音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

シオンは物見らの歌うを聞けり

大バッハカンタータ140番「目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声」。

その中の第4曲にあたるのが「シオンは物見らの歌うを聞けり」です。

 


Bach: Zion Hort Die Wachter Singen (Zion Hears the Watchmen)

 

この曲に出会ったのははるか昔のことです。

母親がクラシック音楽が好きでよくレコードを聞いていたんですけど、

その時に母親がよく聞いていたのがこの曲も含めた、大バッハの曲でした。

大バッハJ.S.バッハ。「音楽の父」とも称される偉大な作曲家)

 

私の音楽の基礎はジャズでできているのですが、

私の音楽知識の基礎はバッハとベートーヴェンを含めた多くのクラシック音楽でできています。

特に大バッハの曲は幼少期にこれでもかと聞かされています。

ピアノを習い始めたころにこの曲の低音部をずっと弾きながら、

コラールを歌っていたそうなのですが、私の記憶にはありません・・・

そのくらいこの曲に私も母も魅了されていたのだと思います。

 

ふとこの曲がシャッフル再生で流れてきて、こんなブログを書いてみました。

たまには感傷的な気分にもなるんですよ、こう見えて(笑)。

無料という名の弊害と筆不精

「音楽は無料で聞けて当たり前って人が多すぎる。お金を払って音楽を聞く文化はどこ行った」

Twitterでこんなツイートを見かけました(12/20RT済)。

音楽配信アプリのレビューのスクショも併せて貼ってあったんですが、
そこに貼られた画像を見てみると、
「全部無料にしろよ」
「料金とるから使いたくない」
「有料じゃなくて無料にしてほしいです」
「全曲無料になりませんか」
「なんで使用料がかかる、無料でいいだろ」
という意見ばかりを抜き取って書かれていました。
こうした声がごく一部であることは理解しているのですが、
音楽をタダで楽しむことが当たり前、と思っている方が多くなった気がします。

基本プレイ無料と呼ばれるソーシャルゲームが台頭して、
お金を払ってゲームをする、という文化が少しずつ廃れ始めています。
こんなこと断言口調で言いたくないんですけど、
実際に電車などでそうした基本無料ゲームをものすごく真剣な顔をして、
もしくは無表情でプレイしている方をよく見ますので、こう断言せざるを得ないんですよね。

もちろんゲームにお金を払ってプレイをする人も多くいらっしゃるのですが、
スマホ世代よりも1世代以上前の方などは特にそうだと思いますが)
「ゲーム機買わなくてもスマホでゲームができる」という意識が根付いて、
無料でいろいろなゲームをプレイできる環境が提供されているということで、
そうした無料ゲームが当たり前になってしまっているんですよね。
そして、そうした当たり前なことが常態化して、
スマホで配信されている無料ゲームについて、
評論家みたいに長々とレビューを書いて批評をする方も多くなりました。
めんどくさいという理由でレビューを書かない筆不精な方もいらっしゃいますし、
そうしたレビューを書く人がプレイヤーの何割に相当するのか、
統計を取っていないので何とも言えないんですが、
気に食わないところがあると、即座に低評価をつけて理由のない悪口雑言がレビュー欄を彩ります。

忌憚のない意見、というと聞こえはいいですが、
大型量販店などに置かれている「お客様の声を聴かせてください」レベルのクレームめいたレビューが圧倒的多数を占めています。
アプリのレビュー欄だけでは飽き足らず、
そのアプリの公式SNSなどへ意味不明な返信という名の嫌がらせをして悦に入る方もいらっしゃいます。
そのクレームが的を射る意見であることは極めてまれで、
ゲーム上でのうまくいかないことなどを自分のせいではなくアプリのせいにして、
改善や改修を要求したり、果ては脅迫まがいのことを言う方もいます。

この辺りは「子供に悪影響が出るのであの番組(CM)の放映はやめてください」
と言って、子供への悪影響という理由をかさに着て、
すべての責任をテレビに押し付けようとする親御さん(クレーマー)を想起させます。



・・・話がそれそうなので戻します。



今回のブログのタイトルを「無料という名の弊害と筆不精」としました。

自分の着ている衣服や食にはお金をかけるのに、
ゲームやアプリにはお金をかけたくない、という人が結構多い印象です。
もちろん何にお金を費やすかは人それぞれだと思いますので、
「人の金の使い方にケチつけるな」と言われると何にも言えません。
ただ、無料で提供されているモノに対して、
お金払ってないのに文句だけは一人前、という人が多いっていうのは、
無料で放送されているテレビ番組やCMに対して自分の都合でモノをいう、
前述の「クレーマーな親御さん」と精神的に同じではないかなと思うんですよね。

有料無料問わず、提供されているモノに対してどういう感想を持つのかは自由なので、
「阿りや追従」or「批判や嘲り」に意見が分かれることは一般的なんですよね。
追従したい人からすれば批判めいた意見は煙たがるでしょうし、
嘲りたい人からすれば阿ったり褒めちぎっている意見は粛清の対象となるわけです。
そうした「陣営同士の争い」みたいなものが、
こうしたアプリレビューという狭い領域でも行われているんですよ。
めんどくさいですよね(笑)。


基本プレイ無料という言葉が定例化してしまっている感もありますが、
ゲームを開発するのには人、モノが必要となります。
なのでどんなクソゲー(なかなか味のあるゲームの総称)でも開発費用がかかっています。
どういう理屈でそうしたものを基本プレイ無料で提供できているのか、
私にはわからないですし分かりたくもないんですけど、
そこに人の手が加えられている以上、ただ働きでもない限り、
開発費用がどこからか支払われていることは間違いありません。
小売業であれば買い物という形で消費者からお金をもらい、
対価としてその金額に見合った商品を提供するというのが一般的です。
強大なスポンサーでも存在しない限り無償で商品を提供するというのは一般的ではありません。
要するに「ただより高いものはない」ってことですね。

まあ、基本プレイ無料の話は以前このブログでもしてますし、
これ以上話をあおっても何も出てこないのでこのくらいにしときます。


前述のレビューのお話なんですけど、書かない人もいますよね。
めんどくさいってのが理由の大半だと思うんですが。
私もそうしためんどくさいことをするのが面倒なタイプです(笑)。
レビューに感想などを書かない人のことを筆不精と言い切るのはどうかと思うんですが、
通販サイトなどでレビューを書いている人って限られてて、
実は目に見えないところではいろんな意見があるのではないか、と私は考えてます。

めんどくさいからアンケートは放置する、
めんどくさいから世論調査は白紙回答する、
めんどくさいから届いたメールを返さない、
めんどくさいから約束を反故にする。
世の中にはさまざまな「めんどくさい」があふれています。

アプリのレビューもめんどくさいからいいやって思っている人がいるわけで。
あのレビュー欄すべてがそのアプリを遊んでいるユーザーの総意ではないはずなんです。
だからなのか、私はネット通販でもレビューはなるだけ見ないようにしていますし、
意図的なクソレビューばかり垂れ流す輩は「社会的に抹殺されれば良い」と思います。


話はちょっと変わります。

筆不精です。
あ、私のことです。
ブログを三つもやってるけど筆不精なんです(笑)。

でも、根は筆不精なのですが、義理人情にはあつい人間(と本人は思っている)ので、
もらった手紙などには必ず返事を書くようにしています。
送ったほうも返事をもらえば少なからず悪い気持ちにはなりにくいものですし。

現役時代、ネットがまだそれほど整備されてなかったころの話です。
仕事の依頼や連絡には「電子メール」を使っていました。
携帯電話がまだモノクロで小さな画面だった時代は電話でしたけど、
そこから少し時代を経て、フリップ式のガラケーが登場し始めたあたりから、
連絡の主体が電話からメールへと移り変わります。
今のスマホよりも小さい画面に躍る結構小さな文字を眺めながら、
友人や知人、クライアントからのメールをさばいていたんです。
そのころから返信はなるだけ早く、をモットーに・・・
していたかどうかは定かではないんですけど、来たものにはなるだけ早く返答してたと思います。

昔もそうですし、今もそうなんですけど、
筆不精な方って結構いらっしゃいますよね。
メールを送っても一向に返信をいただけないこともありましたし、
約束を反故にされたことも一度や二度ではありませんでした。
「約束守れないなら最初から『ご飯行きましょ~!』なんてリプしてくんじゃねーよ」
と思ったことは一度や二度ではありません。
今だと友人知人間の連絡はメールではなくLINEやDMだったりするんでしょうかね。
「既読スルー」なんて言葉もありますけど、
相手がその文面を見たという証拠が出てしまうというのも、
筆不精からするとなかなか手ごわいものがあるように思います。

私の場合、TwitterやLINEなどのSNSについては通知をすべて切っていますので、
私宛の連絡があるかどうかは実際にアプリを起動しないとわからない仕組みとなっています。
「じゃあ通知入れとけよ」って思われる人もいると思いますが、
私宛への返信なんて月に数回程度しかないわけで、
そんなことのためにわざわざ通知をONにするのはめんどくさいです(笑)。


今さら思い当たったんですけど、
LINEやTwitterというSNSアプリも基本無料なんですよね。
それだからこそこれだけ爆発的に日本でも広まった、ともいえるんですが。
SNSには弊害はない、と断言できる人ってなかなかいないとは思いますけど、
大小さまざまな弊害を結構抱えてるメディアだよなぁ、と個人的には考えてます。
共通項を見出しやすいという利点はありますが、
その反面、その人の共通項と大きく差異がある人に対しては問答無用なところがあります。
マナーにうるさい人も多いですし、
お気に入りをけなされるとすぐ躍起になってそれを否定し始める人もいます。
気楽に始められるのがSNSの利点であったはずなのに、
気が付くとSNS社会が実社会と少しずつリンクし始めていることに気づかされます。
まあ、SNSが別世界だという夢想は私も初めから抱いてはないんですけども・・・

SNSでも筆不精の方って結構いらっしゃいます。
私もそんな「SNS不精」の一人です。めんどくさいんですよね、いろいろと。
短い文章で思いのたけを伝えるのって苦手なので、
どうしてもこうしたブログに頼ってしまいがちになります。
なのでTwitterでも低浮上ですし、LINE自体も通知切ってるので返信は稀です(笑)。

こういう人って私以外にも結構いるんじゃないでしょうか。
いや、いないかもしれないんですが。



なんだか取り留めないブログになってしまいました。
ご大層な題名を付けた割に内容は薄い感じではありますが、
なんとなく思うところは吐き出せたような気がします。

友人からの依頼

音楽大学がアメリカのボストンにあったので、

そちらに住む友人も多くいるんですが、

そんな中の一人から昨日メールが届いたんです。

 

久しぶり、元気してる?

という書き出しで始まったメールの内容ですが、

内容を要約すると「ボストンに遊びに来い」というものでした。

メールをくれた彼(アメリカ人)とは、

ボストンにいたころにバンドを組んでいたんですね。

ロックバンドなんですけど、

私がキーボードやシンセサイザーなどの鍵盤楽器

彼はベースを担当していました。

(ちなみにバンドメンバーは計5人でした)

 

久々にセッションやりたいから、なんか曲書いて。

メールの文面でこんなことを書いてました。

セッションということはたぶんジャズあたりなんでしょうけど。

まだ何にも書いてないですが、

渡米は来月予定なので、それまでに書かなきゃならんわけです。

 

彼は日本のゲームがとても好きなので、

ゲームの音楽をジャズアレンジしたものを、とも考えたんですが、

私自身がゲーム音楽のアレンジに対してあまり意欲がないんですよね。

オケアレンジだったりバンドアレンジだったり、

ゲーム音楽のアレンジも色とりどりです。

私もゲーム大好き人間なので、そういうことも以前はやってたんですが、

プロのアレンジャーだった、という過去が私自身の心を引っ張っていて、

プレッシャーというかめんどくさいというか、

そういう感情がないまぜになって混沌とした気持ちになるんですよね。

 

でもまあ、一から曲を作るのもしちめんどくさいので(笑)、

何かの曲をアレンジしたものをチャチャっと作ることになると思います。

来週中にスコアを現地へ送る必要があるので、実質一週間しかないんですが、

ま、なんとかなるでしょう・・・たぶん(笑)。

 

ちなみに、彼が好きなゲームはゼルダシリーズなので、

もしゲームの音楽を使うとしたらゼルダになるんでしょうかねぇ。

私自身もゼルダシリーズには思い入れが強いので、

本当はアレンジとかやりたくないんですけど・・・

 

また決まったらこのブログで連絡します。

 

こうして余計な仕事がどんどん増えるんです(笑)。

 

 

 

DEPAPEPE

アコースティックギターデュオのDEPAPEPE(デパペペ)という二人組がおりまして。
前から大好きなアーティストではあったんですけど、
今日仕事しつつシャッフル再生してたら「ラハイナ」が流れてきたので、
懐かしくなってこうしてブログでDEPAPEPEのことを書こうと思いました。

単純な奴です(笑)。
彼らと私が実は同郷(兵庫県神戸市)であるってところも親近感がわくんですけど。

実は、彼らの曲を至る所で耳にしていることが多いんですよね。
それだけ彼らの曲がキャッチーであるんだろうとは思うんですが、
実は私、そうしたメディアから流れてきた彼らの曲に魅かれて好きになった口です。

テレビの一コーナーのBGMであったり、
ラジオの番組のジングルであったり、
ニュースやバラエティ番組の効果曲として使われていたり、
実は様々なところで彼らの曲を聞くことが出来ます。

私が最初に聞いたのは「きっとまたいつか」という曲です。
どこで聞いたのかはさすがに覚えてないんですけど(笑)。
そこから彼らのアルバムを聞きだしたんですよね。
それが「Ciao! Bravo!!」というアルバムでした。

そのあといろいろとCDやら何やら聞くことになるんですが、
「let's go!!!」というアルバムを一番聞いているかもしれません。
これが彼らの1stフルアルバムなのだそうです。


アルバムの中でも一二を争う人気曲がこの「START」ですね。
私も大好きです。まあ、全部良いんですけど。
「Wake Up!」や「風見鶏」「FLOW」などもよく聞いてますけど。

最近は便利な世の中になったもので、
月額定額制で聞き放題といったサービスも充実してて、
Googleの聞き放題でDEPAPEPEのアルバムもたくさん聞くことが出来るようになってます。
まあ、ほとんどCD持ってるんですけどね(笑)。

私が別のアカウントでやってる音楽ブログみたいな投稿になりましたけど、
こういうのもたまにはありですよね?

現代音楽を聞く その9

ジョン・ケージというと「4分33秒」という曲が圧倒的に有名ですよね。

スコアにはTACET、つまり「音を出さない」と書かれただけ。

これ、かなり前衛的だとは思うんですけど、

私自身は生でこれを聞いたことが無い人なので、

(「聞く」という表現が正しいかどうかはさておき)

この曲の成否や判断をするだけの材料を持ち合わせてません。

なので、評価のしようがないってところですかね。

 

で、今回はジョン・ケージでも比較的前衛っぽくないものにしてみました。

 


Sonata for clarinet, clarinet solo (1933)

 

独奏クラリネットのためのソナタです。

たまにこれ聞きたくなるんですよねー、なぜかわかりませんけど。

 

Count Basie Orchestra / Back To The APPLE【ジャズのススメ 48】

今年の二月に来日したカウントベイシーオーケストラ。

私も聞きに行ったんですよね、これ。

というのも、この曲が大好きなんです。

 


Count Basie - Back to the Apple - Live in Sweden 1962 (new in sync!)

 

もともとカウント・ベイシー自身も大好きでしたけど、

この演奏でソロでテナーサックスを吹いているフランク・フォスターが好きでして。

先日私がビッグバンドアレンジした時もこの曲を参考にしました。

そのくらい完成度の高い演奏をしているメンバーです。

 

アルバムは・・・今回はお勧めCDはなしってことで(笑)。

アレンジのお話をまたやってみる

ここ最近アレンジ仕事がちょこちょこ入ってて、

なかなか趣味の時間を保てない状況なのですが、

このブログに文章を書くことは定期的にやってます。

 

ま、そんなわたくしごとはさておき。

昔の話をちょこっとします。

 

当時師事していた音大の教授というか講師というか、

私が教えを乞うていた先生からよく言われていたことは、

「きちんと楽譜を読んで書きなさい」ということでした。

その先生曰く、

楽譜を見るとその人の音楽性はもとより、

音楽をきっちりと勉強したかしていないかが一目でわかる、のだそうです。

確かに、市販されている楽譜などをちょくちょく見てみると、

おぼろげながらもそうしたことはわかるような気がします。

 

マチュアのオケやブラスバンドなどが、

既成曲をアレンジして演奏するケースが多いんですけど、

そうしたアレンジなども、

ああ、この人楽器の特性とか理解してないんだろうなぁ、と思うことも、

実は結構あったりするんですよね。上から目線で申し訳ないですけど。

演奏スキルがいくら高くても、そうしたところが散見されると、

一気に聞く気力が低下してしまうのは仕方ないことなのかもしれません。

 

もちろん、独学で音楽理論を勉強して音楽の専門的教育を受けていない人でも、

天才的なアレンジをされる方もいますし、

音楽の専門教育をきっちり受けているはずなのに、

才能が開花しなかったのか、あまりパッとしないこともあります。

アレンジには理論だけではなくセンスも問われるので、

私自身のセンスとたまたま合致しなかっただけ、ということもあります。

そこはもう個人の好悪だと思うのでいかんともしがたいですけども。

 

作曲家からデモテープなどをいただいてアレンジを行う場合、

「もうこのままでいいんじゃないの?」ってくらい、

がちがちにアレンジを加えてくる作曲家さんもいらっしゃいますし、

ピアノやギター一本で朗々と歌い上げたり、

簡単な打ち込みをしてメロディをピアノで演奏してくる方もいらっしゃいます。

楽譜もあったりなかったりということが多かったですね。

そういう時はメロディ譜をざっくりと手書きしてからの作業になります。

その時に和音を付けたりすることもあるんですけど、

基本的にはざっくりとメロディを眺めてからその方向性を決めていきます。

作曲者からの要望も種々あるんですが、最初は無視します(笑)。

ざっとスコアを見たり一通りデモテープを聞いたときの第一印象、

インスピレーションとでもいうんでしょうけど、そうしたものを大事にして、

方向性を決めたうえで、こまごまとした作業を始めます。

早い時には数時間で、遅くとも期日前までには必ず仕上げます。

納期を遅らせる方も多くいらっしゃいますけど(笑)。

プロを自認する限りは、与えられた条件で最良のものを提供すること。

それこそが必要不可欠な技術であり信頼される骨子ともなります。

作曲する時点で遅れることも結構あったりするので、

アレンジャーが割を食うこともしばしばあったりしますけどね・・・

 

プロデューサーや作曲者も交えてのディスカッションもあります。

無い時もありますし、丸投げされることもありましたね。

私はすでにこの業界から足を洗っている身なので、

今の状況はあまりよくはわかりませんけど、

思ったほど先進的ではなかったです。旧態依然としたものでした。

流行の先端をいっているのは上っ面だけで、実は古い慣習みたいなものが、

ドロドロとした状態で存在していたように思います。

いまはしりませんけどね(二度目)。

 

そりゃもう、だめだしなんて数えだしたらきりがないくらいありましたし、

私の方からダメ出しをしたことももちろんあります。

編曲は信頼されることも商売の一つなので、そこは譲れないってこともありますけど。

 

よくよく考えたら流行曲だったり演歌だったり、

いろんな曲をギャラをもらって最初に聞いてたんだなと思うと、

実はものすごく貴重な経験だったんじゃないかな、と。

その作曲家渾身の力作を最初に手にすることができるアレンジャー。

業界にいた当時は、こんな業界二度と来るか、って思ったもんですけど、

思い返してみるといい思い出も実はたくさんあったりして、

ちょっと寂しさと後悔が入り混じった感情がこみ上げてきます。

 

 

まあ、今でもちょこちょこアレンジの仕事はしてますけどね(笑)。

 

 

印税とは無縁の職業だった編曲というお仕事。

(作詞や作曲、歌唱とは違って編曲報酬は印税ではなくギャラでした)

きついこともたくさんあって、それが原因でやめたんですけど、

もうちょっとあの業界でくすぶっていてもよかったかも知れないですね。

たぶん胃に穴が開き続けて入院する羽目になってたでしょう(笑)。