音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

Bireli Lagrene / Standards【ジャズのススメ 38】

個人的な意見なんですけど、

ビレリ・ラグレーンのギターの音色って好みに個人差がありますよね。

まあ、どのアーティストでも個人差ってあると思うんですけど(笑)

 

最初に彼の演奏を聴いたのはDUETというアルバムでした。

フランスのジャズギタリストであるシルヴァン・リュックとのデュエットで、

Isn't she lovery?などのカバーをしています。

このDUETでのビレリが最初の出会いだったこともあり、

その後で聴いた、彼のアルバムとのギャップに唖然としたのを今でも覚えてます。

それだけDUETでの演奏では、相手に合わせた演奏だったってことなんでしょうね。

 

Standards

Standards

 

 

テクニシャンだけど癖がある、ビレリのギターの音色ですが、

合わない人には全く合わないみたいです。

もともと出自がジプシーってところもあるんでしょうけど。

わたしですか?そりゃ好きですよ。じゃなけりゃここで紹介しません(笑)

 


Biréli Lagrène - Standards (1992) [Full Album]

 

演奏する人される人

社会人になって間もないころ。

音大卒という私の経歴を知った幾人かがこういう要望がありました。

「ねー、何か演奏してみてよ」

音大卒というレッテルだけで音楽のエキスパートであるという錯覚に陥り、

気楽に演奏を要求する人が、巷には大勢いらっしゃいます。

そうした要望に対して気軽に「いいよー」という方もたくさんいらっしゃいますが、

私の場合は、そういう要望に対してあまり良い気がしません。

 

そもそも私自身が演奏スキルに乏しいということもあるにはあるのですが、

例えば「じゃ、何かリクエストしてよ」なんて言葉を返すと、

「うーん・・・なんでもいい」という気のない返事が返ってくることも多いわけです。

そういう人たちって特定の曲が聞きたいというわけじゃなくて、

ただ惰性で演奏を要望しているに過ぎないことを思い知らされます。

つまりはただの興味本位ってことですね。

 

プロの演奏を聴くときはお金を払います。これは当たり前。

マチュアの演奏でも聞きたい曲を聴くときにはお金を払うこともあります。

(無料コンサートというものもありますけどね)

これも当たり前。

演奏を聴くという行為に対して同等の代価を支払うことは、

その演奏家にとって敬意を払うものと同義である、と私は思ってます。

 

まあ、時々海外からの演奏家のコンサートなどの料金を見て、

「うわ、高い・・・」と思うこともしばしばです(笑)。

 

誤解のないように言っておきますけど、

「じゃ、おまえはお金を貰えば演奏するのか」と言われたなら、

「いいえ、演奏しません」と応える場合もありますし、

「演奏します」ということもあります。

その時その時によって意見は変わります。

 

私自身、音大卒ではありますが、

それは奏者としての勉強ではなく、どちらかというと「裏方」の世界への憧れです。

表立って演奏することよりも、作曲や編曲など、

裏方としての印象の強いところでやりたかったんです。

 

結局、夢半ばで破れましたけど・・・

 

なので、私に奏者としてのスキルを要求されることに対して、

あまり嬉しいという感情を持ったことが無いんです。

作曲やアレンジの依頼をされることの方がやっぱり嬉しいんですよね。

今もちょこちょことそうした仕事はさせてもらうことがありますけど、

人前で演奏することよりもそっちのほうが向いているということを実感します。

 

演奏者としての技術を磨いている人たちからすると、

こういう意見は唾棄されるようなものかもしれませんが、

これが自分の正直な気持ちなので仕方ないです。

 

適材適所だと思うんですよ。

奏者として人前で腕前を披露したいという人もいれば、

裏方として奏者を支えることで、音楽に貢献したいと思う人もいます。

私は断然後者側の人間です。

だから、気軽に「演奏して」というのは出来れば控えていただきたいなと。

そういうオファー、ほとんどないですけど(笑)。

JOHN COLTRANE / Impressions【ジャズのススメ 37】

あえて避けてきたんですけど、

そろそろ良いかなと思い、コルトレーンのアルバムのことを書きます。

 

コルトレーンで最初に聴いたのはこのアルバムではなかったんですけど、

現時点で一番聴いているのはたぶんこのアルバムです。

 

 

Impressions

Impressions

 

 

もちろん他のレーベルから出た時代の音楽も好きは好きなんですけど、

ここが彼の黄金期(私の意見です)と思ってます。

何も予備知識を持たないでただ彼のサクソフォンに耳を傾けると、

こことは違う次元へと吸い込まれそうになるのは私だけでしょうか。

私だけですね(笑)。

 


John Coltrane - Impressions (Complete)

バッハのインヴェンションを聴く

最近、バッハをよく聴いてます。

もともと好きな作曲家の一人ではあるのですが、

「大のフーガ(遁走曲)好き」っていうのが大きいかもしれないですね。

 

※フーガとは

複数の楽器等で演奏される場合、

違う声部で同じ音型が順次奏されるものをいいます。

簡単なフーガの例でいうと「かえるのうた」の輪唱ですね。

 

以前に別のブログでも書いたんですけど、

ファミコンディスクシステムで発売された、

ファミコン探偵倶楽部」というアドベンチャーゲームがありまして。

そこでバッハの名曲が使われていたんですよ。

まあ当時私も小学生だったのでバッハの作品とは知らなかったんですけども。

 

その曲が「インヴェンションとシンフォニア」なんですね。

これ、バッハが書いたクラヴィーア曲集なんですけど、とってもいい曲なんです。

ちなみに前述のファミコンゲームで使われているのは、

「2声のインヴェンション」から第13番a-mollですね。

 


J.S.バッハ/インベンション第13番/演奏:中川 京子

 

いい曲です。染み入ります(個人的感想)。

 

 

そしてもう一つの動画を。

当時衝撃的なバッハの演奏でクラシック界を賑わせたピアニスト、

グレン・グールドの演奏です。

 


Invention 13 in A Minor - BWV 784 - Bach by Glenn Gould

 

同じ曲です(笑)。

私自身は楽曲の早さ、あるいは速さについてそれほど気にはしないんですけど、

聞く人が聞くとやっぱりこう思うんでしょうね。「早すぎる」と。

 

音楽って自由なものだと思うんですけど、

ことクラオタと言われる偏屈な方々からすると、

絶対的存在というものがそれぞれあるみたいで、

それとかけ離れた演奏をすると、極端にバッシングをする傾向があります。

曰く、

「受け入れられない」

「音楽として成立してない」

「早く弾けばいいってものじゃない」

そういう意見ももちろんわかるつもりではいるんですが、

生理的に受け付けないとでも言わんばかりに否定するってのもどうなんだろうなぁと。

 

結局その人が好きな演奏家による演奏が至高のもので、

それ以外はクズだと断罪することも厭わないのがクラオタですから、

(断言してしまってますが、私の個人的感想です)

何を言っても意見を覆すことなんてないんでしょうけども(笑)。

 

まあ、ここで批判めいたことを言うのもあれなので。

 

 

 

ファミコン探偵倶楽部の続編、「うしろに立つ少女」でも、

バッハの2声のインヴェンションの1曲が使われています。

こちらは第15番h-mollですね。

 


JS BACH - Two-part Invention No.15 in B minor, BWV 786

 

そしてこちらもグレン・グールド版を。

 


Glenn Gould - Bach, Invention No. 15 in B Minor, BWV 786

 

いい曲です。

 

 

ちなみにゲームとは全く関係ないですが、

私がお気に入りなのは第8番F-durです。

 


Invention 8 Bach by Glenn Gould

 

対位法をちゃんと勉強するなら避けて通れないであろう曲だと、

個人的には思ってます、この「インヴェンションとシンフォニア」は。

実際、学生時代はこのスコアにたくさん書き込みをして分析しまくりました。

演奏は・・・まあ、それなりに(笑)。

 

スポットライト思考

スポットライト症候群という病があります。
常に皆からの注目を浴びていないではいられない症状を指します。
様々な人からの注目を集める芸能人やスポーツ選手などに多いのだとか。
まあ、そのあたりは、
ちゃんとした統計があまり出ていないので断言できないんですけどね。

全人類総評論家時代みたいなものがやってきたことで、
気軽に情報をネットを通して発信することが出来るようになりました。
公式のゲーム機器メーカーのアカウントに、
今人気のゲーム機がなかなか手に入らないことに憤って、
「はやくゲーム機器作れ」とか「だからおまえんとこはダメなんだ」と、
まるで友人以下の存在のごとくこき下ろしたり、
かと思えばその公式アカウントに全く関係のない話題を振ってみたり、
(わざとライバル会社の製品名をそのまま送るなどの行為)
そうした「大喜利」的なコメントをして自己満足している方が結構多くいらっしゃいます。
公式アカウント側でそういうのはほぼ無反応なんですけどね。
無反応であるのを良いことに、好き勝手やっているという印象です。
このあたりはネットリテラシーの範疇の話なので私の意見は省きますけど、
あれですね、見てて気持ちのいいものじゃないです。

まあ見ないですけど(笑)。


と、ここまで書いておいてなんですけど、
今回のテーマは「スポットライト症候群」ではありません。
ただ、今回のお話と少し関連するところもあるので先に書いてみました。



「スポットライト思考」という題名にしましたが、
たぶんこんな言葉はないと思います。造語です。
(あったらすいません・・・)

まずは例として小説をあげてみます。

歴史小説を読んでいるとします。
そこで少しエロ要素のあるシーンが出てくるとしましょう。
そしてそのエロ要素のある文章だけを抜き出して、
悪意ある人がSNSなどに投稿したとしたらどうでしょうか。
そりゃエロ要素のある文章しか載せていないわけですから、
印象としては「エロい」ということになります。
しかし、その要素は件の歴史小説のほんの一部なんです。
ただその一部のみを切り取られることによって、
さも作品全体の印象であるかのような錯覚を強いられます。

と、このように、
スポットライトを当てるかのように意図的、作為的に切り取った話題を提供する、
あるいは意図的、作為的に切り取ることで印象を操作することによって、
情報を見たものに誤った印象を植え付けるといった行為。
もしくは、自分の都合の良い情報だけを信じこみ、それ以外は信じない、
例えるなら、周囲に明かりが当たらず、
ただ信じたい情報のみをスポットライトのごとく浮かび上がらせるような思考を、
「スポットライト思考」と私は呼んでいません(笑)。
まあでも他に適当な言葉も浮かばないので、
便宜上「スポットライト思考」と定義します。


話す、というのは言葉の連続です。
それ自体に意味がない言葉、それ自体だけでも意味を持つ言葉、
そういった単語を頭のなかで組み立てて人前で披露することではじめて、
「話す」という言葉が定義付けされます。




とまあ、こうして改めて定義してみると、
言葉をかわす、話すという行為がとてもいとおしく思えてくるから不思議なものです。
もともと私自身、人と話をすることは大好きなんですけどね。

ま、それはともかく。




自分の意見に与する人、その反対に自分の意見に与せず反対している人。
ある一つの事象に対しては、たいていこの2つに分かれることが多いです。
○か×か、正か否か、適当か不適当か、賛成か反対か。
相反する2つの意見は当然ながらぶつかることになります。

自分の嫌いな人が何かの講演をしていて、冗談で軽はずみなことを言ったとします。
するとその人は、嫌いな人の悪評をもっと広めてやろうと、
その冗談のみを切り取ろうと画策します。
その軽はずみで言った冗談のみを執拗に喧伝し、
その人が極悪非道な人間であるかのように印象操作し、世間に知らしめようとします。
こうした行為に至るまでには様々な経緯があるとは思うんですけど、
結局は「そいつが嫌いだから」という理由なんだろうな、と思います。
(その感情へ至るまでのプロセスは人それぞれ違うと思いますけど)
当然この講演に出席していない人からすると、
この喧伝した人の情報しか基本的に得られないわけですから、
何も知らないとすると、その人への心象は確実に悪くなるわけです。
そうすることで、その人の「嫌い」という感情が伝播していくことになります。


そうして、私は学生時代に嫌われたことがあります。
私が冗談で言ったことが、どんどん姿かたちを変え、大きくなり、
膨らみ続け、そしてはじけ飛びました。
噂はすでに事実とは異なる状態で独り歩きを始め、
いくら私が弁解しようとも、受け入れられることはありませんでした。
そんな状態が半年くらい続いたんです。流石にそのときは本当に辛かったですね。
厭世的になっていたのも仕方がないことです。
「弁解しようとしたお前が悪い」
「そもそもそういう冗談を言ったお前に否があるんじゃないの?」
といった元友人もいました。

結局、スポットライト思考にとらわれてしまうことで、
周りが見えなくなってしまって、
そのライトの範囲の大きく外にいる私に光が当たることはありませんでした。


ここ最近のニュースやテレビ番組を見ていると、
こうしたスポットライト思考をしている人が結構いることに驚きます。
自分に都合の良いニュースだけをつまみ食いして、
そのニュースの真偽をあまり確認しないで、ただ賛成や反対を垂れ流す。
(真偽なんてどうでもいい、とにかく褒めたいor叩きたいって人も含めます)
SNS上だとそうした賛成派や反対派を見つけることは比較的容易いこともあり、
そうした人たちが確固とした信念があるわけでもなく、
ただ数の暴力で、自分たちに与しない人や物を貶めようとします。
いや、信念はあるんでしょうね。「貶めてやりたい」という信念が。

こういう時代になってしまったんだな、ということに改めて恐怖を感じます。
私自身も身をもって経験したことであるから、かもしれませんけどね。
事実を捻じ曲げられ、歪められた情報のみに飛びついて、
本当の事実から目をそらす、あるいは見ているのに受け入れようとしない。
というよりも、受け入れることによってこれまでの自分が否定されることになり、
受け入れられなくなってしまっているのかもしれません。

スポットライト思考って怖いよなぁ、と思います。

かくいう私もそうした思考にとらわれていない、とも断言できません。
こういう考え方こそ「スポットライト思考」じゃないの、
と言われると強く否定することはたぶんできないと思います。
(受け入れる、受け入れないは別として)
だからこそ、こうして自分を戒める意味でもこういう記事を書くのは、
少なくとも自分にとっては有意義なのだろうな、とも思うんですよ。

・・・まあ、これも一種の自己満足、なんでしょうけど。

Benny Green / Live in Santa Cruz!【ジャズのススメ 36】

一度生で彼のピアノを聴いたことがあります。

衝撃的というわけじゃなかったんだけど、

なにかこう、スッと入ってくる音が心地よかった印象でした。

 

アルバムは結構聴いているんですが、

今のところこのアルバムが大好きなんですよね。

 

Live in Santa Cruz

Live in Santa Cruz

 

 

彼のアルバムで最初に聴いたのは、なんだっけ(笑)。

たぶん「These are Soulful Days」だと思います。

それから彼の演奏を追いかけるようになったんです。

日本にもたびたび来日していて、その中の一つのライブに私もお邪魔しました。

色気があるのにシャープな音色。なのにしつこくない。

とんこつラーメンと塩ラーメンを同時に味わえるような、そんな演奏です。

(例えがよくわからないでしょうけどw)

 


Benny Green - Golden Flamingo - LIVE HD

STACKRIDGE / Friendliness 【プログレ古今東西7】

プログレ界のビートルズなど、

英国を代表するバンド、ビートルズの名前を引き合いに出されることが多い、

このスタックリッジというプログレバンド。

私自身はプログレを聴き始めた頃からのファンでもあります。

 

Friendliness

Friendliness

 

 

この2番めのアルバムをよく聴いてます。

First AlbumもThird Albumもちょくちょく聴いてるんですけど、

何かに集中して聴く、というよりも、

どちらかと言えば、何も考えずぼーっとしている時にこそ、

その真価を発揮するのではないか、と個人的に思ってます。

 


Stackridge. 'Lummy Days'