音楽つれづれ日記

音楽好き、飽き性、そして中庸思考。

終わりのかなしみ

歳を取ると涙もろくなるのだそうです。
なるのだそうです、なんて他人事のように書いてはいますが、
実のところ私もその涙もろさを実感してしまっている一人です。

アラフォーという年代になって、
いろんなところで身体の衰えを感じるようになりました。
病も抱えながらもそれなりに楽しく人生を謳歌していると思っています。
ただ、この年齢になってくると「終わり」というものを実感しはじめます。
それは人生の「終わり」でもあり、スケール感はだいぶ下がりますけど、
お仕事の区切りとしての「終わり」であったりするわけです。


テレビ番組の長時間生放送を見ているとします。
番組も永劫に続くものではないのでいつかは終わりが来るんですけど、
その時、なんとも言えない寂寥感がこみ上げてきます。
時には泣きそうになることもありますが、
幸いテレビ番組が終わってしまって泣いたことは数えるほどしかありません(笑)。

以前、アーティストのライブに参加するため日本武道館へ行ったことがあります。
その最後にアーティストとバンドメンバーが、会場内を練り歩きながら歌ってました。
そしてその曲がライブの最後であると知った時に、
どうしようもない気持に満たされてしまってその場でずっと泣いてしまいました。
まあ、そのライブでは幾度も号泣してたんですけどね・・・。

また、別のライブで東京グローブ座というところへ行った時もそうでした。
とある作曲家の記念ライブだったんですけど、
ライブが終わってから私は号泣してました。
友人と二人で行ったんですけど、友人の前で私は子どものように泣きじゃくりました。
「終わっちゃったよ~」と言いながら泣いたことを思い出すと恥ずかしいです(笑)。

何かがじわじわと終わってしまうと感じることに、
どうしようもないかなしみを抱いてしまいます。
(それが「哀しみ」なのか、それとも「悲しみ」なのかはわかりません)

先日参加したオフ会の時もそうでした。
とても楽しくてこのままこの時間が続いて欲しいと思っていたんですが、
始まりがあれば終りがある、というのはアタリマエのことなんですよね。
さすがに周りにたくさん人がいたので号泣はしませんでしたけど、
ずっと寂寥感が心の中を満たしていたことは否定できません。


楽しいことや嬉しいことって時間経過がとても早く感じます。
面白い映画や舞台などを見た時、そう思うことがとても多い気がします。
逆に苦しいことや辛いことって時間経過がとても遅く感じます。
面白くない映画を見たときにも感じますし、
面白くない会議をしている時には常にそう感じる方も多いでしょう(笑)。


ただ、そんなかなしみがずっと続くというわけではなくて、
ライブの後であれば、思いっきり悲しんだ後すぐに吹っ切れます。
そして帰りの道すがら、そのライブの余韻に浸りつつニヤニヤしてます。
はたから見たら、そうとうアブナイ人に映っていることでしょうね。

これも当たり前のことなんですけど、
ほとんどの事象、事物には終わりが訪れます。
終りがあるからこそその事象や事物が輝けるんだ、などという、
偽善的なことを一瞬書きそうになりましたけど(笑)。
確かに終わったときはかなしくてその気持に支配されるんですけど、
しばらくすると気持が切り替わって、かなしみは霧散します。

のちにライブや舞台が映像化されることもままありますけど、
そうするとまたその時の感動がよみがえってくるんですよ。
ただそれと同時にまたあのかなしみもぶり返すことになって、
結局涙流す羽目になります(笑)。

ただ、こういう映像ソフトはめったに買わないようにしてるんですよ。
舞台もライブもナマモノですから、その時の感動は一期一会、
そのときに感じた思いみたいなものは、
大事に大事に心の奥底に貯金箱のようにしまわれることになるわけです。
そうした生演奏や舞台が映像化あるいは音源化されてしまうことで、
言葉は悪いですけど、汚されるような気持になることがたまにあるんですよね。
もちろん諸々の理由でそうしたイベントに参加できない人からすれば、
こうした配慮というのは嬉しいものであるってこともわかります。


話が良からぬ方向へ進みだしたので、戻します。



人生八十年だとするとすでに折り返し地点を迎え、
いよいよ人生後半戦となり、いろいろな「終わり」を感じるようになりました。
とはいえ、自分からその後半戦を放棄しようとは思ってません。
苦しいことも悲しいこともこれからまだまだたくさんありますし、
そんなことをこれからも積み上げていくのなら、
いっそのこと「終わり」を迎えて楽になってしまったほうが良い、
という気持もわかります。
少なくとも私も一度ならず思ったことはありますから。

ただ、私の場合究極的に負けず嫌いなのと同時に、
あきらめが早いことでも知られている人なので(笑)、
都合の悪いことは忘れるようにしています。
忘れるようにしています、というよりも、忘れます(笑)。

年月は、人間の救いである。忘却は、人間の救いである。
こういったのは確か太宰治だったでしょうか。違ってたらすいません・・・
全ての事象について時間や忘却が解決してくれるというわけではありませんけど、
少なくともこの2つで解決することも、思ったより多く存在することも事実です。

いきなり何を偉そうに語りだしたんでしょうね、わたしは(笑)。


これからも長時間放送が終わりかけるとそのことに悲しみ、
生演奏が終わりかけてしまうとまたそのことに悲しみ、
そして忘却を経て、それらのことが心の糧になっていくのでしょう。

人生で無駄なことなど何もない、という言葉はあまり信じてませんけど、
無駄なことであっても、楽しけりゃそれでいいんじゃない?とは思ってます。


というわけで、日本ではないどこかからお送りしました。

Horace Parlan / BLUE PARLAN【ジャズのススメ 34】

今ひとつ、というか、

私の周りではほとんど知ってる人がいないので寂しい限りなんですが、

ホレス・パーランです。

 

実は彼のアルバムで最初に聴いたのが「荒城の月」なんですよ。

そう、あの滝廉太郎が作曲したことで知られるあの名曲です。

ホレス・パーラン・トリオでジャジーになった荒城の月、

なかなか渋くてかっこよいしあがりになってるのでそちらもオススメです。

が、今回はこのアルバム「BLUE PARLAN」にしました。

たぶん彼のアルバムで一番聴き込んでると思います。

 

Blue Parlan

Blue Parlan

 

 

アルバム全曲通しての印象は、彼のピアノが透明感高いってことですかね。

脂っこい食事の後に飲むほうじ茶のようなさっぱり感、とでも言いますか。

表現難しいんですけど、とても統制の取れたアルバムの一つだと思います。

 


Horace Parlan Trio - Cynthia's Dance

約束はいらない

今から20年ほど前に放送されていたアニメ「天空のエスカフローネ」。

その主題歌としてリリースされたのが「約束はいらない」という曲でした。

 

それ以前から作曲家菅野よう子さんのことは知ってました。

ゲームメーカーの光栄(現コーエーテクモゲームス)から発売されていた、

歴史もののゲームで数多くの音楽を手掛けてた頃からなので、

かなりの長い期間、彼女の音楽を聞いていることになります。

 

アニメ作品「ぼくの地球を守って」(通称、ぼく地球)で、

菅野さんの元旦那様でもあった溝口肇さんが音楽を全編手掛けてたんですけど、

エンディングテーマ「時の記憶」の作編曲を菅野さんが担当されて、

まあそれが恐ろしいくらいにすごい曲だったことを今事のように思い出します。

どのようにすごい曲なのかは話が長くなるので割愛しますけど(笑)。

 

というか、菅野さんの話をすると一昼夜では足りないくらいの話になるので、

また機会があればそのへんの話もここでやれたら良いなと思いますが。

 

話を戻します。

ぼく地球の「時の記憶」の記憶も新しい

(といってもそこから3年ほど経ってますけどw)

1996年に放送されたのが前述の「天空のエスカフローネ」という作品です。

リアルタイムで放送もずっと見ていたんですけど、

そのOP主題歌である「約束はいらない」という曲に、

私の心は大きく動かされることになりました。

俗に「菅野節」とも言われる音が随所に登場し、

その独特な曲の雰囲気と坂本真綾さんの透き通る歌声に魅了されたんです。

余談ですけど、坂本真綾さんはこれ以前からも子役として活躍されていたわけですが、

この作品での歌唱がきっかけで歌手活動を本格的にはじめることになります。

菅野・坂本の伝説の黄金コンビがここからはじまるんです。

 

原曲も当然大好きですけど、

ライブで歌われているバージョンも本当に好きです。

といっても私は2回ほどしかライブに参加したことがないんですが(笑)。

一度目は真綾さんの15周年記念の武道館ライブ「Gift」、

そしてその5年後にさいたまスーパーアリーナで行われた「Follow Me」。

この2つのライブに参加させてもらいました。

真綾さんの歌声は大好きなんですが、ファンといえるほど精通しているわけでもなく、

コアなファンも多いことで知られていることもあり、

ライブに行くことについてはずっと二の足を踏んでいたんですが、

15周年の武道館でのライブは、やはり記念となるものなので行ってみようと。

そこでまさか号泣するとは思いませんでしたが(笑)。

私が未だに聴いている大好きな「約束はいらない」のバージョンが、

この武道館ライブで披露された「0331medley」といわれる楽曲です。

真綾さんの誕生日である3月31日に開催されたという意味でのメドレーなのですが、

このメドレー、菅野よう子さんの伴奏のみによる歌唱なんですよ。

 

約束はいらないのサビのフレーズのピアノソロから始まって、

指輪、Active Heart、夜明けのオクターブ、tune the rainbowなどの、

黄金コンビによる名曲メドレーを菅野さんのピアノで堪能したわけです。

ピアノの音色が始まってしばらくして菅野さんにスポットライトがあたると、

客席から歓声がわき上がったのを昨日のことのように思い出します。

そのラストを飾ったのが、約束はいらないでした。

メドレーだったので、サビの部分を3回繰り返すというものだったのですが、

その3回ともにピアノ伴奏の細かいところを変えるという、

菅野さんらしい味付けを加えたその「約束はいらない」で、

私はもう涙が止まりませんでした。

生でこの演奏を聞けたという喜びもそうなのですが、

ああ、私はこの曲が大好きなのだな、と実感することができた演奏でもありました。

 


DVD「坂本真綾 LIVE 15周年記念 LIVE "Gift"at 日本武道館ダイジェスト

 

このダイジェスト動画は公式であげられているものです。

この後半に、件の曲「0331medley」がちょこっとだけ出てきます。

トライアングラーの出だしだけ歌って、そのまま約束はいらないのサビへ。

このあたりのピアノ伴奏の展開の仕方も素晴らしいのひとことです。

どの辺がすごいのか、という話は専門的になりますので割愛しますが、

とにかくすごいんです!!(笑)

 

そしてその五年後、さいたまスーパーアリーナにて行われたライブでも、

この「約束はいらない」が歌われます。

 

20th Anniversary Medleyと題して、

菅野よう子さんのピアノソロのみでメドレーが奏でられます。

その中に真綾さんが作詞作曲をされた「everywhere」が入ってて、

その時点でもう涙腺崩壊しそうになったんですが、

そのメドレーの最後で菅野さんがスクリーンに大写しになって、

約束はいらないを演奏し始めたんです。

そして「うたえる?」と画面越しに客席へ問いかけるわけです。

(マイク入ってなかったので読唇術で客席には伝わった感じでしたw)

 


坂本真綾20周年記念LIVE“FOLLOW ME”atさいたまスーパーアリーナ Blu-ray&DVDダイジェスト映像

 

ちょうどこの公式のダイジェスト動画では、

その「約束はいらない」を客席と一緒に歌っているところが収録されてます。

私も泣きながら歌った事を覚えてます。

このあと、真綾さんやバンドメンバーも登場して、

菅野さんのピアノ伴奏も加わって「約束はいらない」を披露するのですが、

それは公式で発売されているライブ映像で見てください。必見ですから。

客席の皆で歌ったバージョンもとても素晴らしかったですが、

この後のご本人登場からの演奏もとてもすごかったです。

 

余談ですけど、

15周年の時にはかなりステージから遠いところで見たんですが、

20周年のときはアリーナ席でした。それでも少し遠めでしたが(笑)

ライブってホントいいもんですね。また行きたいです。

 

 

ここまで書いておいてなんですが、

出来ればまずは原曲のバージョンを聴いていただくことを強くオススメします。

菅野さんのセンスと真綾さんの歌声がコラボした、奇跡の曲のひとつです。

演奏無事に終了

以前このブログでも書きましたけど、

日付で言えば昨日(6月18日)に友人の披露宴にスタッフとして出席しました。

音響スタッフでもあったんですが、

演奏することになっていたので、そのときはちゃんと正装に着替えました。

 

はい、演奏しましたよ。

緊張もしましたけど、周りが知り合いばかりだったこともあって、

多少のミスも許してくれるような空気感がありました。

おかげさまで楽しくピアノ演奏することができたかなと。

ドビュッシーという友人からの無茶振りでしたが、

何とか人前で聞かせられるくらいにまではできたかなと自負しております(笑)。

 

その後披露宴終了後にまだ新郎と新婦が着替えて残っていたので、

新郎が好きなゲームの曲を1曲だけ即興演奏しました。

新郎が「おおおおお」と叫びながらピアノに近づいてきて、

演奏しているにも関わらず、バンバンと背中を叩いてきたのは辟易としましたが(笑)。

喜んでもらえて良かったです。

 

人前で演奏するのは音大生の頃が最後だと思うので、

かなり久々でしたけど、やっぱり楽しいですね。

さすがにこれから先にこういう機会はほとんどないとは思いますけど。

 

楽しかった~!

 

エドヴァルド・グリーグ

本日6月15日が誕生日なのだそうです。

 

小中学生の頃、音楽の授業で音楽鑑賞の時間があり、

そこでも彼の作品は多く紹介されていたように思います。

代表作というと「ペール・ギュント」や「ピアノ協奏曲イ短調」など、

誰でも一度は聴いたことがあるのでは、という曲が紹介されがちですが、

私が最初に思いつくのは「抒情小曲集」というピアノ曲集ですね。

全部で10集まであるこの作品群ですが、

最も有名な5集を紹介したいと思ったんです。思ったんですけどね。

生来のヒネクレモノなので、あえて違うところから(笑)。

 

先日亡くなったハンガリーの指揮者であり名ピアニストでもあった、

コチシュ・ゾルターンの演奏で抒情小曲集第3集を。


Zoltán Kocsis plays Grieg Lyric Pieces Op.43

 

この曲はあれやこれやと知識を詰め込んで聴くよりも、

ただ音の流れに身を任せて聴くほうが合っているような気がします。

なので解説はなしです(決してめんどくさいからではありませんw)

Thomas Ruckert Trio / Debut【ジャズのススメ 33】

ジャズピアニストのミッシェル・カミロを紹介しようと思ったんですけど、

たまたま先日友人からCDを紹介されたことを思い出して、

そのCDを買って聴いてみたんです。それがまあすこぶる良かった!!

というわけでトーマス・ルカート・トリオのアルバムに変更しました(笑)。

 

Debut

Debut

 

 

実はこの方、紹介されるまで全く知らなかったんです。

大変申し訳無いと猛省しております・・・

最初聴いた間奏は割と普通かも、だったんですが、

聴き込んでいくと何とも郷愁的といいますか、懐かしさを感じたんです。

安心感とも言いますね。

テクニックは素晴らしいですし、何より選曲が私好みでした。

こりゃちゃんと聴き込まないといけません。

 

アルバム最初の「Like Someone In Love」をここでは紹介しておきます。

 


Jazz Piano / Thomas Ruckert Trio - Like Someone In Love ( J. Van Heusen )

背もたれのセオリー

不読書の年、というブログを書いたんですけど、
先日のシンガポール出張の時にようやく読書を解禁しまして。
それからいまのところ1日1冊ペースで貪り読みをしております(笑)。
それだけ活字に飢えていたんだな、と。

そのせいで少し目が疲れてます。



さて、そんな話とは全く関係ないんですけど。

仕事がら、よく公共交通機関を利用することが多いんです。
海外出張のときには飛行機に乗りますし、
国内出張などがあれば新幹線や特急電車、
残業し過ぎで疲れるとタクシー(タクチケ利用)などなど、
1日1回は必ず交通機関を利用してます。

新幹線などの座席を想像していただけるとありがたいんですが、
2つないし3つ席が横並びに連結していて、
それがずら~っと20列くらい縦に並んでいるわけですね。
新幹線だと割と長時間乗車することになるので、
背もたれを後方へ傾斜させる方が多くいらっしゃいます。
もちろんまったく倒さないで座られている方もいらっしゃいます。

私の場合、自分のうしろの座席にお客さんがいらっしゃる場合は、
起きてるときには必ず声をかけてから倒すようにしてます。
寝ている時やうしろに人がいない場合には、躊躇なく倒します。
目安としては、座っているイスの背もたれの厚さ程度ですかね。

中にはズドーンと何のためらいもなく最大まで背もたれを倒す人がいたり、
うしろの人に気づかれないように徐々に徐々に倒す人もいらっしゃいます。

テレビの情報番組などでも、
この「背もたれのセオリー」みたいなものが特集されることがありますよね。
これが正しい、なんて文言を使って番組内で正解を発表したりするんですが、
それで納得できるかというとそういうわけでもないんですよ。

私の所感を言うと、
何も言わずに背もたれを倒してくる人にはあまりいい印象を持ちません。
注意をすることも無いんですけど、少し不快な感情を抱いてしまいます。
倒し方の程度はそれほど関係はないですね。
何も言わないでスッと倒してくる行為それ自体があまり好きではないです。
逆にちゃんと声をかけてから倒してくる方には当然いい印象を持つんですが、
感情の居所具合によってはその声かけが鬱陶しいと思うこともあります。
なんとも勝手なものです(笑)。


また新幹線などの高級な列車ではなく、
通勤でいつも乗っている電車でも「背もたれのセオリー」があります。
一両編成のワンマン電車もそうですし、
都市圏でよく利用されている電車もそうなんですけど、
電車の向きに並行して端にベンチスタイルでイスが置かれてますよね。


こんな感じです。
ロングシート、って言うらしいですが詳しいことはわかりません。

で、このシートの間に出入口のドアがあるわけですけど、
そこの横に人一人が何とか立てるくらいのスペースがあるんです。
ちょうど写真で言うところの、シートの端にある手すり辺りですね。


えてして人はこういうロングシートががら空きの時、
自然と端に座ってしまう傾向が強いのだそうです。
心理学的に説明しているものもあるのですが長くなるので割愛します(笑)。
そして、このシートが全て埋まっている場合、
大抵の人はこのドア横のスペースへ行くことになります。
そして、そこにあるのは申し訳程度についている手すりや仕切り壁。
上半身部分はがら空きです。
そして、体重をその手すりや仕切壁へ預けることになります。

すると何が起こるのか。
そうです。
ドア横のスペースに立っている人の背中が、
シート端に座っている人の頭の上へと迫ってくるのです。
座っている人に気を遣って少し手すりからはなれて立つ人もいますけど、
大抵の人は体重を預けて、座っている人への気遣いなど全くありません。
(電車が異常に混んでいてそういう体勢にならざるをえない場合もありますけどね)
私のような座高が異様に高い人間がシートの端に座っていると、
そのドア横スペースに立っている人の背中が顔にくっつきそうになるんです。
夏場になるとその背中から発せられる熱気みたいなものが感じられて、
何とも不快この上ない感情を抱かせてくれます。
ドア横スペースに立つ人にとってはその体勢が楽なのでしょうけれど、
人によってはその体勢をさらに進化させて、
手すりに全体重を預けて身体が斜めになり、
ちょうど新幹線のリクライニングシートをMAXまで倒している人のような状況です。
「おいおい、そこまで身体を手すりにもたれさせて大丈夫かよ」
という周りの心配などお構いなく我が道を行かれているということなのでしょう。


さて、新幹線の背もたれの話へ戻ります。


もしあなたが座っているところへ、
前の人が声掛けもなくいきなり全体重をかけて背もたれを倒してきたら、
どういう気持ちになるでしょうか。
「構造上それだけ倒れるように設計されているのだから、
倒すことに何の問題もない。むしろ何が問題なのか」
と思われる人もいると思います。

ただ、人は「テリトリーに侵入されること」に対して、
大小こそあれ抵抗がある人というのがほとんどです。
マンツーマンで話す時の距離、というのを考えてみるとわかると思うんですが、
対人でお話する場合には適正な距離というものが存在します。
ただこの「適正」という言葉がかなり曲者でして。
その適正な距離が人によって大きく異なるわけなんです。
圧倒的にその距離が近い人もいれば、結構離れていても快いと思わない方もいます。

日本人というのは「どんぐりの背比べ」を重視する傾向が高く、
平均を重んじることが正しいと思う方が多い種族らしいので、
平均よりも近い距離でも遠い距離でも良い感情は持ち合わせないのだそうです。

ま、そんな根拠のない理屈はともかく。

新幹線に乗っていて、唐突に前の人が背もたれを倒すという行為が、
うしろの人のテリトリーを侵すことに直接つながるわけではありません。
むしろそんな大げさに考えない人が大半だと思います。
どちらかというと、あきらめに似た感情を抱くのかもしれませんね。
「ちょっと嫌だけど数時間我慢するだけならいいか」という感じに。

私ってどうしようもないほどの平等思想の持ち主なので、
片方が嫌な感情持ってるのにもう片方が痛痒も感じない状況ってのが、
どうにも納得できない人なんですよ。
だから憤懣やるかたない状況に陥るわけです。
その憤懣がピークになると面と向かって言ってしまうこともあります。
(それでいろいろと問題起こしたことも数知れず・・・)


何はともあれ、
背もたれを倒すときはいろいろと想像力を働かせてくれると、
私も嬉しいですし、たぶん皆も嬉しい(はず)。