薄っぺらいブログになりましたが、
言いたいこと、書きたいことは書けたので、これでよしとします。